Saturday, December 26, 2009

クリスマス

お祝い。




メリークリスマス! 今日はキリストの誕生日ということになっていますが、もともとは冬至を祝う日を、誕生日にしたものです。そもそもキリストの誕生日って、記録が残っているのでしょうかね~~

そんなことは、最近まで知らず、でも冬至の祝いの転化なら、納得です。

冬至は、一日のうちで一番昼間が短い日です。今年は12月21日でした。その後、日は延びていきます。これからが、お天道様に会える時間が長くなるのです。太陽の恵みを受けて、生きている人間としては、エネルギーが高まる始まりですね。それは喜ばしい。正月みたいなものです。

冬至に合わせて、世界中で祭りが開催されます。クリスマスもその一環なのだと思います。

日本では、冬至にはかぼちゃを食べ、ゆず湯に入ると風邪を引かず、健康でいられるという習慣があります。昔の言い伝えは、何かしら断固とした理由があるのだから、やったほうがいいと思っている私ですが、ゆずは手に入りません。せめて、ゆずの香りか、黄色のお風呂ですかね。冬至は過ぎてしまいましたが、試してみてはいかがでしょうか。

あともう少しで、正月ですね。来年生まれて始めて、正月に仕事をします。正月は神を迎える日なので、仕事はしないのが基本ですが。実はクリスマスも仕事仲間の中で私だけ、仕事をします。(これから仕事に行ってきます。) 私の中で、伝統の打破が始まりました。

冬至が過ぎて、新しい波が遣ってきています。陰(夜)と陽(昼)の転換で、もうすでに、始まっています、新しい未来が。

Thursday, December 24, 2009

ジ~ンときます

神は無駄してる暇なし。




アパートにいる猫は、本来の持ち主である、ルームメイトの娘さんが、ミネアポリスに住むところが見つかるまで、ここにいることになり、今年中猫は私のベットで過ごすことになりそうです。

私も猫もお互いが居ないと、生きられないような状態で、ベッタリ一緒にいるので、別れた後は、後遺症が出そうです。猫の方は適応力があるから、大丈夫でしょうが、私の太鼓腹を足踏み出来ない寂しさは、彼女にとって打撃間違いなしです。

今や日本の映画やドラマが面白い。人に勧められて、日曜劇場「JIN 仁」を見ていました。これが、いいドラマなんです。原作は未だに連載中の漫画で、主人公の脳外科医の南方仁が、幕末期にタイムスリップしてしまった話です。

その話のなかで、「神は乗り超えられない試練は、与えない」「乗り越えた後は、素晴らしい未来が待っている」という台詞が、多々出てきます。まったくその通りです。神は乗り越えられない試練なんか、与えません。出来ない試練を与えたって、所詮出来ないのですから、時間の無駄です。神は決して、無駄はしません。そこは神様のいいところですね。

ドラマの話でも、主人公や周りの人々が、その台詞と共に、困難を乗り越えるのです。毎回毎回、泣かされるシーンがあって、何話も続けて見た日には、目が腫れてしまいます。

「神は乗り超えられない試練は、与えない」ってことは、遣りたいことは、何でもできる。出来ない事は何もないってことですね。私はプロ野球選手になって、MVPを取りたいとは思わないです。遣りたい事でもないし、出来るとも思えないからです。ですから、そんなものを取ろうとするような、試練は来ません。遣りたいこと、出来ること、何とかしたいことがあって始めて、試練が登場するのです。

試練は字のごとく、試しに練ることですから、本番前の準備段階と言うところでしょうか。でもこの試練が、なかなか大変。簡単な試練なんか遣ってこないし、簡単ならば試練なんて呼ばないし。

準備段階が上手くこなせてないと、本番が悲惨なことになるので、神としては、我々が、直本番してこけて、無駄をするより、準備段階で、じっくりこなしてから、本番へと向かわせるのが懸命と思うでしょう。この本番が素晴らしい未来なのです。大概試練を超えたからといって、その関係が終わったりしませんよね。試練を乗り超えて、スタートラインにつく感じがします。

嫌なことや、辛いこと、困難な事にぶちあたったら、試練なのですから、新たに転換していくサインです。遣りたい事も、試練さえクリアすれば、現実するのですから、しかも乗り越えられない試練なんてなのですから、試練を乗り越えて、素晴らし未来を満喫しましょう。

まだJIN仁を見ていない人はこちらから。http://dramato.blog98.fc2.com/blog-entry-11208.html

Sunday, December 20, 2009

本番行きます~

アクション!





ご無沙汰ぶりのブログ更新です。この頃はこのホリデーシーズンで、職場の人の休みのカバーなどして、休みが余りなく働いていました。その疲れからか、食虫毒にやられてしまい、ヘトヘトになっております。

年が明けたら、その年はどんな年になるのだろうと、星座占いをみたり、干支占いを見たりと、私も結構楽しんで、興味深々で色々見たりします。

私は自負として、フォーチュンテーラーでは無いと思っています。未来を見通すのではなく、どのように行動したら良いのかを、ガイドする役だと思っています。なので未来について、見えたとしても、なるべく、その未来を言うのではなく、行動することで事で、道はいくらでも拓け、未来も変わる方向にもって行きたいのです。(実際未来を言っていることも多いかもしれませんが)

なぜかと言うと、どんな良い未来も積極的な行動無しでは実現しないからです。もし、未来はこう成りますと言われ、そうなるのなら、何もしないとなると、そうは成らないのです。なら、知らない方が、自然と行動することもあるので、告げない方がいいとなります。

なるべくより良い方向に行くように、行動出来るようにアドバイスをするようにしています。行動することによって、ステップ、ステップを踏めて、経験を通して、影に隠れている本来の目的にとても近づき易くなるからです。

本来の目的は非常に分かりづらくなっています。なぜなら、本来の目的が、意識上で分かって行動してると、ある時その目的を見失うからです。それよりも、目的が意識されずに行動していくと、ある時、これの為に、この出来事や経験があることに、気が付く事が出来ます。これの為が、本来の目的で、気づきと共に現れてきます。

各人の中に、学びたい事があり、それは意識しない所で、きちんと認識されています。だから、たとえ無闇に動いているようであっても、実は目的にそって動いているのです。

行動は、意識なしでは出来ません。そこは、意識の管轄です。行動できないと、目的に達成できず、学べず、経験できないのですから、何かモヤモヤ苦しくなります。

何かモヤモヤしてきたら、行動に移す時です。余りにも停滞していると、動かされる凄い事態を、呼んでしまいます。その前に動く方が懸命かと思います。

未来は己自身が作るのですから、作り手として、コツコツ作っていきましょう。それには作るという行動が大切ですね。皆さん、良いホリデーシーズンを、お過ごし下さい。

Monday, December 7, 2009

心変われば全てが変わる

心頭滅却すれば火もまた涼し?




12月に突入です。この月の過ぎる速さは尋常では、ありません。あっという間に、今年も終わってしまいます。

ここミネソタ州ミネアポリスは、だいぶ寒くなりました。日に日に温度が下がっていきます。只今、-7度Cです。あさっては、最低気温が-20度Cになるようです。-10度Cが当たり前の世界に、突入です。

私は12月が一番寒く感じると、思っていました。実際は2月が寒くて、最低気温が-30度C、-40度Cにもなる日があります。しかし、12月はまだ体が寒さに慣れてなくて、寒く感じるんだと思っていたのです。

ルームメイトにその話をしたら、「体は直に寒さに適応できるよ、心(気持ち)が準備出来てないから、寒く感じるのでは」、と言っていました。まさしくそうだと思うのです。

体は直に何でも適応出来るのです。だから、生きていかれるのです。問題は気持ちの方ですよね。まだ暖かい日が来るのでは、とかの期待や、暖かい日が来て欲しい願望が、現実を受け入れない。だから寒く感じる。心一つ変えれば、寒さを受け入れ、さして寒く感じなくなる。-20度Cが続けば、-10度Cなんて暖かいものなのだから。

それは、色々な事に対しても、言えると思うのです。気持ち一つ変えるだけで、色んな事に適応出来て、物事がスムーズに進む。気持ちを変える時に、期待や思い込みなしで、現実を踏まえる。この事が、なかなか出来ないと、何時まで経っても、変わらない。まるで何時まで経っても、寒いと感じて、その寒さを嘆く。

時には、現実を受け入れるだけでよかったりします。すると、辛かったことが、辛くなくなり、、出来なかった事が、出来るようになるものです。それに、どうしたらいいかアイディアが、出てきたりします。

覚悟です。ミネソタの冬は寒いのですから、現実を受け止めて、覚悟します。気持ちを切り替えて、覚悟します。それにしても、さむ~い。

Monday, November 30, 2009

解放せよ

邪気との付き合い。



この頃疲れているのか、休みの時は、知らない内に、昼寝(夕寝)をしてしまいます。そんな時は、猫が私の体の上に乗っかってきて、一緒に(一体で)寝ている始末です。彼女も私との別れが近い事を、知っているのでしょうか、やたらベタベタしてきます。猫のグレシーとは来週いっぱいでお別れです。持ち主が、帰って来るからです。あ~寂しくなるな~

動物はネガティブなエネルギーを、リリース(解放)してくれるので、ありがたいです。ペットとしての宿命なのか、彼ら達からの愛情なのか。

ヒーリングをしている人達の、一番重要になる問題が、人から受けたエネルギーを、どうやってリリースするかでしょう。ヒーリングの仕事はネガティブなエネルギー、邪気を受けるのが、仕事のようなものですから、それをいかに貯めないかは、ヒーラー自身の仕事の寿命にも、関わってきます。リリースが下手だと、病気になってしまうからです。

ヒーラー個人個人は、自分なりのリリースの仕方を、もっていると思います。私のお勧めは、半身浴(最低)1時間です。これは、ヒーラーでなくても、全ての人にお勧めの、入浴方です。半身浴で、体の毒素も出して、邪気も出して。

浴槽が無かったり、時間が無かったりしたら、私の場合は、教会ですね。いい教会は天井が高く、空気がすーっと張り詰めたような感じでありながら、緊張感のない、澄み切った雰囲気があります。教会の人達は、彼らなりの方法で、スペースクリアリングをしているからです。座席に座って、祈ると、体から邪気が出て行くのが、分かります。

音楽を聴くのも有効ですね。音の響きが、体の波動を調節しますから。瞑想も兼ねて音楽を聴くのは、効果が上がります。夕日の美しさに感動するのは、とてもリリースできます。内からこみ上げて来る感動が、汚れを洗い流すような感じです。

色々な方法がありますが、最近気が付いたのは、邪気が体から出来いくのを、想像するのです。この想像だけで、実際邪気が、出て行く気がします。想像は創造に繋がるので、現実化するのだと思います。想像は人間に与えられた、すばらし能力なので、物凄い可能性に満ちていると思うのです。この能力を使えば、成りたいものにも、成れるし、したい事も、出来ると信じています。

みなさんはどんな方法で、リリースしているのでしょうか?

邪気だけでなく、何事も貯めない。リリースしてすっきりと。猫と遊ぼうっと。

Friday, November 27, 2009

毎日が感謝デー

サインを受け取る。



今日は感謝祭(Thanksgiving Day)ですね。文字通り感謝して、それを分け与える日です。感謝をするのに、仕事も休んでそれに費やすのですから、とれほど感謝が大切か分かりますし、休息がとても大切だと言う事もわかりますね。それに何より、分け与える行為が、全てのものとの共存に繋がります。共存なくては、すべてが一つだということを、認識できないです。

誰でも感謝されるとうれしいので、神に感謝して喜ばせてあげちゃいましょう。毎日お経を唱えるように、「神様ありがとう」をいつもいつも言っているわけにもいかない、日々の生活の中で、神様サインが見えたら、声に出して「神様ありがとう」というと、相手も喜ぶし、サインが見えた方も、うれしいものです。

以前にこのブログにも書きましたが、おさらいを込めて、サインあれこれを。

数字のぞろ目を見たとき。結構、これは頻度にあるのではないでしょうか。目に飛び込んでくる感じで、数字が現れる。

とてもきれいな光景を見て、思わず感動した時。自然が作り出す美は、神との共同制作だと思うので、その作品を見せてくれたお礼ですね。感動は我々を癒す、もっとも優れたものです。

欲しい物や探していた物が、手に入った時。ときどき、家の中で、物を無くして探しても、見つからない時がありませんか。私はそれを、ブラックホール入りした、と表現します。物が異次元空間に行ってしまった様に、探しても見つからない。そして、ある日見つかる。それはサインなので、尽かさず、神様ありがとう、ですね。欲しい物が手に入った時も、自分がそれを引き寄せてはいるのですが、その手伝いをしているので、お礼を言っておきましょう。

何か嫌なことが起きたら、それを機に物事がいい方向へ展開する、合図なので、罵倒はせず、お礼ですね。物事が停滞しているのは、次に行くための余分なスペースがなく、そのスペースを作ることも出来ない状況です。悪いことが起きるのは、まるで地震が起きて、古い建物を壊し、その後に開発するようなものです。古い建物は自ら壊すには、勇気と堅実な計画が必要になります。地震でも起きないと、なかなか壊れる機会を持たないものです。そんな良いチャンスに、罵倒してはいけません。

何か幸せを感じた時。自分が喜ぶ時は、神も喜んでいるのですから、一緒に幸せを味わえることに、感謝ですね。そこには、一体となって、自分の中に、神がいるのですから。

挙げるとキリがないほど、手助けをしてくれているのと、近くにいるサインを貰っています。

そう思うと、実に心強いですね。決して一人ではなく。いつも一緒で、見えないからといって、ほっとかない。だから、サインを送り続けているのですから。

Monday, November 23, 2009

永遠の愛

トワイライト サガ。




映画トワイライトの続編、ニュームーンを昨日見てきました。

バンパイアとの恋は、一筋ならぬ、命がけです。しかもワーウルフまで、出て来て、人間との恋なんて、チャンチャラ物足りなくなります。ワイルドだな~

バンパイアに噛まれたら、バンパイアになって永遠の命を得る。我々も、何回も生まれ変わって、この世にいるので、ある意味永遠の命があるよなものです。

ときどき人から、今の時代でない時に、愛する人と別れた映像を、何かのおりに見た話を聞きます。
その映像の話を聞くと、その映像が見えてきて、その続きやその映像の前の場面が見えたりします。補足の話をしてあげた後に、その人を探して会えば、何か引っかかっている事が、解けて幸せになれるよ、と簡単に言ってしまいます。

その人が何処に居て、どんな人になっているか分からないのにです。でも、会えばその人だと分かると私は信じています。それはもう、時代を超えた愛です。永遠の命があるからこそ出来る、愛の物語です。

何百年越しの愛なんて、とてもすてきですね。たかが今世の80年くらいでは、到底足りない。一転二転しながら、時代を超えていく。

私の好きな映画 Highlander は、永遠の命を得た中世の騎士が、愛する人を、時代を超えて探し求める話です。(もちろん、そんな甘い話だけでなく、悪者に命を狙われ続けるため、アクションシーンが満載ですが) 洋の東西にかかわらず、輪廻転生の考えの下に話があるわけです。

別に離別しただけでなく、現在の伴侶も実は、以前にも伴侶だった可能性があります。

トワイライトのバンパイアは輪廻転生はしませんが、永遠の愛への物語としては、同じですね。(ま~物語はこれからの愛ですけど)

時代を超えて、ず~といっしよに居る人って、誰なんでしょうね。

Sunday, November 22, 2009

優しい素材

女の危機。




急に思い立って、古い下着を捨てて、新しいのを買うと、ちょうど仕事の合間に時間が出来たので、繁華街のデパートやショップを練る歩きました。

私は断然、綿の下着がいいので、綿100%のショーツを買いに、いつも好きで買っている、某ショップへ行くと、綿100%のショーツが売ってないでは、ありませんか。ストレッチ仕様になっていて、化繊が少し入っているのしかない。

では、違う所へ探しに行きました。あれやこれやお店に余って見ても、綿100%が無い。少しでもかわいい感じのとなると、愕然に無く、どうなっちっているのだろうこの世の中は、という感じです。

肌に直接当たる場所は、天然素材がいいです。まして、ショーツなんかは、第一チャクラ&大切な所ですから、素材のいいのを選んだ方がいいです。

化繊は人体に遠い素材なので、体が不快に思っているはずです。でも、なかなかそれが感じられないのが、今の時代。

こだわっている人は、オーガニックコットンのお腹まで隠れる、昔のおばさん型ショーツか、シルク素材のを使用していると思います。経済的に許せば、私もそれらの素材のショーツを掃きたいです。

シルクが体の毒素を吸い取りますので、一番いい素材ですね。手洗いが基本なので、少しめんどくさいですが、私は昔日本で愛用していました。肌もきれいになるんですよ。

今はコットンが支流の下着類ですが、今でもシーツ代わりにシルクの毛布を引いて、シルクの毛布を掛けて寝ています。だいぶ古くなりましたが、結構もってますね。今シーツ代わりに引いているのは、猫が爪で引っかいて、穴がいくつか開いてしまってます。そろそろ、寿命かな。

くどいようですが、化繊は変な磁場を発生させるので、心にも、体にもよくありません。なるべく洋服でも、着ないか、化繊の入っているパーセンテージの低いもの選ぶようにしたいものです。

それにしても、巷では、綿100%のショーツが見つかりにくい。結局、とてもシンプルなのがあったので、それを買いました。ついでに、ブラも買って(綿95%)、ルンルンです。

Friday, November 20, 2009

うれしいスイーツ

食物されど食物




1週間もブログ更新を休んでしまいました。読んでいただいている方々に、申し訳ないです。

ちょっとスランプ状態になってます。頭の中で、まとまりがないので、ブログを少し書いては、最後までいけません。 中途半場な原稿がいっぱい、出来上がってしまいました。

昨日は、ルームメイトのガールフレンドの誕生日だったので、彼のリクエストで、かぼちゃのケーキをつくりました。もちろん、ヴィーガン(動物性タンパクを取らない、ベジタリアン)仕様です。

ソイミルク(豆乳)で、ソイクリームを作り、それを真ん中に挟み、上にのせてみました。

とてもおいしく出来ました。お菓子作りは2年ほどのブランクがあるので、ドキドキしましたが、上手くいってよかった。(今年の8月にルームメイトが誕生日なので、トーフタルトを作りましたけど。それもとても上手くいって、感動されましたね。)特に、焼き菓子は難しいので、自分の才能の再確認が出来ました。ときどき、才能の再確認をしないと、自分にたいして疑心暗鬼を生じさせてしまいます。思い込みでも、才能があると信じている方が、才能が付いてくるものです。

何だか、これを機にお菓子作りしたいですね。材料費が半端でないので、経済に余裕がないと出来ないですが、作るのは楽しいです。

私のお菓子作りの基は、マクロバイオティック(マクロビオティック)です。卵、牛乳、砂糖などを使わずに、作るお菓子はとてもやさしい味がします。甘みはメイプルシロップとブラウンライスシロップを使います。

ある人が、クッキーでも、卵とかミルクを使っているものは、時間が経つと美味しくなくなるけど、マクロのクッキーは時間が経ってもおいしい。たぶん、動物性を使うと酸化し易いのではないかと、言っていました。私もそう思います。酸化された食物は、体に悪いので、そう意味でもマクロのお菓子は体に優しい、スイーツですね。

私の経験では、砂糖(ブラウンシュガーも含む)を多く取ると、疲れるし、よく切り傷を作ってしまいます。日ごろから、私はとても手(ゴールデンハンド)を大切にしているので、怪我をしないように、気をつけています。それなのに、紙で手を切ったり、何かに引っかかって、手や腕を切ったりします。私は、砂糖とこの切り傷現象に、密接な関係があると思っています。

人間は毒素が多くなると、何かしらの方法で出そうとします。鼻水が出たり、咳が出たり、蕁麻疹、痒み、吹き出物などなど、一生懸命に毒を出そうと体が、頑張ります。厳密に調べれれば、どんな毒に対して、体はどんな方法で出すのか、分かる気がします。

私は手を切ったら、甘いものの食べすぎだと思っています。でも、毒を出そうと、自分で無意識に、手を切っているとしたらどうしますか。そうです、自分で意識されない所で、意識して行動しているのです。

だから、食べるものによって、色々な出来事が起きても、不思議ではありません。体の反応だけでなく、自分の行動、周りの出来事などなど。

何気なく食べている、食べ物。習慣づけて、なるべく添加物や古いものを摂取しないように、したいものです。そうすると、自分に起こることや、周りの状況や環境が変わるかもしれません。だからといって、いつも気にし過ぎて、本来食べる嬉さや、楽しさ、喜びを損ねては、なにもなりません。

毒は毒を呼ぶので、止まらなくなる傾向にあります。ちょくちょくやってしまう、体の怪我や、痛みは、食べ物が原因かもしれませんよ。

Friday, November 13, 2009

感動した!

神との遭遇。




新しい窓が入って、快適です。寒さが違います。本格的な冬が来る前に、大家さんが新しい窓に入れ替える決心をしてくれて、ありがたいです。

友人Uがメールで、神様の存在は見えないということになっているけど、実はそれぞれの人のみやすい姿で存在をみせてくれている、と言う話を前回紹介した、「僕のアニキは神様と話ができます」ブログで見た事を書いてくれました。

美しい朝焼けや、紅葉や、葉っぱについた朝露など、その人が見て感動したものには神が宿っていて、それは、その人が感動しそうなところに神様が先回りしていて、頭の後ろがじんわりしびれるような感動を受けた時は神様がいるサインだそうです。

感動した時は、そこに神様はいますね。例えばとても美しい夕焼けを見たときは、否定できない、絶対なる美に対して、神の存在を否定できません。そんな美を見せてくれるのは、神以外に考えられない、自然と一体なる存在しか、創り上げられないと思うからです。

それと、感動をする心と神とが交信できるから、感動するんだと思います。神が居るから感動するのではなく、感動することの出来る心がないと、神が先回りしても、キャッチできないと思うのです。神はどこでも、いつでもいますから、素直で、清く、やさしい心が、感動を引き起こし、神との遭遇ができるので、その心なくては、神の存在を認識できないと思います。神はいつも身近に居るのです。その存在を感じるには、日常に感動は転がっています。いかに、感動する心を持ち続ける事ができるかです。

イライラしてたり、怒っていたり、くよくよしてたり、落ち込んでいると、感動を引き起こすのが、難しくなります。息を抜いて、リラックスして、窓から外を見ると、何か美しいものが見えるでしょう。笑顔でいたら、誰かが素敵な話をしてくれるでしょう。共存を考えて、動物と接したら、彼らが生命の力強さを教えてくれるでしょう。それらが、感動を呼びおこします。

頭がじ~んとする感動を得たときには、神様ありがとう、といいましょう。お礼を言われると、相手は喜びます。喜ぶと、向こうももっとしたくなります。やらせましょう。乗せちゃいましょう。

感動は人間の持つ特殊能力です。がんがん使いましょう。

Monday, November 9, 2009

一番身近な好きな人

好きになれずにいられない。




遣りたく無いことを、先延ばし先延ばしにして、自分の首を絞めています。出来る事を一つづつ遣らないと、終わらないのに、逃げています。あ~神様~

友人からブログの話がでて、久しぶりに「僕のアニキは神様と話ができます」という、大変おもしろい、ブログ(このブログは今や有名ですね)を読んでいたら、とても面白い事が書いてあったので、これはいいと思い、皆さんもこれを実行して見て下さい。

自分の事を知らないという事が分かってない人が、とても多いので、自分の好きな部分を10個挙げて見て下さい。しかも、それをするだけで、回りの空気が変わり、神様からスペシャル電気を貰える、という話です。

では、スペシャル電気を貰っちゃいましょう。

1.才能がある。
2.かわいい。
3.やさしい。
4.粘り強い。
5.探究心旺盛。
6.空想好き
7.一か八か型。
8.大声で笑う。
9.五感+六感が敏感。
10.人の幸せを願う。

結構挙げるの大変ですね。途中まではスラスラ出来てたのに、つまずきましたね。

好きなところを挙げると、自分の事好きになります。私って素敵よね~。

これで、遣りたくない事も、先延ばししないで済むかもしれません。神様~ありがとう。

Sunday, November 8, 2009

クラス受講

どれを受講する?





たまたま(偶々といつも言いますがこれは必然ですね)、ハーリーポッターシリーズの映画を、無料で見る事ができたので、シリーズ1~5巻まで、続けて見ました。

だんだん、話が複雑化していってるので、映画では説明されていないことが、いっぱいあることが、簡単に推測できます。しかも言っている英語が、分からないという事態も発生しました。困ったものです。

物語は、ハリーポッター少年が魔法魔術学校に入って(魔法使いも勉強しないといけないんですね。しかも社会にはルールもあるし。)、いろいろな事が起きる話ですが、人生は、学校のシステムに似ていると思う事が、しばしばあります。

学校に入ったら、クラスメイトや先生がいて、特定のジャンルに分かれたクラスを取ります。そこで与えられた主題を勉強するわけです。例えば、英語のクラスで、文法を習う。人生の中でも、例えば恋愛という名のクラスを取って、男女関係に即したテーマを勉強する。

人生は講義主流ではなく、実践が主流ですね。クラスメイトが回りにいる人達で、先生がときどきアドバイスをしてくれる人達。

クラスでは、ときどき主題を会得しているか、試験が出されますが、人生でも、そのテーマに関した試験がなされます。二人の間で、物事が起こります。

両者とも(学校、人生)その試験にパスしないと、次に行けません。最後に最終試験が出され、パスすれば終了です。

学校もいつも授業ばかりすると、皆が飽きてくるので、イベントを設けます。人生でも、日々の日常生活だけだと飽きるので、イベントがやって来ます。いつもは遣らないことを、やる機会を設けたり、旅行に行ったり。

恋愛はとても勉強になる、クラスの一つです。一つの恋愛が始まって、終わる。その時には、かならずしも、課題が与えられていて、それを取得する。最終試験にパスしないと、また同じ様な課題を、クラスで遣らされる。時にはそのクラスが、アドバンスクラスとなって、結婚という名の、クラスに移行したりします(結婚のクラスを取りたい人は、それに行ける恋愛クラスを取っている場合が多いです。)どのクラスを取るかは、各々選択出来るのですから、自分が必要と思ったものを、取っていきます。

ですから、一つの恋愛がだめになっても、落第したのではなく、その恋愛で課題を会得しているかどうかに、関係します。同じパターンの恋愛を何回もしている人は、課題の取得が上手く行っていないのかもしれません。結果が大切なのではなく、過程が大切なのです。

何回も同じクラスを、取らないようにする必要がありますね。同じクラスを何回か取ると、嫌になりますから。実際は同じクラスでも、先生や生徒が変われば、少し違った感じになりますけど。

私は学校の成績をつける行為が好きではありません。付けられた成績は、何をどう会得したかを反映していないからです。でも人生における、神が付ける成績は、実践でどれだけこなし、課題をどれだけ会得したかを、始めから終わりまで、しっかり見ているので、公平です。実際に成績は神が付けるのではなく、本人が付けているのですけど。

もし、何かを失敗をしても、それは大きな成功なので、減点される事はないです。むしえろ人よりも多くを会得しています。

ハリーポッターを見ていると、ザ ロード オブ ザ リングス や スターウォーズを思い出させます。少年達の成長を通して、仲間達との交流、邪魔が入ったり、人に助けられながら、困難を乗り越え、目的を達成する。神話や冒険物の基本ですね。

私達の人生もこれらの物語のようです。自分達の成長を通して、色んな困難を乗り越えて、目的を達成する。もちろん、困難だけではないです。困難は一部ですけどね。

Friday, November 6, 2009

野菜万歳

隅々まで。


菊座かぼちゃ


ハロインは終わってしまいましたが、いま巷では、いろいろな種類のかぼちゃが出回っています。

今日は菊座かぼちゃ(Kikuza squash)を、ルームメイトがベイクしてくれたので、頂きました。彼が、「これは日本のかぼちゃだよ」と言い、私は今までに菊座のかぼちゃを食べたことも、見たこともないので、知らなかったのですが、インターネットで調べたら、日本かぼちゃでした。

日本かぼちゃを日本でなく、ここミネソタで初めて食べました。味は甘みが少なく、控えめな味です。日本のものは何でも味が控えめですね。甘みの多い、ホクホクしたかぼちゃが好きなので、味が控えで、ホクホクさ加減のないかぼちゃに、目もくれていませんでしたが、たまにはいいですね。おいしいです。

ルームメイトがクックした後で、種を捨てようとしたので、種も食べられるのではと、提案しました。種が食べられる事は知っていました。かぼちゃを調理するとき、種をとって、洗って、オーブンで焼きます。カリカリしたかぼちゃの種はとてもおいしいです。ちょっと作るのが手間ですが、ちょっとした手間で、自然のスナックを楽しめます。

私は出来る限り、全部の部分の野菜を食べます。よく野菜の芯を捨てたり、皮をむいたり、する人が多いですが、調理すると野菜の芯はとても甘く、皮も気になりません。芯や皮の部分には栄養が多いので、自ら栄養のある部分を捨てているようなものなので、なるべく全部食べましょう。

ベジタリアンの人でも、平気でその部分を捨てたりします。私には理解できません。野菜の有り難みを知らないで、ベジタリアンでいるのは変ですから、私にとって。ゴミも減るし、皮剥く手間も省けるし、栄養も取れるし、いいことだらけ。

思いなおしてみると、野菜の色んな部分を捨てていませんか。今年の夏は、スイカの白い部分でデザートを作ってみました。おいしかったです。スイカの赤い部分を食べた後に残る白い部分と皮。これが、とてもゴミ箱をいっぱいにし、重くするので、緑の皮だけ捨てて、白い部分を料理しました。冬瓜みたいなものです。甘みを付けて、冷たいデザートに。あっと言う間に冷蔵庫から無くなりましたね。

食べられる喜びは、生きている証拠です。余すところなく、いただきましょう。いただきま~す。

Monday, November 2, 2009

写真は語る

生きてる写真。



壁に貼ってある写真。


11月に突入ですね。11月になると少しどきどきします。この1年が終わるのを、告げているようだからです。新しい年を迎えると、誕生日がやって来るので、歳を取るのが怖いです。何だか、何もしないうちに、年寄りになってしまう気がして。(実際は色々やっているのですが、それでもし足りないです。。。)

荷物の整理をした時に、以前チベットのお店で貰った、ダライ・ラマのポストカードが出て来て、それを壁に貼りました。

低い机の上に貼ったので、机の上に置いている物を取ろうとするだびに、何かすごいエネルギーを感じるので、その方向へ顔を上げると、ダライさんの顔が飛び込んできて、とても驚きます。

さすがにダライ・ラマくらいになると、写真からもすごいエネルギーが出ていて、この人の凄さを感じさせます。

実はどんな写真でも、被写体からエネルギーが出ているので、写真を飾るのは、決してわるくないです。もちろん、気に入った写真や人でないと、そのエネルギーを受けるのですから、何でもいい訳ではありません。写真はリーディングをする時には、とても有効です。

それくらい、力があるので、昔は写真を取られるのは、魂を取られると、怖がられても無理はないです。ま~よく写真を発明したな~と関心します。

読者の中には、ダライさんの写真から、リーディングは出来ないのかと疑問を持つ方が、いらっしゃるかもしれませんが、この人クラスになると、こっちが読むのではなく、読まれている気がします。もうエネルギーが凄すぎて、吸い込まれれる感じです。途方もない所に連れていかれる感じです。余りにも凄くて、怖くてずっと直視できないです。

もし、ジーザス(キリスト)が写真のある時代に生きていて、写真があったら、それからどんな感じを受けるのでしょうか? ブッタの写真と目が合ったら、どうなってしまうのかしら?

手軽な方法で、エネルギーを受け取れる時代なんですね、今は。そう思うと凄い時代だわ。

Thursday, October 29, 2009

音の響き

音の持つ力。




私のブログを、読んでいただいている方々には馴染みのカレン・キングストンのお弟子さん、トレシーのワークショップを、前回のニューヨーク訪問の時に受けました。その時にとても関心したことがありました。

ワークショップ自体は話を聞いているだけなので、朝から晩まで英語。まるで学校でクラスを取った感じで、とても疲れました。そんな事何年もやってないので、頭がふらふらになりました。

さて、関心した事とは、ワークショップの終わりに、受講者3人が選ばれ、前に出て各々が椅子にすわり、トレシーが真鍮の大き目のベルを、座っている受講者の足元から少し離れた所からベルを鳴らし、反響しているベルを足元から頭へ体の中心にそって移動させ、彼女の腕が届くところまで、頭の上にそのベルを上げていきます。それを3人に各々3回やりました。

ベルは反響して、ウオ~ン、ウオ~ン鳴っているのですが、ベルを動かす体の部分で、その反響している音が、小さい場所と大きな場所があり、また人によって違うのです。それが、なんと3回目には音の響きは同じになっていきました。

トレシーはその音の響きで、リーディングをしていました。各々にアドバイスをしていて、3人の中にはとても感激する人もいました。(ベルを使うのは単に手段だけだと思います。まるで昔の手相を見ているようで、見ていない私みたいな感じですね。)

関心したのは、体から発せられている波動を、ベルを使って調整できる事です。
簡単に言うと、チャクラが一種の波動(聞こえない音を出しているようなもの)なので、それを音調することで、各々のチャクラのバランスを良くするもの。バランスが良くなれば、気分は良くなるし、健康にもなれます。

トレーシーのベルはまるで、楽器の音を合わせるための、音叉みたいな働きをしたのです。または、オーケストラで音合わせをする、第一バイオリンみたいなものです。オーケストラの楽器は各々音の高さが違いますが、共通する音があるので、合わせられるわけです。

もしかしたら、チャクラも同じ音の波動を出し続けているのではなく、バイオリンやビオラ、チェロ、バスのように、高音重視、低音重視の楽器ような感じなのかもしれません。チャクラの場所によって、ソプラノだったり、アルトだったり、テノールだったりと、音域があるのかもしれません。

ベルが弱く反響する場所は、チャクラの元気が無いところなのかもしれませんね。

音はスペースをクリアリングすることも出来ます。全ての物は波動で出来ているので、スペースにある物や壁が出す音が不協和音になっていれば、心地が言い訳がありません。ベルを鳴らすことによって、調音されるのだと思います。物が多いと綺麗な和音になるのが難しいのかもしれませんね。だから、最低限のものを持つ事が大切なのかもしれません。

美しい音楽をならしても、スペースクリアリングになります。同じ理屈です。

日曜日や定期的に教会や宗教関係が、ベルを鳴らすのも、スペースクリアリングをしているのだと思います。

波動は影響し易いので、自ら良い波動を出しとけば、周りも良くなるわけですね。

一人でこのベル実験は難しいかもしれませんので、友達といっしよに、試してみてはいかがですか?ベルはなるべく自分にとって心地いい、綺麗な音を出すのがいいです。何たって、その音に合わせていくのですから。

この事が、実感して分かっただけ、このワークショップは価値がありましたね。ありがたいです。

Tuesday, October 27, 2009

自然の色に囲まれて

紅葉の季節。




今ミネアポリスは紅葉真っ盛りです。数日で葉が落ちて、冬に本格的に突入するのでしょうが、今は葉が赤や黄色になっています。

ミシシッピー川沿いは木に囲まれているので、橋から見た風景は絶品です。昨日は車を走らせて、用事をしたので、帰り道に橋を通ったときに、余りにも綺麗なので、歓声を上げたら、川沿いを少し走ってくれました。川沿いの木々は黄色に変わった葉が、一面に覆っていて、黄色い何かに包まれた感じでした。

その時とても強いエネルギーを感じたのです。たぶん色にはエネルギーがあって、それぞれ色で、エネルギーの種類が違うのでしょう。しかも自然が作り上げた色は、とてもエネルギーが強いです。緑の葉に覆われた木々の中を走るのと、黄色に変わったのとを走るのとでは、とても違う感覚に襲われました。緑は安心感があるのですが、黄色は高揚させるものがあります。

人々は紅葉を見るのが好きですが、単に葉の色が綺麗で、楽しんでいるだけでなく、本能的にエネルギーを貰って、これから来る冬の準備をしているのかもしれません。生活に忙しいと、紅葉していることも気が付かないかもしれません。そんな危惧のある現代生活のなかで、意識して自然に注意を向け、自然からエネルギーを貰いませんか。

もし葉の色が青に変わったら、紅葉はうきうきしないと思います。黄色や赤がとても刺激的な色なので、高揚するのだと思います。紅葉は高揚する、なんて駄洒落みたいですが、これは偶然でしょうか。

短い一時にあるこの葉の祭典を見て、高揚して、エネルギーを蓄積しましょう。冬が寒い所ほど紅葉が綺麗なのは、それだけ冬に向けてのエネルギーが必要なのかもしれません。これは自然からの贈り物ですね。

Monday, October 26, 2009

土と遊ぶ

陶芸と私。



土曜日は私の展覧会のオープニングレセプションでした。さすがに疲れましたが、終わってホットしています。まだまだ、心配事や、気の進まないやらなくてはならない事があるので、一日何も考えないで、DVDを見たり、DSゲームをしたり、昼寝をしたりと、だらだらと一日を過ごす日が来ないかと、願っています。考えないでいいのが、とても休まります。

今から考えると、どうして陶芸に興味を持って、自分で作ってみようと思ったのか分かりません。昔はとても不器用だった(今や訓練されているので、そんなに不器用ではなくなりましたが)し、26歳の時に急に陶芸をやろうと思い立った以前は、陶芸をやった事がなかったのに、急に思い立ってからやりだして、あれやと思う内に何十年もやっている状態です。

この陶芸をやることによって、リーディングが出来る特殊能力を、開花したといっても過言ではありません。土や火との対話によって、ネイチャーとの交信を可能にしたのです。それが、スピリチャルな世界との関係を自然に即した感じです。

誰でも陶芸をすれば、スピリチャルな世界を知ることができるかと聞かれたら、Yesと答えます。別にスピリチャルな世界を知るのに、陶芸をしなければならない訳ではありません。それは陶芸だけに関したことではありません。物を作るのにとてもインスピレーションが大切です。それは直感で、直感はいわゆるサイキック能力なので、直感やインスピレーションを使うことを頻繁にすることによって、能力が開発されます。

素材を良く知らないと、いい物は作れないので、使う素材をよく研究したり、素材そのものを感じたりすることによって、言葉ではないコミュニケーションが図れます。言葉をはなさない物との対話が出来るようになれば、見えない世界だって見えるようになるものです。

色々な物を理解するのに、情報が必要になります。人間関係でも、相手を知ろうとすれば、その人に関した情報を得ようとします。情報を得ようと思えば、どんな物からも得られます。感じる機能を発達させればいいのです。そして、自分の波長と物とかの波長を合わせることによって、宇宙の法則が分かったりします。波長を合わせることは、共存にも繋がるので、その共存も宇宙の法則の上で成り立っているのですから、波長を合わせることによって、自分の位置が見えれば、周りも見えてきます。

こういった事に、気を向けて陶芸をしたり、生活をしていたら、誰だってスピリチャルな世界を知ることができるのです。

私は自分で作って、展示されたタイルのランドスケープの作品が好きでたまりません。何か次に発展するのを感じるからです。作っているときは、無心なので、出来上がってから、作品は私に語りかけてきます。それは至福の時間です。

Thursday, October 22, 2009

月とダンス

長いお付き合い。





古今東西多くの女の人が、生理痛などに悩まされています。仕事柄、女性をマッサージすると、生理痛に悩まされているかどうか分かったりします。そんなに、生理痛が蔓延っててよいのでしょうか。

なぜ、マッサージ中に分かったりするかと言うと、腰の辺りにエネルギーを感じないからです。私的には腰に力が無いと表現します。腰に力が無いと生理痛や婦人病を伴い易くなります。多くの人が腰に力が無かったりします。これは困った事です。

生理痛があるかないかに関わらず、ナプキンを布に変えてみて下さい。市販のナプキンはケミカルが多く、とても体にいいものではありません。

実際、市販のナプキンが、体に対する影響を私自身も知らなかったのですが、布ナプキンに変えた後の、変化にはとてもよい実感があります。

生理をコントロールできる話もあります。排泄の様に、トイレにいってそこで出すこともできるそうです。タオ-道教にはその訓練の仕方があります。筋肉を鍛えてコントロールできるようにするのだと思います。かなり古い時代から女性達はその方法でコントロールをしてきたのだと思います。ここの時代にきてその方法が廃れてきている。使い捨て時代による、婦人病の蔓延ですね。布ナプキンに変えると、多少なりともコントロールできるようになり、ナプキンに残る量も減りますます。期間も短くなったりします。

使い捨ては便利ですが、ちょっとした手間で、ごみも減り、体の調子も良くなり、腰の辺りのエネルギーも沸き、物事が静かに流れて行きます。生理というリズムによって、感情に乱れを生じさせるのであれば、上手くいくものも、上手くいきません。

せめて、コットンでできているナプキンに変えた方が、いいでしょう。それでも、自分でナプキンを洗い、体調を実感したり、命を感じたりする些細な体との向き合いが、自分を愛する機会を設けてくれます。それは、使い捨てでは味わえない感覚です。

めんどくさいと言って、その代わりに何をするのでしょうか。大したことはしていないように感じます。

生理痛や不順、何かしら生理に問題がある方は、一刻も早く変えて見て下さい。体が喜びます。

Tuesday, October 20, 2009

My Exhibiton

気を通す。


The Subconscious Landscape III -Mother Earth-
                           Junko Nomura


とうとう、展覧会がSt John’s University, MinnesotaのArt Center で始まります。この展覧会が一つの人生のターニングポイントになってます。これをやることによって、いろんな事が関わって、大きな波を作った感じです。

まず第一に、ニューヨーク州ニューポルツに借りていた、セルフストレージにあった私の陶芸作品と私物を片付けました。陶芸の大きな作品をミネソタに送るためにNYに行き、ストレージにあった物をなるべく処分して、いるものだけをミネソタに送るのが目的でした。陶芸の作品も泣く泣く処分して、最低限にしました。私物も大半を処分しました。困ったのが書類、資料、本関係で、これは仕方なく送りました。何せ、陶芸関係の本は捨てられないし、道具とかもあるので、それでも結構な数の荷物をミネソタに送りましたが、今住んでいる小さな私の部屋に収まる程度の私物です。

NYの人の所に置いてあった私物も、処理しました。そしたら、いろんな事が回ってきました。マッサージの仕事も忙しくなってきて、どうにかやっていけそうです。

ミネソタへの送料も結構な金額でしたが、何とか払えそうです。

このブログでも再三言っていますが、不要なものは処分したほうが、いろんな事が回ってきます。エネルギーを取られているのですね、知らないうちに。

それに、気が楽になります。何故だか気が楽になるのです。実感しています。

必要なものは入って来ますので、何事も心配はないです。もし、貯める癖のある人は、それを解消するために、一度貯めた物を吐き出して、無い状態にして生活して見て下さい。無いは無いなりになんとかなるものだと認識して、癖を直せます。

私はトイレットペーパーをストックしていないと、心配になる癖がありましたが、ここに来て何故かルームメイトとトイレットペーパーをシェアすることになり、ストックしなくてもいい状態になりました。

NYからミネソタに送った、大きくて重い陶芸の作品が、5つも送付中にこなごなに割れてしまうハプニングが起こりました。さすがに、もう二度と作れない作品が、こてんぱに割れてしまったのにはショックでしたが、ショックを噛み締める暇が無かったので、かなり冷静でした。しかし、今朝見た夢は友人がその作品が壊れた話を聞いて、おいおい泣いているのを、私が慰めるものでした。内心はやっぱり悲しいのです。でも、夢を見て悲しい自分を知り、それを受け止めることで、その事と決着が付きそうです。

ことにより作品の数も減り、展覧会が終わった後の引き取りも、少しは楽になる感じです。

これで、物が入って来易くなり、これを機会にまた陶芸に戻れるかもしれません。そうなると、とてもうれしいです。アートはやっぱり好きですから。

人間関係にも何か変化が見られて来ました。継続組ももちろんいますが、入れ替え時期のようです。新たに付き合う人、去っていく人、それぞれです。

実際は何も変わっていないかもしれませんが、私の中では何かが変わってきました。以前よりも、もっといろんな事を受け入れ易くなりました。物事は自分の意思のままに、実は動いているのが分かるからです。思わぬ出来事も、実は自分の意思が働いているのです。

Monday, October 19, 2009

初雪

もう冬に入った?ミネソタ。






10月1日にニューヨークからミネアポリスに帰ってきました。2日の朝起きたら、窓からの景色が白っぽいので、何だろうと思って外をみたら、雪が積もってました。夜中に雪が降ったみたいで、景色が一転しているのにびっくりです。寒いはずだわ。もう雪だなんて。その雪もすぐ溶け、今は雪の残骸が残っていません。残ってほしくありません。まだ早すぎる。

今週は天気もよく、温度もさほど寒くないので、葉の色が変わったのを楽しめます。

長い間、このブログもお休みしてましたが、再開いたします。ずーと壊れていたパソコンが急に動き、インターネットも使えるので、超ラッキーです。NYに帰って来てから、展覧会の準備でとても忙しく、インターネットがあると遊んでしまうので、遊ぶな、しっかり準備せよとのPCのメッセージだったのでしょうか?それにしても動いてよかった。

先月のニューヨーク滞在は、相変わらずいろんな事が起り、そしていろんな人に会って、楽しかったです。スペースクリアリングとアレキサンダー テクニックのワークショップも取り、置いてあった私物の整理もし、ジュド・ロウ「ハムレット」を見てなどなど、とても忙しかったですが、いい事もそうでない事も、自分の失敗も成功も含めて、色んな意味で勉強になりました。行きも帰りも天候の為に、飛行機が遅れ徹底的に疲れさせてくれましたが、いろんな人の助けにより、無事に家路につきました。

NYでお世話になった方々に、御礼申しあげます。ありがとう。

特に宿泊させていただいた、友人Mには言葉もないほど感謝しております。しかも任天堂のDSをいただいて、満喫させてもらってます。

日本のゲーム文化の輸出はスゴイものです。Wiiに続きDSにもやられ、しかもDSは持ち運びができるので、ちょっと待たされている時には、時間つぶしにもってこい。ルームメイトのゲームを借りたりと、時間と交友を有意義??に使わせて貰っています。

今後もブログの応援よろしくお願いいたします。

Thursday, September 10, 2009

懐かしい場所

New York!



今日の朝目覚めて携帯の時計を見たら、9:00 09/09/09なのでとても驚きました。(朝早く起きている方には、申し訳ない時間に起きています。)それだからかもしれませんが、今日は頭の中にあった混乱が解消出来ました。とてもラッキーで爽快です。今は同時に幾つかの事を進行させていて、一つ一つに問題が生じてしまって混乱していましたが、それが解決されたので少し安心しています。まだ物事が終わったわけではないので、気を抜けませんが、とりあえず進める事が出来るので、よかったです。

私にとって、たまにニューヨークシティに行くのは刺激になっていいです。NYCに住んでいた時も、今も、普段行かなくなってしまう美術館も、行く気マンマンになってるし、9月からメトロポリタンオペラも開始されるので、ウキウキしているし、スピリチャル系のワークショップも受けることにしたし、友人の好意で劇も見に行くことが出来るし、色々な事が新鮮な気分で出来るのがとても嬉しいです。

もちろん、懐かしい人々に会うのは掛買いのないことです。なかなか知らない土地で、友達を作るのは難しいし、それに日本語で会話出来るのが嬉しいですね。何故か私にとってここミネアポリスで日本人の人に会えません。多くの日本人が住んでいるにも関わらず、会えないのです。

会おうと試みて、イベントに参加しようと思うと予定が入ってしまったり、行けない状況になってしまったりするのです。こうなると諦めて、ミネソタの人々と交流しかないです。

ここミネソタの人々は少し日本的な所もあって、ストレートな物の言い方をしないし、人のいい人達です。のんびりもしてますし、何よりも皆ミネソタを愛しています。ミネソタで生まれ育った人が多く、それでいて外国人も多い。大きなファーマーズマーケットがあるのが、最高に素敵です。

でも、そんなミネソタを後にして、心はニューヨークです。ニューヨークの皆さん宜しくお願いいたします。

Wednesday, September 9, 2009

時間が無い

時間というマジック。


月日が経つのが早くって、あれやあれやともうニューヨークに行く日(11日。NYCには16日から)が近づいていて、次にはたと思ったらNYCにいる自分に気がついたりして、意識はとても時間のスピードに追いついていってない状態になりつつあります。

よく時間そのものは無いものであると言いますが、それは意識の問題に関わっているからでしょう。意識の変わりようで時間の観念も変わります。てことは、時間の進む感じ方が変わるのです。たぶん実は人によって時間の進む感じ方が違って、でも比べる事が出来ないので、時計の進みを基準に、皆が同じ様な時間の中にいると思っているのではないでしょうか。

それでも、各々が感じる時間が、そのときの状態で違って感じる経験はあると思います。たとえば、待ち合わせをして、相手が来るのを待っている20分はとても長く感じるし、気のあった友達との1時間の会話は、あっという間に過ぎてしまうなどです。

何かに集中すると、時間が経つのが早いことが多いですが、私の場合、集中して何かをした時に時間が経つのが遅い時があります。感覚的には1時間は優に経っていると思っているのに、実際は20分しか経ってない時があります。(こんな時はラッキーですよね。)はたや、陶芸などをしている時は感覚的に2時間くらい経っているだろうと感じているのに、実際は6時間経っていたりします。

5~6時間経っているを知らないと、外の景色がまったく変わってしまっているのに、とても驚きます。(昼だったのが夜になっているとか。)

誰でもこのような経験はあると思います。だから、時間が経つのは一定ではないと言えるのですが、蛇足ですが、リーディングをしている時に、とても時間の観念がなくなる時があります。自分がどこにいるのか分からなくなる感じです。いろんな時空に飛んでしまい、時間の感覚が失われます。過去も未来も現在も、何も変わらずそこに存在している感じです。その時に本当に時間ってないんだな~と感じるのです。

時間を意識的に使うのは、とても有効な方法かもしれません。学校に行って時間割が無いと、何をやっていいのか分からなくなるように、計画を立てないと、ただ何も無い空間にいるような状態になります。計画を立てる。それでいて、それに捕らわれない。いつでも変更可能になり、それに対処できるようにしておく。時間を使うことは、人生そのものになりますね。計画があってないようなもの。時間も人生も。

明日は9月9日09年です。ぞろ目の日なので、パワフルですよ。いいことあるといいですね。

Sunday, September 6, 2009

侮れないものたち

生きるためのテクニック。




ただ今、我がアパートに猫がやって来て、一緒に住んでおります。

ルームメイトの娘さんが3ヶ月間スペインに行くので、その間彼女の猫を預かています。来てから3日ぐらいは姿も見せず、猫がいること自体知らなかったのですが、好奇心に負けてか、向こうから私の部屋をドア越しに覗きに来ました。

音もたてずに覗くものだから、かなりこっちが驚いてしまって、向こうは”なんだこの人”みたいな感じで去っていったのが最初の接近で、次の日から私の部屋への訪問が始まりました。

今度の猫はメス猫のグレースです。前回のジェフリーとは違い、かなりお茶目な活発な少女なので、ルームメイトは手を焼いております。要は、お腹がすいたらじっとしていられない彼女に、キャットフードを用意するのを忘れて寝てしまうルームメイトが、彼女の騒ぐ音に悩まされているだけのように思えます。

ま~まるでお腹がすいた人が、冷蔵庫を開け閉めして、食べ物を探すようなものです。

ジェフリーはその点出来た猫だったので、ルームメイトが起きるまで、じっと待っていたのです。(ジェフリーは乾燥したキャットフードなどを食べなかったので、彼のフードは冷蔵庫に入ってあったので、置いときぱなしに出来なかったのです。クレースは乾燥したキャットフードを食べるので、楽だと思います。)

しかし、猫は性格の違いが顕著ですね。この前会った知り合いの猫も違った性格だし、もう明かに波動が違うとといった感じ。しかも猫は媚びる。

猫は自分のして欲しい事に対して上手く人間を動かそうと、媚びたり、甘えたりする。散々甘えて、相手をしてあげても、主人が帰ってくると、一目散に主人のもとに行って、あたかも”貴方の事を首を長くして待っていたのよ”とばかりの貞淑な態度をとる。

犬は、犬によるけど、主人が居ないときは、リラックスして主人以外は、自分よりも見下して、横暴な態度を取り、まるで自分が主人の様になり、主人が帰ってくるとお決まりのような大げさなジェスチャーで”寂しかったよ~”と演じてみせ、相手の同情をあおる感じの態度を取る。

この事は賛否両論でしょうが、私にはまるで、猫はいつでもそこに帰って来たくなる女で、犬は離れられなくなる女の様な感じがします。だから、犬依存症の人は多いのではないかと思います。離れなれなくなる女の手にやられているのです。

どちらにせよ、テクニシャンなので、恋愛べただと思う人には男女の別無しに、かなり参考になるので行動を観察するのもいいと思います。

彼らたちの方が我々よりも、一枚も二枚も上手だから。。。

Thursday, September 3, 2009

母なる大地からの愛

根を張る。



ブログを読んでいただいている方から、グランディングについてのリクエルトを、頂いたのでもう少しそのことについて書いて見ます。

以前6月27日付けの「地球と共に」の中でグランディングの仕方を述べました。(やり方が書いてあります。)グランディングは一種の瞑想方法だと思います。一言で瞑想といってもやり方や、種類がいっぱいあって、瞑想が出来ないという人は、自分に合った瞑想方法を見つけるのが、早道です。一旦どんな方法であれ、瞑想が上手くいくと、以前やって上手くいかなかった瞑想でも瞑想状態に入れるようになると思います。要はコツを掴むということですね。

瞑想の種類の中でも、宇宙に繋がり易いもの、自分自身の奥底に触れるものなどありますが、グランディングは地球と繋がり、自分のエネルギーを地球に流し、地球からのエネルギーを受け取る。最後は宇宙にエネルギーを放出し、また受け取るといった感じです。

地球と繋がると、安定感をもたらせます。文字通り地に足が着く状態になるのです。私が思うには、エネルギーが上にあがって宇宙と繋がりやすいですが、エネルギーを下に持っていくのは結構難しいものです。頭に血は上るとは言うけど、足に血が下がるとは言わないのと同じです。

地球に自分の負のエネルギーや疲れたエネルギーを送って、地球の力強いエネルギーを頂きましょう。地球は暖かく受け入れてくれるので、安心してそれらのエネルギーを送れます。だから、地球は母なる大地なのです。

ヒーラーになりたい人や、ヒーラーの人には特にこのグランディングは大切です。エネルギー補給になるからです。そうでない人でも、地に足が着けば心配や不安がなくなり、どんと構えて生活ができるようになります。重心が下にいけば安定できるのですから。

どんどん地球と繋がりましょう。母なる大地は待っています、みんなが繋がって来るのを。

Monday, August 31, 2009

水されど水

言葉の力。



この頃は天気がいいけど、とても寒くて、朝夜は10C°を下まわり寒い。もう秋の気配ただよう(もうすでに秋なのかな~)ミネアポリスです。

8/15に自転車の前車輪+タイヤを盗まれてから、何だかいろいろと忙しくなり、ブログの更新がなかなか出来ない状態になりました。(更新がんばります。)

以前話していた仕事もパートタイムとして取れて、前車輪+タイヤも安く良いのが手に入り、マッサージのお客さんもぼちぼち(今月は赤字ですけど)、10月の展覧会の準備(10月に私の陶芸作品の展覧会をミネソタのSt. John's 大学でします。)も少しづつ進んできて、何だか物事が回ってきて、悪いことが起こった後のありがとう効果だと思っています。

決して悪い出来事も悪くなく、いい方向に向く起点ですね。だから、怒ったり、ガッカリしなくても大丈夫。負から正に変わるときは、大きなエネルギーが働くので、物事が回ったりしてきます。気持ちの切り替え一つです。悪い事に捕らわれていたら、また、負を呼んでしまうので、悪い事が起きたらラッキーと思うといいですよ。

実際そんなに楽観視するのは難しいですけど。なんたって、頭から岩が落ちてきたような、ショックは受けるのですから。私は受けましたね。頭上から岩が落ちて、立ってられない感じ。楽観視が難しければ、心配しないのが、一番肝心要です。心配が一番いけない。何かあったら、心の中で唱えて下さい。心配しないと。心配は心を配りすぎて、心ここにあらずやになってしまい、何も出来なくなるからです。何事も心配後無用。

このありがとう効果はなまじっか嘘ではなく、ポジティブな言葉にはよいエネルギーがあり、そのエネルギー(波動)が全てのものに影響します。人や物、自然や地球、そして宇宙と。

水の結晶のについて書いた本、「結晶物語」江本勝著は、水に音楽を聴かせたり、言葉を掛けたり、言葉を水のビンに貼ったりした水の結晶を写真に撮った本です。

ポジティブな言葉を見せたり、言ったりした水の結晶はとても綺麗です。

反対にネガティブな言葉を見せたり、言ったりした水の結晶はくずれた結晶、又は結晶になりません。

音楽でもハードロックの曲は水の結晶が壊れてしまいます。

その本にも言っていますが、人体は70%が水分なので、水がネガティブな言葉や感情に影響を受けるのであれば、人体に影響しないはずはないと。全くその通りだと思います。全ては波動で出来ているので、全てのものが全ての波動に影響します。ましてや、水は生命の源なので、余計に心身と密接です。

人間は言葉という波動を生み出し、それを外に放出する事が出来ます。と言うことは、言葉一つで波動を放出し、全てに影響を与えることができる能力があると言うことです。

しかも、自分の出した言葉に対して、自分自身にも影響を与えてします。

なら、いい波動を放出して、いい影響を全てに与えたいですよね。それにそんなに難しい事ではなのですから。

とても興味深く、水の結晶の綺麗な写真が満載の本です。英語版もあります。、立ち読みして見てはいかがですか。なるほどと、思わされます。

Thursday, August 27, 2009

私のバイブル

掃除の勧め。



  
何度もこのブログで私は、掃除(整理整頓も含む)をすることを勧めています。掃除をすることによって、物理的にきれいになるだけではなく、見えないエネルギーレベルでもきれいになり、何と掃除をした本人もきれいになるからです。

掃除の大切さはカレン・キングストンの本を読んでからと、とても辛いことが私に起こった時に友人から掃除をすることを勧められたのと、実際に掃除をした後の効果を何度も実感しているからです。

実は掃除は瞑想と同じなのではないかと、思っています。掃除というきれいにする目的に向かって、ひたすら体を動かしながら、単純な作業をする。掃く、拭く、擦る、掃く、拭く、擦る。どれも手を使って行います(どれも手偏でしょ)。この作業が瞑想状態にするのではないかと、思っているのです。

何も考えないで掃除をする。又は何か色んなことが頭の中で浮かびながら掃除をする。どうであれ、掃除をした後スッキリする。落ち込んでる時、眠れない時はもう掃除するしかないです。何か悩んでいることや、もやもやしたことが、掃除と共に自分も掃除されるからです。瞑想状態になって、ストレスを取り除くからです。

特に、トイレやお風呂、台所の水周り関係を重点的にやるととてもスッキリします。それに、水周りはエネルギーが溜まり易く、良くないエネルギーが留まり、しかもエネルギーが逃げ易い、良いエネルギーが出て行ってしまうのです。

ニューヨークで一緒に住んでいた友人Yさんは、よくトイレをきれいにしておくと、お金が入ってくるんだよと言っていました。私もそう思っています。良くないエネルギーを追い出し、良いエネルギーが回ってくれれば、必要なものは入って来ます。

徹底的に掃除した後は、シャワーを浴びて、掃除と共に着いた負のエネルギーを洗いながしましょう。もう、簡単にリニューアルされた自分になれます。

騙されたと思って、やって見て下さい。スッキリすると思います。(もしスッキリしないなら、手を抜いて掃除しているか、余計な物を持ちすぎているからでしょう。)その後、公園でも行って一息ぬいたら、それはもう天国にいる感じがすると思います。

ついでに、カレンさんの本を読むのをお勧めします。彼女の本を読むと、やる気になって、要らないものを捨て始めます。そうなったら、しめたものです。住んでいる所や仕事場がきれいになって、気が流れます。気が常に流れた状態がいいですね。

私も掃除、整理整頓しなくっちゃ。本がベットの上を占領し始めて来た~ 私の悪い癖だ~ 

「ガラクタ捨てれば未来がひらける」カレン・キングストン 小学館文庫
( “CREATING SACRED SPACE WITH FENG SHUI” by KAREN KINGSTON)

「ガラクタ捨てれば自分が見える 風水整理術入門」カレン・キングストン 小学館文庫
( “Clear Your Clutter with FENG SHUI” by KAREN KINGSTON )

Tuesday, August 25, 2009

地球が変われば我々も変わる

母なる大地。



この頃ブログの更新のペースが落ちていますね。自転車の前車輪とタイヤを盗られてから、いろいろな事が起こって、忙しくしております。

サイキックの友人がメールで、8月15日に地球がまた大きくシフトしたことを、教えてくれました。真実の魂の家族との出会い、絆が深まる、というテーマが始まってるそうです。

まさしく、その15日に盗難にあって、偶然ではない感じがします。

地球のシフトと聞いて、???、となる方がいらっしゃると思いますが、私も余り詳しく分っていないのですが、マヤ文明のマヤ暦が2012年に終わり、地球が大変動を起こし、破局するとか、新次元に移行するとか言われてます。その2012年の間に何回か地球がシフトするという話です。

2012年に何が起こるか分りません。地球が破局するとは思えません。でも何かの節目にはなるかもしれませんね。

このマヤ暦の話は置いといて、地球も生きているので、シフトしたり、変わったりすると思います。そのたびに、その上で生きている私たちに影響が無いはずはありません。地球のエネルギー無しに、生活は出来ませんから。それに、地球からエネルギーを貰って、心身ともに、豊かになれます。(グラインディングがとても大切なんですよね)見えない次元で大きく我々も関わってきます。

今回のテーマ、真実の魂の家族との出会い、絆が深まる、のは素敵ですね。出会いや誕生が身近に起きるかもしれませんね。人と人との絆が深まれば、地球と人々の絆が深まることになると思います。全ては一つであることを実感するのです。

この地球のシフトで、大きくその波に乗っちゃいましょう。何が起きても大丈夫です。深い絆と結びつくのですから。すてきな地球、ありがとう。

Sunday, August 23, 2009

噛まれたい

意識と現実との時差。



またもや、映画「Twilight」を見てしまいました。たぶんこれで、3回目かもしれません。

バンパイアの映画好きなのもあるかもしれませんが(いろいろなバンパイア映画を見ました)、バンパイア役のロバート・パティンソンが結構カッコイイんです。それに、バンパイアと人間の恋なんて、ロマンチックですよね。何せ相手は人間の生血好きなんですから。。。。

この映画の話に引かれるのは、主人公が素敵だからだけではありません。この主人公は人々の心が読めるのです。だけど恋に落ちるヒロインだけは心が読めず、気になる存在になっていくのです。私も恋に落ちた人や、とても気になる人のリーディングはできません。

よく知り合いが私に、男の人に出会ったら、その人がどんな人かリーディングして、付き合う前にそれが分るのっていよね、と言いますが、私の場合、人目惚れなんかしてしまったら、全く分りません。一目惚れでなくても、恋愛の気持ちが入ってしまったら、もう読めません。リーディングした後に恋に落ちて、その人の付き合いは苦労することを知っていても、落ちたら止められません。それが恋愛なのですから、仕方がありません。

恋愛だけでなく、とても近しい人(親、兄弟など)もリーディングできません。たぶん自分の気持ち(期待や希望)が入ってしまうからだと思います。

映画の主人公の様に普段読めるのに、読めない人がいたら、それは興味深々になるのは、とても気持ちがわかります。それこそ、恋に落ちたら、主人公のように、正体が人々にばれてしまう危険や、自分の立場や仲間たちの立場の危険さを分っていても、もう止められません。

恋は落ちるもので、するものではないのです。しかも、落ちたと分った時には、すでに落ちていて、意識は実状よりも遅れて認識します。だから、恋愛が始まった時は、その瞬間、瞬間を大切に味わないと意識は遅れているので、味わおうと思った時には実際終わっていたりします。だから先の事をあれこれ心配することはないのです。現実がどうなっているのか、意識は判断できないのですから。落ち着いてきて、意識と現実の時差が少なくなったら、少し考えてみるのもいいと思います。

恋愛していない時でさえ、この時差はあるので、何事も心配しても何も始まらないという言葉が当てはまります。実際現実がどうなっているのか把握しきれていなのいのですから。

まして、恋愛などしていたら、余計に分らないものです。

バンパイアに噛まれて永遠の命を得る。どうでしょう。我々も記憶にないだけで、かなり長い間、肉体を変えながら生きているので、永遠の命があるみたいなものですけどね。私の前世はパンバイアでないことは事実です。Hahahaha...

Friday, August 21, 2009

夏の風物詩?

天災は警告。




竜巻による被害


今年のミネソタの夏は、涼しくて、雨が多くて、夏ぽくない気候が続いています。昨日は暴風雨のなか又もや竜巻が発生しました。しかも今回のは凄かった。

お昼すぎに仕事をしていた時、サイレンが鳴り、何だこのけたたましいサイレンは?ラジオが無いので、ルームメイトに電話して(たまたま=必然、家に居た)そのサイレンのことを聞いたら、竜巻がミネアポリスの繁華街で発生し、北に向かっているらしいことを教えてくれました。もし、空が黄色ぽいか青ぽいなら危ないから、地下に非難したほうがいいとも言ってくれました。私のマッサージの仕事場は繁華街の南にあり、空はグレーだったので、大丈夫かと思いそのまま仕事を続行していました。

雨が降っていたので、バスに乗りその帰り道、窓ガラスが沢山割れているお店を発見。前に座っていた人が、竜巻の仕業だよ、と言ってました。

アパートに帰ったあと、仕事場に行く用ができて、雨も止んだので、自転車で行くことにし、途中仕事場からだいたい5ブロック離れた周りが、すごい事になっているのを発見。大きな木が倒れていたり、家のフェンスが壊れていたり、木の破片やら、枝やらが道に落ちていて、どうしたんだ?と近くの人に聞いたら、竜巻のせいだということだった。え~こんな近くに来たの~と思って、繁華街だけではなかった事に気がつきました。

それから、家に帰ったあと、インターネットで調べてみたら、街の繁華街の竜巻は私がその朝に行った、ビルの辺りでした。あるものを申し込もうとして、そのビルに行ったのですが、たまたま、その水曜日だけは夕方からの受付だったので、そのまま帰ったのです。もし、受付が始まっていたら竜巻が来た時間頃まで、その辺に居たかもしれません。あ~怖い。

竜巻が襲った後を見ると、その威力に驚かされます。しかも、私の竜巻のイメージは、何も無い平坦な所で起こるもの。牧草地にいた牛が竜巻で空に舞い上がってしまう感じです。しかし、この街の中でも竜巻は起こるのです。恐るべし、ミネソタ。

なんだか、竜巻の近いところにいながら、接近を免れた感じです。もうこうなるとラジオは必需品ですね。いろいろと勉強になります。

私は天災は人間に対しての警告だと思います。自然の何かのバランスが崩されていることの。

P.S.:9月の16日~10月1日までNYCに居ます。対面リーディングをいたします。興味のある方はご連絡下さい。sakuyahime88@aol.com まで。 よろしくお願いいたします。

Tuesday, August 18, 2009

転運のカギ

重要用語。



何せ次から次へといろいろな事が起きるから、人生は紆余曲折と思うのですが、本当はとてもシンプルなのかもしれません。いやいたってシンプルなんです。ただ、状況の変化に対応するだけの柔軟さや、気転を変えるのが必要で、それが無いと込み入ったことになだけです。

土曜日になんと私が愛用している自転車の前車輪を、繁華街の図書館の駐輪場で、盗まれてしまい、大ショック。しかも雨が降り始め、自転車を持ちながらアパートに帰ってきました。よりによって、一番お金が無いこの時に、盗まれてしまい、どうしてよいのかわからない状況に陥りました。

何が私に起こったのだろう。何を意味しているのだろうと考え、少しでもショックを和らげようと、頭の中を駈けずり周る無駄な努力をしながら、帰ってきました。

帰っている途中で、携帯電話で時間を見たときに、222、だったので、神様ありがとう。これはきっと悪いことではないんだわと思ったのです。落ち込まない、悲しまない事にしました。(それでもショックはショックですけど。)

その夜に、ルームメイトが友人から、前車輪を貸してもらい自転車は走れるようになり、その後直ぐに、マッサージを受けたいお客さんから久々の電話が入り、仕事をしに自転車で出かけ、途中で雨が物凄く振り出して、このままそのお客さんが来なかったら、よっぽどついてない日なんだな~と思いながら走り続け、びしょびしょに成りながら、到着。お客さんは遅れて来てくれたので、濡れた酷い格好も少しはよくなって対応できました。

次の日Facebookにタイヤを盗られたことを載せたら、友人が仕事のオファーをくれました。(まだその仕事ができるか決まっていませんが。)

何だかいい方向に向かっている様な気がします。実は何だか心の何処かでウキウキしいる感じがあります。

前に一緒に暮らしていたYさんが、何か悪いことが起きたら、ありがとうと口に出して言うのよ、とよくいっていました。斉藤一人さん(知る人が知る、超有名人)が提唱しているのを、私に教えてくれたのです。

それにしたがって、悪態をつかず、ありがとう。落ち込んでいる中、なかなか勇気のいることです。

今後これがどう発展していくか、少し興味がありませんか。もし、いい方向に行ったら、このありがとう効果は絶大です。ありがとうには、すごいパワーがあるのですから。お試しあれ。

Saturday, August 15, 2009

クイズの回答者

解答を探せ。




昨日は運良く映画”スラムドッグ ミリオネラー”を見ることが出来ました。以前からいい映画だからと、薦められてはいましたが、なにせ貧乏人なので、無料で見る機会を得ないことには見られません。だから、昨日見られた事は運命ですね。見た方も多いと思いますが、この映画はとてもお薦めです。

見て欲しいので映画の内容は余り書かないことにします。要はスラムで住む子供が成長して、ミリオネラーというクイズ番組に出る話です。それプラス恋愛も絡んで、実に良く出来た作品です。しかも、人生の真実が隠されています。そう言う意味ではスピリチャルですね。

始めはとても貧しい子供が、何とか生きぬいていく姿のたくましさに、自分はまだまだ甘いな~と思うのですが、見ていくうちに、あ~人生の真実があるな~と思ったのです。

クイズ番組の問題が、主人公の男の子の人生に直結して、回答を彼の人生の回顧に見出していくのです。そうです、人生の全ての出来事が、自分の人生の課題の解答に結びついるのです。

ひとつひとつの出来事が、気づきをもたらせる為にあるのです。気づきは解答です。だからこそ、すべての出来事には意味があるのです。

クイズや宿題の様に問題が提示されたら、解答を得るために問題について調べますよね。インターネットで調べたり、本で調べたり、人に聞いたりと色んな方法で解答を求めます。

人生もその様なもので、各人が持つ人生の主題や課題について、経験、体験という方法で答えを求めています。だから、すべて人生で起きることは無駄なことは一つも無いと言う事です。問いは一つではなく(大まかなものは一つかも知れませんけど)、関連して幾つもあるように感じます。なので、一つの体験がどの解答に結びついているのか分りにくく、しかも主題や課題が何なのか分らない所に、人生をミステリヤスにしています。

もし、問いが何であるか分っていたら、人生面白くないかもしれませんね。答えを得易く経験値が低くなる。頭ばかり働かせてしまい、心が置き去りになりがちになる。

ここが、上手く作ってある構造で、問いが分らない分、心(感情)を働かせないと問いが何であるか、問題が何であるかが分らない様になっている。なぜならその問いは自分の中にあり、問題の解答を得ようとしているにも関わらず、その問題が何か意識の上では分らない。解答を得た時は同時に問いが何で有ったのか分るようになっている。それでも、大まかな問題は自分なりに分っているのだけど。たとえば、恋愛、人間関係、親子関係、金銭関係などなど。(まるで記憶喪失の人が、記憶を取り戻すために、一つ一つの体験を検証するようなものですね。本人には記憶の装置があるのに、それを作動させるために、色々と体験して検証して、装置に油を挿すような感じです。)

もし辛いこと、嫌なこと、苦しいこと、好きなこと、楽しいことが起きたら、それは答えを得るために必要な事なのです。そしたら、嫌なことでも大した事では無くなりますね。後で役にたつのですから。

人生はその問題、解答、経験を得るためにあるのでしょうか。そうだと思います。いつも何かを探しているような感じを持つことはありませんか。思考あり、洞察力があるなら、それをただ生きていくためだけに使うとしたら、十分すぎると思うからです。

もちろん、人生は楽しむ為にあり、幸せを感じる為にあります。それは基本中の基本です。それでも、辛い事が起きたりするのですから、楽しくない、幸せじゃないと思うことしばしばあると思いますけど、でもそこには経験する幸せや楽しみがあるのです。何も心配はいりません。心配が一番よくありません。ただリサーチ中なだけです。

映画の中で「運命」という言葉がしばしば出てきます。全ては運命なのです。命を運んでいるのです。映画を昨日見ることによって、ブログに書くことが出来たのも運命で、それに遵っています。

Friday, August 14, 2009

星に願いを

聖なる数字。



ここ2,3日ペルセウス流星群の天体ショウが繰り広げらていましたが、天気が良かった小都市のミネアポリスでさえ周りに光が多くて、星自体が良く見えません。まして、私のアパートの周りは照明が多いので、余計に見えなかったです。でも一つだけ流れ星を見ました。(窓から外を見た途端に見えたので、あれは流れ星だと思う。結構大きかった。)星はロマンチックですね。夢があります。

以前に、宇宙からのサインはあちらこちらにあると言う話を、このブログに書きました。でも実際にどれがサインなのか、分らない事も多いと思います。人によっては質問を天に投げかけてから3日ぐらい後に、答えの文字が広告や宣伝、雑誌などから浮かび上がってくると言う人もいるので、サインをキャッチし易い人もいます。

でも、大抵何がサインだか分らない人が、多いのではないかと思います。実は私自身もサインを見逃す事が多いです。大概落ち着いていないと、サインをキャッチ出来ないですね。仕事が上手くいかないで、焦っていたり、恋に落ちて自分を見失ってしまっていたり、何だか塞ぎ込んでいたり、イライラしている時などは余裕がないので、サインなんだか自分が招いていること何だか分らない状態になっています。

そのつど、落ち着いて、冷静に、と自分に問いかけ、何かを待つ忍耐を得ようとします。神様に願ってもいいし、自分の成りたい状態を声をだして宣言してもいいし、とりあえず、空間に向かって声を出して、自分を落ち着かせるのはとても効果的ですし、宇宙に要望を提示することにもなるので、その後のサインが分ったりします。要望に対する反応は分りやすいですよね。

それでも目に見えて反応がなければ、近くに神や守護霊さん達が居てくれている事を実感できる方法は、数字です。数字がこれほど神聖なものだと言うことは、最近まで認識が無かったです。数字はとても神聖で、しかもどこにでもあるのです。もしデジタル時計を見たとき、ぞろ目の3桁もしくは4桁の数字でしたら、それはもうサインです。霊的守り主達を実感できます。デジタル時計でなくてもいいです。世間には、数字がいっぱいころがっています。ぞろ目の3桁もしくは4桁の数字を見たら、神様ありがとう!、と声を出して言って見て下さい。変化があります。

私は”222””1111”を良く見ます。その都度うれしくなります。あ~神様が近くに居るんだと思うからです。(神様は誰の所にも近くにいるのですが。)神様ありがとうと言ってしまいます。

いいことがやって来ますから、と言ってこれを薦めたくはありません。損得でこの神聖なサインを利用して欲しくないからです。でも、とても効果があります。疑うこと無しにやってみて下さい。ぞろ目を見たことが無い人がいたら、まずは星に願いをするところから始めてみるのがいいと思います。問いかける事がとても大切だからです。(要求ではありません。)

夏の星空を見ながら、夢を語るのも風流ですね。語っている間に流れ星を見るかもしれません。そうしたら、願いが叶うかも。星を見ていたら眠くなって、時間を見たらぞろ目だったりして。もうそうなると、頼りになる助っ人を得たことになりますね。思わず口に出して、神様ありがとう!

Tuesday, August 11, 2009

世界を支える36人

感激アート



St. Josephに居た時に、St. John's Universityのアートセンターのギャラリーで”Ink on Paper”というUkrainian/American artist Ben-Zion [1897-1987] の展覧会を見てきました。

これは、ジューイッシュ(ユダヤ)の神話、36人の知られざる人々、又は世界の中のただの人達(Just men in the world)からモチーフを得た版画の作品展です。その版画は36種の仕事を描き、それに作家の書いた詩が一枚一枚あって、版画と詩がとてもいい作品展です。

この神話は、神が人類を滅ぼそうとした時に、36人のとても善良な人達のために、それを諦めた話で、この36人が誰であるかは、神のみぞ知る事で、36人自身もその事を知らないのです。

アーティストは36種の仕事を選んで、それを版画にし、詩をつけて“36 Unknown.”と題した作品群をつくりました。

始めこの展覧会とこの神話の話を友人から聞いて、36人のためにこの世界があるのか?なんと傲慢な話なのだろうと思ったのですが、作品を見て、作家が選択した職業がとてもベーシックな職種(牢に入った犯罪人もその中に入っていました。)だったのと、詩がとても良かったので、とても感動を覚えました。

何事にもベーシックはとても大切で、それ抜きには何も始まりませんし、それだけで十分なのです。もし神が36人(36種の仕事)の善良で、ひたすらコツコツ働く者の為に、この世界を存続させたのなら、私は納得します。36という数字が神話の中では意味があるのかもしれませんが、その数字を抜きにして、職人という人々が、この世を継続させているとしたら、とてもすばらしい事です。

日本にはすばらしい職人さん達がいっぱいいます。岩手に居た時に、儲けにもならないのに、ひたすら手間の掛かるやり方で、制作している職人さん達に会いました。それ方法がいい物を作ると思って続けているのです。良いものを作るには手間が掛かります。それを惜しまない職人さん達が居なくなってしまったら、この世は終わってしまうと思います。

たとえ物を制作するだけの職人さんばかりでなくても、職人精神(ただ良いものを作る事だけに人生を費やす)を持った教師や牧師(宗教家)や医者などが、必要なのは言うまでもありません。相手のことをただただ思いやった仕事は職人精神に通じるものがあります。

36種の仕事を選抜するとしたら、何を選びますか? もちろん私は陶芸家をその一つに選びますね。ちなみにこのアーティストも選んでいました。土と共に仕事をし、人々に食と共に安らぎを与える陶器を作る仕事は、すばらしい。(プラスティクを使うな!陶器を使え!と叫びたくなる昨今。)土の温かみは、大地の恵み。職人さん万歳!(日本の職人さんの種類がいっぱいあって、36種では収まりきれない。あーなんて日本はすばらしいのだろう。後継者不足も皆が良いものを買えば解消されると思うのだけど。)

“The Watercarrier”

The well fills my pails.

They balance my shoulder

And make me walk in the rhythm

Of the water.

--- Open the gates my patrons

I will fill your barrels,

That you may bless the One

By whose word

Everything was created.

by Ben-Zion

Monday, August 10, 2009

食っちゃ寝

生きてて良かった。


                 Pizza窯

St. Josephから帰って来てからの週末、私はダウンです。疲れがどっとでたのか、今まで食べていたものとは違ったものを食べたせいか、頭痛と胃痛で寝ていました。半身浴でだいぶよくなり、これからびわ温灸をするつもりです。これがそてもよく効くんです。

寝ている間、空想、妄想、回想に耽っていました。St. Josephの友人に弟(20代半ば)がいて、一緒に住んでいます。私はその弟にも会うことをとても楽しみにしていました。残念ながら、彼はカナダ国境付近をキャンプに出かけていたため、友人の誕生日パーティには参加できず、彼の帰りを楽しみにしていました。

彼はとてもすてきな青年です。去年1ヶ月の滞在の時に、友人と彼と一緒に住んで、どれだけすてきな青年かを知ったのです。彼はとてもシンプルです。気持ちを素直に表します。人に対する思いやりもとてもあります。なにより、人を喜ばせようとあれやこれやしてくれました。それがとても自然で、少年のような人です。

キャンプから帰って来てから、キャンプがどうだったか聞いたときに、雨の日が多くその間、食べて、寝て、何かやって、食べて、寝てがよかったと言っていました。

人間生きる上のベースに対して喜びが持てることは、生き物の基本です。もちろん、キャンプに行ってたとえ雨ばっかりでも、仕事や人間関係の煩わしさがないので、それはそれで楽しいでしょうと思うかもしれませんが、普段何気に、何もやっていないと罪悪感を持ったりませんか?特に都会生活をしていたりすると、常に動いていないといけない気になって、予定をぎっしり入れたり、とりあえずお腹を満たすことだけに食べたり、睡眠時間が短くなるで、身近にある幸せ感を見逃しがちになる。

単純に食べたり、寝たりすることに対して、喜びを感じていますか?この生きる基礎に対する歓喜があって初めて、生きる満足感を得られるのであって、それが欠如していては、何事に対しても満足感を得ることができないと思います。常に原点に戻れれば、喜びが感謝へと繋がる。日常の中の喜びを享受する。そうする事によって、生命が本来言いつけられているさだめが分るのではないでしょうか。

Sunday, August 9, 2009

ミネソタの夏、緊張の夏

体験、経験。

St. Joseph の家のバックヤードにある、お気に入りのハンモック
                    

ミネアポリスに戻って来ました。もう手足が蚊に刺されまくって、凄い状態になっています。たぶん生まれて初めて、見るも無残な足になって帰って来ました。ルームメイトにその悲惨な足をみせたら、ウエルカム トゥ ミネソタ(Welcome to Minnesota)、と言われました。ここは蚊が多い所なのかしら。湖が多いから?それにしても、まだ痒い。

今日の夜8時半ごろ、外でサイレンが鳴り響き、うるさいなーと思いつつも、久し振りに私のPCがインターネットに繋がったので、それに夢中になっていて、サイレンに対して疑問を抱く余裕がなかったら、ルームメイトがやってきて、竜巻注意報なので、地下室に行こうと誘ってくれました。え~竜巻~。そうです、ここミネソタは夏に時々竜巻が起こるのです。そのサイレンが竜巻注意報だとは知らなかったのですが、竜巻が起こる事は知っていました。

まるで空襲警報(実際、空襲警報の体験は無いのですが)のように、サイレンは鳴り響き、地下室に行くって、何を持っていっていいのやら、あたふた。何を持っていけばいいのかと聞いて、ルームメイトがラジオと言うので、CDプレイヤーを持って、地下室へ。ラジオをつけて、ニュース番組を探して、ミネソタ パブリック レディオにチューニング、竜巻は西南の方向で、ここから少し離れていたので安心。9時に警報は解除されとのこと。一件落着。

2年前にミネソタに来たときに、竜巻のニュースを聞いて、その時に子供が一人亡くなった事があったので、結構竜巻は深刻な天災です。

しかも、都市にもやって来るらしいので、町にいるからといって安心できません。

竜巻騒ぎの後、空が光って稲妻が走り、天空のショウがありました。

何だかんだとドラマがあるミネソタです。

 天空のショウ (稲妻を撮るのはとても難しくて、撮れませんでした。)

Tuesday, August 4, 2009

静かな湖畔の森の影から

自然からの波動

St. Joseph に住む友人は裏庭にピザ窯を作っていました。いつの間にか、作っていたのです。土曜日のバースデイパーティーはピザを各々で作って(ピザのドウを平らに伸ばして、ソースを塗って、トッピングして、チーズをのせて。)ピザ焼き係りの人に渡し、焼きあがるのを待って、後は食べるだけ。とてもおいしい。パンも美味しく焼きあがるそうです。私もビザ窯欲しい。

このSt. Josephはとても小さい町で、大きなスーパーマッケットで買い物したい時は、隣の町のSt. Cloud(ここはまあまあ大きい町)まで行く必要がある、ほんとに小さい町です。友人はここで生まれ育ちました。

友人はミネアポリスまで迎えに来てくれて、ここに着いたときに彼女が、町のように波動が荒くないから、ここに付くとホッとする。セントジョンズ大学(隣町)に来るアーティストがとても静かな事に驚くけど、私はここで生まれ育ったけれども、これが普通なんだと思う、と言っていました。まったくもってその通りだと思います。

静かな波動の中で暮らすのは、当たり前のことで、かつ都市であっても波動が穏やかであってもいいはずです。人が多いから波動が乱れるのではなく、個人個人の波動が乱れているので、都市の波動が速くなっているのだと思います。もちろん、周りの環境がそうであれば、影響を受けるので、にわとりが先か、卵が先かになってしまいますが、それでも個人個人が発するエネルギーが、とても静かなら都市の環境も変わります。

都市には都市独特のよいエネルギーがあります。それを皆が享受出来るように、人々が気が付いて、穏やかなエネルギーを出していきたいものですね。

田舎はいいですよ。のんびりしていて、空間がいっぱいあって、とても自然が美しく感じられて。裏庭にあるハンモックで揺られながら、ゆったりとした時間が過ぎていくのを感じ、幸せを味わっていました。蚊がいなければ尚いいのに。ここの蚊はすごい。

Monday, August 3, 2009

実家がハブステーション

呼ばれてますか?


今日から、St. Joseph(ミネアポリスから車で1時間15分くらい北に行った所です。)の友人の家に行きます。土日は誕生日ダンスパーティーで、その後、私の作品が彼女の裏庭に置いているので、10月にやる展覧会の準備のために、壁に掛けるためのフックを作品に付けにそのまま彼女の家に滞在します。それ以外にもやることがあるので、多分1週間くらいはいることになると思います。車があれば、そんなに滞在する必要はないのですが、仕方がありません。昨年の11月も1カ月間彼女の家に滞在しました。

実家を出る前にもいろいろな所への旅行はしていましたが、実家を出て福井県に陶芸の勉強を始めてから、私の放浪生活は始まりました。どれくらい引越しを今までしてきたのでしょうか。人の家にお世話になることもしばしば。自分でもなぜこんなに移り歩いているのかわかりません。仕事の為というわけでもないのですけど。

最高で2年間同じ場所に住んだ以外は、移動しっぱなしです。今もミネアポリスに住んでいますが、来てから半年で住む所を変えました。多分ここも半年住んで移動になりそうです。決して居心地が悪いから引っ越すのではなく、引っ越す事になるんです。

それに加えて旅行と、友達は、よく金も無いのに移動するね、と言いますが、まるで動かされているようです。

いろいろな本に1年半くらいのサイクルで、何か新しい事をやるとか、何かが起こるのは、良いサインと言っているのを読んだ事があります。良いサインなのか、私の場合1年~1年半経つと何か状況が変わっています。今は加速しているのか、半年づつに変化があります。その度に、移動です。変化とともに移動なのです。

前に誰かが、前世は雲水だったんじゃなにのとか、行者だったんじゃないの、とか言われたことがありますが、私もそんな気がします。ジプシーだったかもしれません。

移動のたびに人にお世話になっております。ありがたい事です。またどこかへ行きますか。

Saturday, August 1, 2009

どこから来たの?

接触有り。


昨日買い物から戻ってきて、自転車を外の入り口の階段の取っ手に、錠前を掛けている時に、どこからか猫がやってきて、アパートの入り口に、ニャアと言いながらゴロリと横たわったのです。

アパートの誰かが飼っている猫で、中に入りたがっているのかと思い、首輪に付いているハート型の小さな金属性の名札を見てみると、3ブロックは優に超えている住所が彫ってあったので、驚き。今までに見たこともない猫で、撫でてあげると、もうゴロゴロ。ジェフリーと同じタイプの猫で、顔の感じからメス猫のようでした。

猫がそんなに知らない人に親しく接するのでしょうか? 多分に私は動物に、自分から積極的に接したりはしません。今回はアパートのドアのまん前を陣取り横たわっているので、何もしないわけにはいかない状態でした。たぶんこのブログ読者の中にも、猫好きがいて、この疑問に答えてくれる人がいるのではないかと思いますが、私には少し不思議な気持ちでした。まるで、ジェフリーがやって来たかのようでしたが、顔は似ても似つかない顔でした。(ジェフリーの化身が来たのかしら~~~。)

動物に好かれる人に、悪い人はいません。(これは動物好きとは少し違います。)もちろん、飼い主は別です。動物は明らかに波動を感じています。波動の安定度、高さ、波の大きさ。それを感じて応対しています。

前に友人が、具合が悪く寝ている時は、飼っている猫が寄ってきて、傍にいてくれるそうですが、単に寝ている時は、猫にほっとかれるという話を聞いたことがあります。それは明らかに、波動を読んで、相手の状態を図っているのです。(猫なんかサイキックなので、波動とかそんな簡単な方法でないやり方で、人間を見てるかもしれませんね。心の中を読まれてるかも。)

動物の方から近寄ってくる人は、それだけいい波動を出しているので、付き合うにはいいかもしれませんね。きっと素直なんですよ。動物は子供が好きですし。より素直になってみませんか。そのうち木とも話しができるかも。

Friday, July 31, 2009

二十面相?

よく分ったね明智君。


歳を取ったせいか、もともとそうなのか、思い出すのに凄く時間がかかります。やっと、ジプシー キングの名前を思い出して、CDを図書館で借りることができました。歌は頭の中で奏でるのに、名前がでてこない。そうなるとCDを探そうにも探せない。困ったものです。

実は私には2人の私が存在します。友達はJunko A, Junko Bと分けて表現しています。人格が2人いるのではなく、普段の私とチャンネリング(情報を得ようとしている状態)中の私がいるのです。私の中で、スイッチがあって、それをON OFF にしているのです。リーディングをしているときは、かなりチャンネリング中なので、普段の私は少し影に隠れています。

リーディング中にときどきクライアントの人が、私自身に対しての私的な質問をする方がいて、それに答えようとすると、普段の私がニョキニョキと出てきて(そうでないと答えられないから)、チャンネリングしている私と普段の私とで混乱を招いて、とても困る時があります。

かるくチャンネリングしている時は、別にいいのですが、仕事でリーディングしている時は、深く入っているので、普段の私の部分が多く出てくると戻ってしまって、また集中するのに、時間とエネルギーを使ってしまいます。

なので、リーディング中に言ったことは、ほとんど覚えていません。まったく覚えていないわけではありませんが(普段の私は影にいるので)、普段の私の時に、こう言いましたよね、と言われても思い出さないです。またスイッチをONにしてリーディングしていたその状態に戻らないと、思い出しません。

私をよく知る人はきっと、チャンネリングしている時とそうでない時の私が、顔を見て判断できるのではないかと思います。リーデングをしている時の他人からの私のイメージと、普段の私のイメージがかなり違うからです。

このブログは特殊才能を持っていても普通の人であることを、赤裸々に語っていると思います。丸裸になる事への私なりのチャレンジです。それでも、その才能を生かして、ものの仕組みを話し、少しでもいろいろな人に気づきをもたらせられたらと思っています。

チャンネリングしている時の記憶の良さは、驚くくらいですが、普段の私の記憶の悪さは困ったものです。チャンネリングして思い出せばいいと思うかもしれませんが、そうは問屋が卸してくれません。情報のソースが違うせいかもしれませんね。でも、ジプシー キングの曲が聞けてうれしい。

Wednesday, July 29, 2009

感じてごらん♪♪

感じることしか魂と通信できない。


イギリス、ロンドンでジュード・ロウ主演の劇「ハムレット」(Hamlet)がヒットして、秋にブロードウェイで公演予定の記事をみて、私も見た~いと叫びながら、多分チケットが高くて買えないだろうな、と思いながら夢を抱いています。ジュード・ロウは二枚目ですが、それだけでなく演技力もあるので、好きな俳優さんの一人です。

ハムレットで有名な台詞は、「死ぬべきか、生きるべきか、それが問題だ」( To be or not to be: That is the question.)。 二者選択。人生において二者選択をする時は多いと思います。ハムレットも悩み、葛藤するのです。

選べないことには先に進めないので、先に進むには行動(選ぶ)しかありません。人によっては余り悩まずに、とりあえず行動が先と考え、こっちだーと選択して行動に移る。方や選択したものを後悔したくないので、自分が納得するまで慎重に考えてから、行動に移る人。又は、締め切りや時間制限があったりして、考えて選択したいのに、その余裕なく、物事に押されるように行動する人。果ては、悩んで考えても、これがいいんじゃないかと思いながらも、行動に一向に移らない人。それぞれ、自己パターンや状況に置いていろんな場合が出てくると思います。


以前に葛藤するのは、自分の弱い所を克服する機会。葛藤するのは成長をうながすのではと、述べました。葛藤する時は、何かを選ぶ時だけ発生するとはかぎらないので、さして悩まず、直感で選んで行動する人でも、何かしらの葛藤は発生すると思います。もし、葛藤の無い人がいたら、それはもうジーザス(キリスト)レベルのひとで、自分のやるべき事がはっきり分っている人です。(ジーザスも最後には葛藤していたような気もしますが。)

二者選択の機会の場合、行動が起こらないことには、始まりません。悩んで考えて葛藤しても、次に行動がないと成長しません。だから、葛藤は自分の弱い所を克服する機会で、成長をうながすだけで、悩んでいるだけでは成長しません。経験が成長を生み出すのですから。

行動したくても、選択できない。。。

どんな選択でも、間違いはありません。実は二者選択は○×(マルバツ)ではないからです。だから選択したものに対して後悔する必要はないのです。世の中に良いも悪いもなく、正しい、間違いはないからです。

ただ、選択する時に自分がやりたい事や、こうなりたいという事は自分がよく分っているので、自分のなかに最善の答えがすでにある事です。悲しいことに、頭の中には無いのです。簡単に言うと、魂に聞きなさい、となります。(これが難しいかも。)

自分に素直になって、感じて下さい。周りの状況とか考えずに、ひたすら自分が何を望むのか感じて下さい。考えないで、感じることです。そこに回り道しない道筋があります。

それをしないと、時々軌道修正が必要になってきたりします。見るからに自分に対して盲目でいるように見えている、本来の目的とは違う方向に行きだしている時があるからです。何故か頭で考えて行動すると、そうなりやすいですね。

そんな時には人が助けてくれます。そっちに行くなと言って軌道修正してくれます。だから、人ってありがたい。してくれないのは、人にも自分にも労わりの心が無い時です。軌道修正されないのは、それに気がつかせるためです。

全てはうまく行く様に回っています。うまく行っていないと思うのは、頭の中の自分です。
力を抜いて、リラックス。

Monday, July 27, 2009

色を持つものの功用

石されど石。


ゴールデンバースディって知ってますか?たぶんアメリカではメジャーなのでしょうが、私は以前に聞いたことがなかったです。生まれた日と実際の歳が同じ数字になった誕生日をゴールデンバースディというそうです。アメリカ人の友人が明日そのゴールデンバースディを迎えます。

その友人への誕生日プレゼントとして何がいいか悩んだ挙句、ジェムストーンのブレスレットを作ることにしました。彼女の為に石を選んで、石の意味と効果を合わせ、彼女にぴったしの石で作りました。日本に居たときに、石のスピリチャルなアクセサリーを作っている人に付いて勉強させてもらったので、その時の経験と特殊能力を生かして作ってみました。石同士で折り合いのあわない同士があるので、その辺の感じを掴まなくてはならないので、選択も色だけでは選べません。それにニューヨークシティと違って田舎のミネアポリスでは、ストーンビーズがあるお店を探すのに苦労しました。同じ石でも、パワーのあるものや無いものがあるので、実際ビーズを見ないと買えないので。作った後は水と太陽光と月光での浄化とエネルギー補給、それに私のパワーを入れ込んで完成です。

 
プレゼント用 ラピスラズリ、ルビー、アベンチュリン

私も自分用にジェムストーンのブレスレットやアクセサリーを幾つか持っています。もともと石にはとても興味があり、惹かれます。今日のメールの中で、友人が博物館の石が置いてあるセクションがとても好きだと書いてありましたが、私も大好きで、隕石においては、すごいパワーを感じ目眩を起こさせます。

 
私用:フローライト、水晶


 
私用(いつも身に着けています): ヘンプ編み、点眼石(ダライ・ラマ法王(ダライ・ラマ14世)が身に着けてます。)いただき物です。

日本での石との経験はとても私には楽しく、いろんな石と触れ合い、石の持つパワーを実感しました。ときどき石によっては、触っていると余りにも気持ち良く、ずーと手の中に持っていたい感じになります。物によっては、手の中が熱くなります。土も元来石から出来上がるので、土との触れ合いが多い私にとっては、石との触れ合いはとてもわくわくします。地球からのエネルギーを感じ、ありがとうと言いたくなります。

石の持つ効果や意味を、信じるか信じないかは各人に任せるとして、色々な色がある石達はとても面白いですよ。一度博物館に石を見に行って見るのも、いいと思います。パワー補給になるかしら。

P.S. ストーンブレスレットに興味ある方は、ご一報ください。簡単なリーディングと共に合った石を選んで、お作りいたします。値段は使う石によって違うので、ご相談しながら作っていきたいと思っています。sakuyahime88@aol.com まで。

Sunday, July 26, 2009

デジタル中毒

脳が犯されているかも。


この頃まじめに毎日ブログを更新していると思いませんか? 実は私のラップトップの内臓ワイヤレスの調子が悪くて、インターネットにアクセス出来ないので、インターネットに時間を取られていた分を、ブログ書きに廻しているからです。

前回同様、ワイヤレスが動かないのには理由があるようで(どんな理由なのかは知らないけれど、動かないのは困る)、ブログ書きにまい進しております。今も図書館でこれを書いているところです。

図書館はとても素晴らしい、アイディアです。太古から図書館はあって、人間の知への追求は深いものがあります。公共図書館は暇な人から勉強する人、子供の遊び場から研究の場として幅広い活用がなされ、今ではコンピュターの設置が当たり前なので、パソコンの持っていない人や暇潰しに来ている人にはもってこいです。もちろんワイヤレスでインターネットにアクセス出来るので、ラップトップPCを持ってきて、自分のPC環境下で作業ができます。ここミネアポリスは結構図書館が充実していて、ダウンタウンにある大きなセントラル図書館は私のお気に入りです。たぶん5年くらい前に建てられた、比較的新しい図書館です。ワイヤレスが使えない私は、もっぱらブログ書きと音楽CDのダウンロードをしています。

図書館では本は読みません。本を読み出すと寝てしまうからです。涼しい室内で本を読んでいたら眠くなります。知らないうちに寝てしまうと、ガードマンの人に起こされます。ここのガードマンは、ニューヨークシティの図書館のガードマンほどぶっきら棒ではないですけど(もちろんNYCの図書館で寝た事がある)、起こされることには変わらないです。

子供のころは本を読むのが大好きで、実家の近くに図書館が無かったので、図書館の近くに住みたいとずーと思っていました。孟母三遷の教えではないですが、図書館の近くに住んでいたら、もうちょっとは頭が良くなっていたのではないかと信じてやまなかったです。通った学校の図書館も本が充実しているとは私には思えなく、高校においてはエレベーターのない建物の最上階にあったので行く気がせず、読書好きを返上せざるを得ない感じでした。

もともと積ん読傾向がある中、歳を取ってますますその傾向が強くなって来ました。本がある事で安心する私なのですが、読む本があることの安心より、単に本がある事の満足感になってしまっているような気がします。今や、インターネットの無い世界に行かないかぎり、本を読む時間が持てない気がします。友人Mが、テレビを見ないといっても、インターネットをしていたら、それは同じ事、といっていましたが、まったくもって、テレビがインターネットに取って変わり、中毒になっているのは間違えないです。なにせテレビのように相手が発信してくるのを単に受信するのに対して、こちら側が選んで情報を得ることの出来るインターネットは、より中毒になり易いです。

本というモノラルは、消えてなくなってしまうのでしょうか。そうなると寂しいです。でもワイヤレスが動かなくなってしまい、いまやローカルに繋いでも繋がらなくなってしまった、私のPCは私への教訓なのでしょうか? それにしても、困った。

Saturday, July 25, 2009

上手くいってもラッキー、上手くいかなくてもラッキー

後になって分かる事。


どうしても上手くいかない事や、失敗したなと思った後に、はたと気が付いたら、実はこうなる様になっていたのかと思う時はありませんか? 上手くいかなかったり、失敗したと思ったことが、実はこうなる為だったのかと気が付く事、ありますよね。

引越しをした友人Mが、引越し先のアパートに電話会社とのトラブルで、なかなか電話を使える事が出来なくて、やっと電話が通じるようになったかと思うと、今度はインターネットが使えない状態で、ヤキモキ(気が狂いそうだった?)してました。友人Mはインターネットを使って仕事をしているので、使えないと仕事が出来ないので、余計にイライラしていたのです。結局引っ越してから20日間たって使える用になったのです。使えるようになったとの電話報告の中で、こうなる(繋がらない)様になっていた事に、やっとのことで電話会社の人が来る日の朝に思ったそうです。上手くいかない理由が、インターネットが使えていたら、仕事が出来るので、引越しの片付けをしていなかっただろうと思うと言うのです。家(引越し)の片付けが中途半端だと、気持ちもすっきりせず、仕事にも集中力を欠けてしまうと。そうです。その通りです。

インターネットが繋がらない-> 仕事が出来ない-> 時間が出来る-> やることが無いので家を片付ける-> 電話会社と揉めているので人の助けが必要になる-> 助けを求める-> ついでに家具を買うのも手伝ってもらう-> 相手は事情が分るのでよろこんで助けてくれる-> 家具を買う-> 家具があると一掃家が片付く-> 気持ち良く住める-> 気も流れる-> インターネットが繋がる-> 気持ち良く仕事が出来る-> 仕事が上手く行く。 といった流れになり、インターネットが繋がらない理由が見えてくるのです。

電話やインターネットが繋がらない時に、私はMに、繋がらないのには、繋がらない訳があるだよと言ったのですが、本人が余りにも絶望の淵にいて、もういや死にたい気分だーといって私を笑わせてくれました。実は別の見えない訳はありありでした。

実は私も昨日このようなケースを体験しました。

その日シェアしているマッサージの部屋が一日使えると思い間違え-> 張り切って朝起きる-> なぜだか使えなかっPCのワイヤレスが使えるようになって、インターネットで宣伝を出してやる気まんまんになる-> Mから電話がありここに書いた話を聴く-> 急に昨日書いた下書きのブログが気になり読み始める-> 仕事場になかなか行けない状態に陥る-> お昼頃に電話が鳴り、お客さんが仕事場のある建物にいるので、今すぐマッサージを受けたいといいだす-> 今すぐには出来ないので待てるか聴く-> 待てないと言われ、客を取り逃がす-> やばい失敗したと思い急いで仕事場に行く-> 部屋にはすでに用意がされていて他のセラピストが使うのを思い出す-> 彼女のアポイントまで時間があるのでこのまま部屋にいて、お客さんからの電話を待つか悩む-> 部屋の感じが私が使えるような気がしなかったので、昨日行けなかった図書館に行くことにする-> 自転車で走っている時に大きな教会の前にオープン トゥデイの看板を見かける-> 立ち寄るがどうか一瞬迷うが行こうとする-> と直ぐにパトロールの人に止められ、その時間は自転車は通れないと言われ、自転車を降りる-> 自転車を降りたのでそのまま教会に行くことにする-> 教会に入る-> 綺麗なステンドグラスが多い内部にホットする-> 誰もいない教会の席に座り祈る-> 涙が出てくる。

普段からとても稼ぎが悪いので、少しでもお客さんを取りたいと常々思っているので、それを取り逃がすのは痛く、あ~もっと早く家を出るんだったと後悔したのですが、実は前々から母に父が病気なので、教会に(別に我が家はクリスチャンではないのですが、祈ると言う意味での場所として)行って少しでも祈ってと言われていたのに、なかなか教会に行けなかったのです。今住んでる隣は教会で、近所にいっぱい教会がなぜかあるに、行けなかったんです。私はクリスチャンではないのに教会にはとても縁があって、いい古い教会に行く機会を持てます。大抵誰も居ないことが多く、私は教会で祈ると涙が出るのです。(過去世からの繋がりからなんだと思います。)

そんな訳で、上手くいかないようで、上手くいったのです。心の中に何かやらなくてはならないのに、それをやっていないと、仕事とかがはかどりません。心の中に引っかかっているものに、気を(文字通り気の気です)取られるからです。気の流れが悪いと入るものも入りません。

上手くいかない時は、上手くいかない意味があるんだと思い、自分を責めない事です。すごく気持ちが楽ですよ。上手くいっても、上手くいかなくても、物事は常に上手くいっているのですから。本当の理由があるのですから。

Friday, July 24, 2009

音の響き

波動の持つ力。


クラシック音楽はとても好きで、よく聴いています。ロマン派のオペラ音楽は今の映画音楽ですね。きっと映画のサウンドトラックはオペラ音楽の影響を色濃く受けているかもしれません。ロマン派のオペラ音楽はとてもドラマちっくで、物語展開が速そうなのを想像させます。特に私はリヒャルト・ワーグナーが好きで、1曲の中に冒険あり、サスペンスあり、恋愛あり、悲劇ありと聴いてるだけでも楽しめます。もちろん聴くだけでなくオペラを見ることも好きです。見たいな~オペラ。

音楽はサイエンスとフィーリングの結晶です。一定の法則の中に、法則では図れない感情を織り込みます。規則がある中で、規則に縛られない自由な感覚を表現するのです。それを楽器を通して音と言う波動にのせて伝えます。

私がオペラが好きなのは、総合芸術で、尚且つ人間楽器(歌手)があるからです。肉声は一番体に入り易い、受け取り易い波動なので、自分の持つ波動と共鳴します。とてもよく共鳴すると感動が起きます。それはもう宇宙に行った感じで、心の中を揺すぶられ、法則がありながら、自由でいる。安定と調和があり、何か一つになるような一体感を感じさせます。

共鳴すると感動を呼ぶだけでなく、時には共鳴すると深い瞑想に入れます。浄化にもなります。とても疲れているときに自分の好きな音楽、とてもすばらしい音楽を聴くと、疲れが取れます。聴いているだけで、疲れが取れるのです。音楽家奈良祐之さんの音の世界を聴いていると、瞑想状態に入れます。最後には無の状態になって、宇宙まで行けます。音は本当に魂から揺さぶる事ができ易い、波動です。

音楽を聴いてリラックスするのはお勧めです。音楽マニアの人は別として、意外と音楽を家でじっくり聴くことは少ないのではないでしょうか? 曲を聴きながら、ぼーとするのはいいですよ。私の場合は、時間の流れを感じなくなり、自分が別の空間にいる気持ちにさしてくれます。生演奏だったら、もっといいけど。。。。

Thursday, July 23, 2009

何を知る人ぞ

ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった。


映画「Powder」(パウダー 1995年)を見ました。いい映画ですよ。泣きました。

胎児の時に母親が落雷にあい,アルビノ(白子)で生まれた少年ジエレミー(ニックネーム、パウダー)は不思議な目の色,驚異的な知性,そして超常的な力とを持っていた。心優しい孤独な少年は不気味な外見と不可解な力を持つゆえに苦難の道を歩むことになる。

この映画の中で流れてくる音楽が、図書館から借りてきたアルバムCDの中に入っていて、その曲を昨日偶々(偶々=必然)聴いて、大学院時代のことを思い出しました。大学院の陶芸のスタジオでよく聴いていた、サラブライトマンのアルバムCDの中にもこの曲が入っていて、その曲が流れたときに友人がこの映画の事をいっていたのを、思い出したのです。以前に見たことがあるのですが、再度見ることにしました。

ラストシーンの辺りで、人間は無知の知を知ることが重要だと思ったのです。知らないことが多すぎることを認識すべきたと。一昨日に自転車に乗っているときに何故だか、無知の知、という言葉が頭の中を駆け巡り、無知である事を認識する知識があって始めて、真の知識を得られるのではないかと思い、ソクラテスはいいこと言うな~と扱ぎながら思ったのです。そのことを思い出して、いろんなものがリンクしていると感じました。

パウダーは外見上の異質の為に、他人の接触なしに祖父母に存在を隠すように育てられました。故に純粋さや自然からの感受性を保ち続けること出来たのではないかと思います。祖父母が亡くなった時に、外部に出なくてはならなくなり、そこから苦難が始まります。人々の偏見、いじめ、超常現象に対する恐れ、目に見えない力の懐疑心が彼を襲います。それらは、自分が無知であることの認識のない行為です。偏見は相手を知らない恐怖への代用。いじめは己を知らない恐怖の為、超常現象の恐れはまだまだ浅い科学への依存、目に見えない力の懐疑心は自然共存の欠如です。まだまだこの世界それらが横行していて、映画の主人公のような人間は生き辛くなっています。

我々はまだまだ何も知らないのだから、それを自覚することによって、謙虚になり、真の知識を入れることによって、それらが横行しない世界が創れるのでしょう。無知であることは恥ではなく、無知であることを知らないのが恥じであると思うのです。真の知識は日常に転がっています。バカだな~と思う前にそれが当然なんだから、学べたことを感謝したいです。もしかして、バカほど感謝できる?

Wednesday, July 22, 2009

キャスティングの上位

始めに親ありき。


親と子との問題ほど複雑怪奇なことはなく、古今東西この関係に悩まされて来たのではないでしょうか。親といっても男女カップルからなるものなので、夫婦間の問題も当然子供に影響しますから、三者一体となった問題です。二者間の問題でも大変なのに、三者が入り組んでいたらもう原因がなんだか分りにくいのも当然です。

よく子供が言い訳として、勝手に生んだのはそっちよ、と親に全ての責任があるかのようなことを言うことを聞いたりします。そうではなく子供が生まれる前に両親を選んで来たのよと言ったりもします。私としては、親子双方が生まれる前に親になる相手と子になる相手を選んでいるように思えます。では親が生まれる前にすでに子供が決まっているのか?決まっていると思います。親の人生のシナリオのなかで登場する子供は、登場人物としてキャスティングされているからです。大抵は子供の方が親よりも古いソウルの場合がほとんどです。(私は親より子の方が、若いソウルの子供を見たことがありません。)

たぶん親が生まれる前に、親子関係下で学べる相手を見つけて、親側が学びたいことを子供と協議して、まず親が生まれてくるように感じます。大概古いソウルが、それよりも新しいソウルの成長の助けをするからです。そうなると子供である私たちは、親と決めた協議を元に親の成長を助けなければならない立場にいることになります。自分の事でも大変なのに、親の成長を助けるのは気が遠くなりそうです。役目なので仕方がないです。

反対に子供の方も学びたい事の場を提供してくれる親と協議して、生まれてくるのだと思います。なにせ、親側の方が先に現世にいるので、おのずと場所は作られているからです。
双方の間に、各々の課題が遂行できるよう、シナリオ製作はされているのだと思うのです。人生の大半の課題は親子関係の中で学ぶことが主になっているように見えます。お互いの付き合いは現世においても、過去世においても長いですし。

親の立場としては、自分の成長を助けてくれる子供に感謝しています。多くの子を持つ人が、子供に感謝しているというのを聞きます。親はときどき頭にくると子に、感謝しろ、と言ったりしますが、子は親に感謝しろ、とは言わないです。なぜなら、感謝されているからなんですね。だからと言って、子供が親に感謝しなくていい話ではないです。お互いが感謝するのは、自分の成長が感じるからなのではないでしょうか。

一番近いから手っ取り早い問題なのに、一番厄介な問題。お互いの助けが必要なんです。なにせ協議上でのことですから。約束したの?

Tuesday, July 21, 2009

絡まるツルはよく伸びる

成長の過程で。


時々耳元で、ジキル博士とハイド氏やデヴィルとエンジェルみたいな自分の化身2人が、囁きませんか?(実際は心の中ですけど。) 私の耳元ではよく2人が私に話しかけます。それによって苦しめられることしばしばです。

心の葛藤はなぜ起きるか? 友人M曰く、人間、心の葛藤がなかったら成長しないでしょ!葛藤するのが人間、と言っていました。まさしくその通り。葛藤するのが人間。葛藤なくして成長せずです。人生の中で何かを選択しなくてはならない事が、数多く発生します。人生はまるで選択ゲームのようです。その選択するもの事を決める度合いによって、葛藤が始まります。選択する事が簡単な物事ならいいのですが、そうでない物事に対しては、選べないのでとても苦しいです。なにせ頭と心の賛同を取らない事には決まらないのですから。気持ち優先にすると、頭が整理できない。頭を優先にすると、気持ちがしっくりこない。でも選ばないと進まない。選ばないとどうして良いのかわからず、ストレスを自分で生み出してしまう。誰か助けて欲しい~神様~、となります。

しかもいつも対極にいるような化身が現れて、悩ます。あれを取ろうとすると、それでいいの?とつぶやく。ではこれと取ろうとすると、これじゃねぇ~、と別の声が言ってくる。少しは冷静になって、頭で状況判断しようとしても、空回りし始め、気持ちがそれに対してストップをかけてくる。迂闊に判断されて選択されては困るからです。

どうしたら、選択出来るか? 選択出来れば葛藤は治まるので。これはとっても難しい。葛藤は成長するためにあるので、そう簡単に本人に選択は出来ないようになっている。でもいつも選択するための要素は身近にあるので、それに気が付きさえすればいいのです。
では、どうやって気が付く? 人に相談するのは、人が第三者の目で客観的に状況が見えるからで、客観視出来れば頭の整理が付きます。頭の整理ができたら、心の引っ掛かり、湧き上がる気持ちの原因が、何なのかを突き止めることです。そうするとその要素に気が付くわけです。これが難しいのでみんな葛藤しているわけなのですが、要は、自分の弱い点を自ら突っつくことです! 心の弱い点、性格的に弱い点。大概はそれの克服がキーポイントになって葛藤しているからです。克服しないと成長しないからです。克服できないと同じ様な葛藤がその都度出てきます。弱い点はいくつもあるので、克服の機会は何度も現れます。葛藤が起きたら自らの弱い点を克服するチャンスです。

またそれと関連して、私自身に多い葛藤ですが、すでに選択して物事を良い方向に進めているにも関わらず途中で、こんな事してていいの?こんな事何の役にも立たないよ、と言ったようなことを囁く化身がいます。その都度、え??いいの、これでいいの!と思い直します。いつも何でそんな考えが出てくるのか葛藤しています。なにせ邪悪的な囁きなので、あ~デヴィルだ~と思ったりしています。(世の中にはデヴィルもエンジェルもいないのですけどね。善も悪もない世界。すべてに理由があるからです。)たぶん、どこか心に迷いがあって、完全に納得していないので、確認をするかのようにそんな考えが浮かぶのかもしれません。心の中でデヴィルとの葛藤。それはもう煩悩との戦いです。

葛藤という言葉は葛や藤のツルがからまり、もつれるさまから来ていると辞書には出ていましたが、葛や藤のツルはからまり、もつれているさまは、無造作にそうなってはいないと思います。葉は必ず太陽の光が照らされるように生えますし、先へ先へ伸びる事ができる様にからまっているからです。しかも葛は成長が早い。そこには一定の法則があって、早く成長するにはからまっていたほうが都合がいいのかもしれません。葛藤すればするほど、成長が早まるのかもしれませんね人間も。

Sunday, July 19, 2009

はじめに言葉ありき

内緒話ができない?


曲を聴いているとミュージシャンはよくこんな言葉が見つかるな~と関心することがしばしばあります。誰にとっても心打つメロディーと歌詞があると思います。昔から、言葉は言霊と言われ、言葉は単に意味を含んだ音でないことがわかります。

もし、誰かと人の悪口を言っていたら、悪口を言われている本人のもとへ見えないエネルギーとしてそれが伝わっていたとしたらどうしますか?相手の意識下では認識されないけど、潜在意識又は無意識の下では何を話してるか解っていたとしたら。。。

実際言葉のエネルギーはとても強いものです。言葉が波動となっているので、その波動が今住んでいる世界から宇宙まで放たれます。ですから、本来言葉は慎重に使わないといけないものなのですが、今の社会はそれに鈍感です。TVやラジオで何度も同じ事をいって視聴者に影響を与えたり、言葉は暴力とも言われるように、罵倒は言葉の意味だけでなく、波動も含めて相手に打撃を与えます。普段の言葉使いも荒くなると、荒い波動を宇宙までとどろかせていることになります。宇宙まで届くのならば、相手の居ないところで話ても、相手に伝わるのは不思議ではありません。

リーディングをしている最中に、会話をしている人でない人の事を話ている時、話題になっている人の写真を見ていると、その写真の人物が潜在意識の中で私とクライアントの会話を聞いて、それについて感じている事が写真を通して分るのです。だからと言ってその本人に聞いていた?と討たとしても、本人は何の事だか分らないのは当然です。しかし、伝わっているので、何かの拍子にそれが表面化するかもしれませんし、相手も何となく察しがついたりするかもしれません。

となると、口は災いのもとです。すべて口に出したことは外に発信されるので、迂闊にものも言えません。反対に、何か問題がある時に人に話すのは、見えない波動が当事者にも伝わるので、問題解決が早くなるかもしれませんね。ま~その時に決して単なる悪口ではないようにしたいですね。感情は感情でしか応対できないので、よけい問題が悪化するかもしれません。冷静に。一番いいのは皆が幸せであるよう言い続けることですね。言葉は現実化させますから。

Thursday, July 16, 2009

パラレルワールド

ここは夢か現実か。


友人の推薦で日本アニメの劇場判「鋼の錬金術師」を見ました。錬金術師の兄弟が彼らの住むパラレルワールド(Parallel universe or alternative reality )とこの世とに兄弟が離れ離れになって、その狭間にあるゲート(門)を開けて、お互いが再会する話です。パラレルワールドの発想は文学から映画、漫画まで古今東西使われていて、わくわくします。

この映画を見た後、前回の感情が過去世とリンクする事とかがきっかけで、パラレルワールドの事を考え、以前は在遥か彼方か、どこかにある異次元にそれが在るものとだと思っていたのですが、実は潜在意識のなかにパラレルワールドは在るのではないかと思ったのです。

魂は全てを記憶しているので、リーディングはその記憶を通して見ているのだと思っていました。しかし感覚的には潜在意識に入っているように感じるので、そこに記憶が貯蔵されているのだと思ったのです。実際、どこかに全ての記憶は貯蔵されています。ただ、記憶はその人が感じたり、見たりしたものだけが、記憶として残るのであって、その人が見たりしていない事には記憶はないはずです。それが、リーディングするとその先の未来が見えたり、過去世でその人が死んだ先の話が見えたりするので、単に記憶の問題でないことに気が付きます。そう思うと、もう潜在意識のなかに、パラレルワールドが存在し、その人が作り上げて来た世界(過去世での経験やドラマ)があり、生まれる前に創ったシナリオに則った未来も形成されていて、そこには時間の概念がなく、そこに入れば過去も現在も未来も見渡せるのではないかと思ったのです。

自分で自分の中にあるパラレルワールドに入れれば、自分の過去世も現在おかれている状況も、未来も見えるわけです。ではどうやって入る? 潜在意識の中にはいるのですから、変性意識状態になるのがいいかもしれませんね。深い瞑想をするとか。一概に変性意識の状態になるのは難しいですけど、不可能ではないです。自分の潜在意識を覗いてみますか? 何が見えるのでしょうか~

Wednesday, July 15, 2009

頭では感じない

リンクの作用。


人生が生まれてから死ぬまでの期間だけだったら、凄く大変で、それでいて平坦で、でもとてつもなく詰まらないものになる気がします。たかが80年くらいではこれと言って何も出来ないし、豊かな感情の起伏が生まれないと思うからです。感情はそうそう湧きあがるのもではないからです。長年の経験が織り上げていくのが、感じる気持ちなのではないでしょうか。

友人Mが電話をしてきて(私が電話をしたので)、頭の中では理解できる問題なのに、ネガティブな感情が湧き上がって収まりが付かない話をしてくれました。Mが話ている最中に私の中で、Mの過去世のヴィジョンが過去世の時の感情と共にワ~と広がり、その感情が今の湧き上がって収まらない感情と同じであることに気が付いて、思わず笑ってしまいました。(Mごめんなさいね。本人は真剣なのに。)その時、Mの感情が過去世とリンクしていることに気が付いたのです。

誰にも経験があると思いますが、私も以前に、ある出来事が頭の中ではとても納得しているのに、なぜかふつふつと湧き上がってくる感情の痛みに、どうしてなんだろうと思ったものです。このふつふつ湧き上がって収まりきれない、感情。異様に反応してしまう、感情。人によっては、凄い嫉妬、悲しみ、怒り、むかつきだったりする感情。その原因は過去世の出来事にあった事ではではないかと、思うのです。とても似かよった状況下の元で、同じ様な体験をすると、過去世にリンクして感情を増幅させる。追体験させることで、その時の感情を呼び起こし傷ついたり、思いを残した自分を癒そうとする。それによってトラウマやカルマを解消していく。でもその時になぜその様な感情が湧くのかが解らないと、苦しみは続いていく感じがします。追求していけば、何かその感情の起こる原因がはっと解る時があると思います。いかに感情を残してこの世を去ると、来世に影響するか思い知らされますし、癒されていない事は癒されるまで、追体験させられると言うことですね。(お~怖い。)反対に湧き上がるポジティブな感情も過去世にリンクして起こると思います。何だか解らないけど、大したことではないのに、凄く感動する事ってありませんか。そこにも意味があると思います。

自分が尋常でないネガティブな感情に捕らわれた時は、過去世で何かあったなと思うのがいいと思います。そうすると少し冷静にもなれるし、癒しのチャンスですから。味わいつつ意味や原因を追究していく。頭で解っていても、感情が収まらない時すべてが過去世に繋がっているとは限らないかもしれませんが、頭は状況を分析しますが、感情はその人自身が持つ、本来の自分からのメッセージなので、頭の情報よりも大切です。だからこそ、ネガティブな感情には癒しが必要なのです。ドラマが遥か昔から続いているのです。

Monday, July 13, 2009

世界共通?

目に見えない世界から。


2日続けて、映画「ゲゲゲの鬼太郎」パート1、パート2を見ました。思ったより出来てる映画で、結構おもしろかったです。

日本映画を見ててよく映画の中で、自然と人間の共存を呼びかけるものが多いことに気がつきます。それだけ自然と人間のあり方に関心がある国だということがわかります。とてもいいことなので、日本っていい国だな~と思うのです。自然との共存を図らないのは人間の傲慢に他ありません。今まだ共存出来ているのは、自然の寛大さによると思っています。余りにも自然や環境破壊が行われているので、この寛大もいつまで続くかわかりません。

この映画の前に、「コンスタンティン」というキアヌ・リーブス主演の映画も見ました。映画の中では、天国と地獄と人間社会が存在し、その天国と地獄の方から人間社会に居れる橋渡し的な存在の者たちがいて、キアヌ演じる人間のコンスタンティンはその存在が見え、基本的にその者達が人間社会に干渉出来ないのに、それを破って悪さをする。その者達を成敗するのです。ゲゲゲの鬼太郎も人間に悪さをする妖怪達を成敗します。

東洋でも西洋でもどの世界にも人間には見えない世界が存在し、そこから来て悪さをするものを成敗する者がいるという発想があるわけです。何となく面白い。でもそこに共通することは、人間は弱い生き物で、無知であるけど、暖かい感情をもつものであると言う事を訴っています。そもそも、それらが悪さをする原因は人間にあるのですが、人間がそうであるために成敗する者が出て助けるのです。

そんな人間達ですが、そろそろ無知から脱却して、自然と目に見えない世界からの知識を入れる時ではないのでしょうか。 コンスタンティンやゲゲゲの鬼太郎達の中間人?が呆れる前に。

Saturday, July 11, 2009

見えない力

誘惑という名の宇宙船


図書館からロード オブ リングスの3部作(The Fellowship of the Ring, The Two Towers, The Return of the King) のサウンドトラックCDを借りて聴いているので、もう頭はロード オブ リングス。ついでにスターウォーズのサウンドトラックCDも借りたので、頭はスターウォーズになるには間違いなし。子供の頃から冒険物が好きなので、頭が本を読んだり、映画をみたり、音楽を聴いたりするだけで、かなり深くその世界に入れます。気をぬくとかなり深く想像の世界に入ってしまうために、いつも漬からないようにしていました。この2作は昔の神話の影響を受けているので、神話好きの私にはたまらないです。ロード オブ リングスにいたっては、作者のトールキンが凄く念入りに物語を作っているので、彼の才能に脱帽です。

神話には宇宙の法則や、物事の真理が隠されているために、長く生き続けています。読んだからといって、直ぐに宇宙の法則が分るわけではありませんが、推理小説のように、人生のどこかで、いつかは謎がとけるものです。ジョージ・ルーカスは新しい神話を創りたくて、スターウォーズをつくりました。一般的に父親と子、友情関係を通して善と悪の戦い。ロード オブ リングスも親と子、友情関係を通して善と悪いを描いています。何せ人々は善悪の主題が好きなので、2者の戦いになりますが、基本的には世の中には善悪はないので、善悪の戦いではなく、実は強い意志と弱い意志との戦いなのだと思います。

ロード オブ リングスでは世界を滅ぼす魔力を秘めた指輪の持ち主となったフロド一行は、指輪を破壊するために滅びの山 (Mount Doom) に旅に出る話です。フロド達ホビット族は強い意志を持っているので、指輪の強い誘惑に負けないためフロド(指輪の持ち主になったこともあるが)に一任され彼が指輪を運ぶ役につくのです。旅の途中で旅の8人の仲間達の中で指輪の誘惑に負けそうになったりする仲間がいるので、途中でホビット族のフロドとサムの2人が仲間と別に旅を続けます。終始、指輪の誘惑との戦いが出てきます。それは強い意志(自分の欲に捕らわれない、本来あるべき姿)と弱い意志(私利私欲に捕らわれ、他と共有しない、すべてを持とうと姿)の格闘です。人間の心の中にある格闘なのだと思います。

スターウォーズも単に悪を滅ぼす話ではなく、悪の力に引き込もうとされるのを、どのようにそれと戦うかがポイントになっています。そうでなければダースベーダー(悪の大元の右腕)がルーク・スカイウォカー(善側主人公)の父親であるはずもなく、ダースベーダーがいかにして善側から悪側に行ってしまったのかという話もでてこない。弱い意志が悪なのではなく、弱い意志がいろいろなことを巻き起こし悲劇を作ってしまうことです。
本来人間はどんな姿にあるべきなのか理解し、そうなるには強い意志が必要なのです。

ではどうしたら、悪(弱い意志)に引き込まれずにすむかは、映画を見てください。双方ともとても長い映画(スターウォーズは6部作、ロード オブ リングスは3部作あります)なので、忍耐と時間が必要です。でも本を読むよりは時間は掛からないです。図書館で子供が本を探しながら、スターウォーズのテーマ曲を口ずさんでいたのを聞いて、スターウォーズの影響力の凄さを実感。

Thursday, July 9, 2009

縁はどこまで続く

登場人物。


昨日は七夕なんですよね。一年に一回織姫と牽牛が会える日。雨が降ったらまた一年後。昨日のミネアポリスは晴れなので、ここでは会えますね。お互いが運命の人なんでしょうが、会える回数が少ないですよね。でも永遠に会えるなら少なくもないか。私たちもソウルメイトと何度も会っていて、今世では会ってなくて前世又は来世で会う人もいるので、一年に一回会っている織姫達の方が会っている回数は多いかもしれないですね。

私はソウルメイトと言う言葉を知る前に、自分と会う人達はどこかですでに会っていて、全然知らない人達ではないと思っていました。まったく知らない人と会うこと自体怖いことだし、そんな人達と友達になったり、関わったりできないと思ったからです。後になってソウルメイトの存在を知りました。まさしくソウルメイトはそこら中に居て、各々のドラマの役を演じています。悪役もいれば、恋人もいる。兄弟、親子もいれば夫婦、友達もいる。ただのエキストラもいる。こんな人と前世でも会っているの、と思うような人でも会っているから、やんなっちゃう。当然深い関係の相手なら前世で会っているのは間違いなしです。

人に会った時に、「始めまして(初めまして。双方の漢字が使われる。)」英語なら”Nice to meet you “  と言いますが、初めて会ったのに、「始め」の漢字も使われているので、裏の意味では、初めてではないと言うことでしょう。英語のMeet も元は偶然に会うと言う意味から派生しており、偶然=必然なので、必然に会いましたねとなります。会う人会う人必然的に会っているのなら、会う意味があるわけで、どれもこれも無下に出来ないですよね。

反対に出会いたいのになかなか会えないソウルメイトもいます。パートナーが欲しいのに、いい人に出会わないと言ったような場合。夢やヴィジョンで見た人なら、現世にいるはずだと思います。今の人生にとって無意味な情報は流れてこないと思うので、どこかに居るはずです。そうなると、シナリオを少し変えて早く出会う事にするか、待つしかないですね。シナリオを変えてといっても、そもそもどんなシナリオが書かれているか分らないので、詳細に想像して意識をそれに集中し、意志をもって生活するしかないです。想像できないものは、決してシナリオには書いていないので、鮮明な想像だけが実現可能です。

会うは別れの始まりなり、なんて言いますが、別れては会って、また別れてと繰り返して、ソウルメイト達と一緒に成長していく。人生でどれぐらいの人と出会うんでしょうか? 数知れないソウルメイトさん今後もよろしく。

Tuesday, July 7, 2009

旅は今始まる

損して得を取れ。


ここ1週間、無料1時間マッサージをルームメイトの友達に提供してきました。彼らは金銭的に余裕が無いので、マッサージを受けたこともない人ばかりで、少しは楽しんでいただけたと思います。今後彼らが私の顧客になる期待はしてないので、今回は徳を積む意味でやることにしました。ま~今度この事がどう発展していくかは誰にもわからないことなので、いい方向にマッサージ業が向かって欲しいと切に祈るばかりです。

今回のこの無料提供で、初めてガンの手術をした人にマッサージをしました。彼女はガンだけでなく、片足が膝から少し先までしかありません。ガンの手術をしてから余りリラックス出来ないといっていました。彼女の詳しい事情は彼女から聞かなかったのですが、今世も前世も苦労しているみたいで、マッサージをしながら、彼女の痛みを感じつつ、ただひたすら生きていて欲しいと願っていました。その時初めて、何となく自分にサイキックの能力があることに感謝しました。彼女を治すとか、癒すことが出来るとか出来ないとかではなく、相手の痛みを感じることが出来ることが、感謝に繋がり、神に祈ることによって、神が近い存在に感じ、エネルギーに触れることによって感動を呼び起こしたからです。そんな感覚を味わうのは自分の特殊能力のお陰だと思ったのです。

いままでは、なぜそんな特殊能力があるのか疑問を持つことはあっても、感謝することはありませんでした。友人Mは、使命を果たしているから感謝するのでは、と言っていましたけど、その通りかもしれません。それに自分の中にある何かを認めざるを得ない気がします。私の旅は始まったばかりに感じます。こんなに長く人生の旅をしてきたのに、やっとスタートラインに到着した感じです。

彼女をマッサージした後、彼女と友達と一緒に昼食をとって、その後倒れこむようにぐったりとベットに横になり、疲れてなかなか起き上がれなかったです。と同様に人生のスタートラインには到着したかもしれませんが、そこまでたどり着くまでだいぶ疲れていて、旅をし続けるには休養が必要です。私もマッサージを受けたい。

Sunday, July 5, 2009

遣り残しは持ち越す

笑う門には年取らない。


今日アジア系のお店が並ぶ通りに行った時、あるレストランで、白人のおばあさん達がマージャンをやっているのを窓越しから見かけました。結構驚きでした。でも、歳を取って4人でマージャンをして時間を過ごすのっていいな~と思います。頭の体操にもなるし、マージャンとても楽しいし。

歳を取ったら何をやっているんでしょうか。今から考えても仕方がないのですが、マージャンをしていたおばあさん達を見て、自分だったらどうするか考えてみたくなりました。友人Mは日本で独身老女が集まって、陶芸でもするとかと言っています。今のところ私は独身まっしぐらなので、そのメンバーに入れそうですが、陶芸は肉体労働なので、歳を取ったら陶芸は若い子達の手伝いが必要になってくる。若いお弟子さんを取るのもいいですね。それとも放浪陶芸家のままでしょうか。歳をとってもさして変わらないことをしているのでしょうか。

老後は楽しみたいですね。力を抜いて生活し、今以上に笑って過ごし、最後に思い残すことなく死んで、次の世では現世とは違った事をやりたいです。現世の辛く厳しい課題に逃避してそれに立ち向かわないと、またしなくてはならない。違う場所で、違う人物で、違う状況下で、一からやり直しをする。そっちの方が今よりももっと辛いので、この世でパスしたいです。そもそも魂自体に癖があり、同じ様な事を繰り返してしまう傾向にあるので、楽しいことならいいですが、辛いことならさっさと物事の意味に気が付いて、次のステージに進みたいです。常に意識していれば、しっくり行かない事、もやもやした気持ち、上手くいかない事の意味がわかってきます。すべては自分に問いかけ、自分を知るためです。

元気なおばあちゃんでいたいですね。ストレスがない生活をするのが、一番の若さを保つ元気でいられるコツですね。一緒に笑えるメンバーが老後にいるとハッピーです。

Thursday, July 2, 2009

ドラッグ戦争

誘惑のなか。


5月にベジタリアン(ヴィーガン)のルームメイトのところに引越してから、ヴィーガンになり、それなりに食生活が変わってきました。

まず、脂っこいものは食べなくなりました。もともと脂っこいもは食べては無いのですが、それ以上に少なくなったのです。炭水化物好きな私でしたが、それも減ってきました。何よりも、ボリボリ系のお菓子好き、甘いもの好きが、だいぶ減ってきました。普通の砂糖は製造過程で、牛の骨の灰を使うので、砂糖を使ったものはルームメイト達は食べないので、おのずと砂糖の摂取量がだいぶ減ってきました。

私にとって砂糖は最後のドラッグです。自分との戦いです。なかなか難しく苦戦していました。砂糖は合法ドラッグです。体に毒なのは言うまでもないのですが、甘い誘惑は強烈です。ドラッグは無理やり体や神経を刺激するので負担が多く、平常心や落ち着きをなくし、刺激を求めて習慣性になる。毒は毒を呼ぶ性質があるので、嫌な事は嫌な事を引き寄せるように、悪循環になる。コーヒーもブラックティーもやめて、カフェインを取らず、酒も特別なことが無い限り飲まない、タバコも吸わない、甘いものは砂糖でないので摂取する生活はいかがなものでしょうか。自由な気持ちにさせてくれます。では、どうやってホットするのかと思うかもしれないですが、息を抜いて座ればホットします。体の力を抜くのです。体の力を抜くのは簡単そうで実は難しかったりするのです。コーヒーの臭いやタバコの煙が体に入っていく感じが、一瞬体の力を抜くのかもしれませんが、持続はしません。自由な気分はいつでもどこでも体の力を抜く事が出来るのです。

ドラッグではない嗜好品に変えて、今までとは違った気分を味わってみるのもいいですよ。私も砂糖との戦いに頑張ります。

Monday, June 29, 2009

展開はいかに

知らず知らず進んでる。


生まれる前に誰が、人生のストリー(設計図/計画書)を描いてこの世に降りて来たのかと思うほど、巧みに練られた各々の人生計画書はすばらしい。もちろん、立案者は本人で、誰もがストリーテーラーなのだけど、事前に登場人物と打ち合わせをしているのではないかと思うほどの展開があります。以前に世の中は劇場で、各人は人生という名の劇の主人公で、脚本家で、演出家で、また睡眠中に裏方さん(守護霊さんや登場人物)たちとミーティングをする事を書きましたが、そうでもしない限り、思わぬ展開や、導かれている道に進まないような気がします。

今回ここミネアポリスに来てからいつもの様に、いろいろな事が起きて、勉強させられ、気づかされ、いろいろな意味を知り、そして自分を知っていく。何か見えない手で動かされているかのように、新しい事をやり始めこなして行く。アーティストになると決めてから、貧乏まっしぐらで、しかも移動生活が多い中、生活の為に稼がなければならないので、そんなに柔軟性があるわけではないのに、臨機応変に仕事をやっていく。選んでいる仕事は一見関連性のなさそうに見えるので、いろいろ手をつけているように思えるけど、どこか確実に選んでやっているように思えるのです。

そんな中、成り行きでルームメイトの友人を無料でマッサージをしています。彼は2年前に自転車に乗っていて、車に当て逃げされ大怪我をしています。幸い元気になり生活していますが、体が痛いことが頻繁で、良く眠れないことがしばしばあるので、外で私に会った時に彼は腕の痛みについて聞いてきました。私は直接体に触れないことには分らないので、洋服を着たままでの背中をチェックし始めると、あまりの酷い状態に驚き、何があったのか聞いた次第です。もちろん痛いのは腕だけではないです。その後、彼らの友達の中に、交通事故に合っている人達がいっぱいいることを知りました。でも、彼らたちは体に構うことをしていないのです。経済的な事が原因の一つです。そんな人達に少しでもマッサージをと無料提供を考えています。私自身とても勉強になりますから。

私の中に一つの構想があります。心、体、食、魂を考えたリトリートセンターの創設です。一つの建物の中に、瞑想ルーム、マッサージルーム、リーデングルーム、ベジタリアン(ヴィーガン)レストラン&カフェ、歯の治療ルームなどがある、ヒーリングセンターです。なるべくお手頃な値段で、セッションが受けられるように運営を考えた、多くの人が楽しめたり、リラックスできるような場所を提供したいです。今回の無料マッサージをやっていて、以前からあったこの構想が広がってきました。実現するかは分りませんが、想像が創造になるようもう少しいろいろな勉強をしていきたいです。

Sunday, June 28, 2009

地球と共に

偉大な愛は地にある。


神様は誰も見捨てはしない。見捨てるのは人々の方であると私は思います。諦めるのは神様でなく、自分だからです。諦める前に、落ち込む前に地球から愛をもらいましょう。

よく友人Mは「人生はどん底までいかない。なぜならば人生は幸せになる為にあるのだから。」と言っています。そう、オーラの泉で美輪明宏 さんが「人生落ちるとこまで落ちても紙一枚の所で止まっている。また這い上がって落ちても、以前の所から紙一枚の所で止まっている。」と言ってました。私もそう思います。人生なんとかなるものです。

ここ3週間以上仕事がなかったのですが、ようやく動き始めました。チャンスも訪れ、これで、少し回ってくれることを祈ってます。焦らず、今の自分に出来ることをやって、休みの時は休み。不安になったり、ジタバタせず、待つのも大切。そんな事が言えるのは余裕があるからと思うでしょうが、余裕がなくて焦ってしまうと、体の気(エネルギー)が上ばかり行ってしまい、空回りになるからです。人生何かとトラブルがある人は大抵気が上ばかりにいっています。気は上にいき易いので、下に下にさげて地球と結ばれている感覚になると、とても安定します。安定していれば、怖いものなしです。

グランディングはとても大切です。これが出来るようになると、不安や心配事がほとんど消えます。少し膝を曲げかげんに立って、力を抜いて、頭から糸が付いていて、それが上から引っ張り上げられている感じを持って、静かに呼吸します。エネルギーが地面から入って来て、頭から抜けていくのを想像します。呼吸と合わせて想像するとやり易いです。瞑想に入り易い曲を流すのも効果的です。エネルギーを下から取り入れて、上に放出すると同時に、地球に感謝して下さい。気持ちよくなります。丹田に力が湧くのが感じられます。エネルギー補給にもなります。座っていても出来るので、いつでも、どこでも、気が付いたときに始めて、癖をつけていくといいですよね。いざ時間を決めてやると続かなくなったりしますから。

地球からの愛は無限です。そのエネルギーを取り入れたら、かなり人生のどん底は免れるような気がします。自分のなかに気(エネルギー)が満ちていれば、おのずと人を引き付けるのではないでしょうか。そうすると、人からの助けも得られますし、いいチャンスがやってくるでしょう。人の助け無しでは、人生は成り立ちませんから。気を下に持っていくと、気全体の流れがよくなります。血液と同じです。血液も足の方へより流れるようにすると、血液の循環がとてもよくなります。足を暖めると血液が下へ流れ易くなります。(半身浴はその法則を用いた方法です。)

私ももっとグランディングをして、気の補充と循環です。

Saturday, June 27, 2009

体が教える人生の課題

苦しくないと気が付かない。


数日前に久しぶりに喘息発作が起きて、やられた~感が強く、考えさせらせてます。私のは運動誘発喘息みたいで、子供のころから走ったり、急激な運動をすると発作が起きてました。普段は全然喘息のぜの字もないので、気にしてはいないのですが、それでも喘息の家系で、発作が起きないわけではないので、過激な運動はしないようにしています。

今回の発作で少し喘息についてインターネットで調べてみました。そこでこの運動誘発喘息を発見し、まさしくこれだと気が付いたわけです。今頃気が付いたのは、喘息の発作は頻度に起きないし、ただ走らないようにしているだけで、防げるからです。今回のは走ったわけではないのですが、自転車に乗って家路に向かっている時に、疲れと少しのワインと坂道が誘発してしまいました。乗っている最中に咳き込み始め、あ~やばい、と思いつつもせめて家に着くまでもって欲しい、咳がひどくなり、あ~苦しい~、でももう少しで家だ~、で頑張ったのです。頑張った為に今でも、背中と胸が少し痛く、今日当たりお灸しないとだめだなと思っているところです。

喘息は気管支喘息と言って、アレルギーによって起こされるものだと分かりました。アレルギーを軽く見ては危険です。死にも繋がるものです。私は鼻の通りもよく、花粉症もなく、動物、ダストアレルギーもなく、食物アレルギー(メロンと蟹くらい)以外これといったアレルギーがないのに、喘息持ちなんです。たぶん、背中が曲がっているのも、その為かもしれないと思っています。(父親系の親戚は猫背が多くしかも喘息を持っている傾向にある。)もう其処からして人生曲がってる。

現代はアレルギー時代で、免疫に異変が起きているように思えます。先進国に住んでいて、まったくアレルギーのない人はどれ位いるのでしょうか。私の周りには皆無です。それほど、環境が汚染されていることではないでしょうか。人間が自然の中に居ないという事だと思います。本来受け付けないものの中にいる。それとストレスによってもアレルギーは誘発されると思います。子供も何かと親などのプレッシャーがかかる第一子の子にアレルギーが多いのではないかと思っています。もしかして、神経質の人にアレルギーが多いかもしれません。何かいつも気になることで、ストレスになるからです。

私は喘息が遺伝だけの問題だと考えていません。環境汚染やストレスだけの仕業だとも思っていません。人生のなかで解消しなくてはならない何か自分問題があるのだと思っています。それについて薄々分かっているのですが、完全に立ち向かっていません。それに胸のチャクラと喉のチャクラに問題あり。いろいろな課題が人生満載です。

Thursday, June 25, 2009

体との対話

手は万能のツール


人にマッサージをしているので、体を触る機会が多いのですが、よくこんな体で生きているな~と思う人がいっぱいいます。そこまでいかなくても、背骨が曲がっている人がおおいので、私が勝手に提唱している、背骨の歪みは人生の歪み、でいくと、人生何だかんだ歪んでいる人が多いんだと思っています。

特殊能力者の為か否か、私は背骨からいろいろな情報を得ることができます。内臓のどの部分が弱まっているか、どんな傾向の体質かなどがわかります。もちろん、体以外のことも分かります。背骨を通して内在している感情が分かります。深い悲しみがあるとか、怒りがあるとか、子供の頃はどうだったかなど、まるで体はすべてを知っているかのようです。魂、精神、体は一体なので、そのどの部分からでも他のすべての情報が受け取れる気がします。ちなみに私のやるリーディングは体を触るわけではないので(手を触れて見ることはあります)、たぶん精神の部分から入っていって情報を得てる気がします。

そのなかで、最もおろそかにしがちなのが、体に対してです。欠かさずエクササイズはやってます!とおっしゃる方もいらっしゃいますが、エクササイズも大切ですが、それよりも、体との対話の方が大切です。意識は常に外に向かいがちなので、その意識を体に向けて対話します。結構難しいですが、魂、精神、体を一体にするには、体にもいろいろと聞かないと一体にはなれません。気功の先生は体の動き一つ一つに意識を持っていけ、といわれます。意識を体に向けることはとても大切なのです。でも簡単に意識を体に向けるとか、対話すると言っても、どのように?という疑問が湧いてくるかもしれません。

まずは、自分の体に触れることです。日ごろ使い過ぎて痛い箇所や、凝っている所、弱い部分など触って、マッサージなり、摩るさりして、意識を体にもっていきます。つぼの位置を知っている人ならば、つぼを押すのは効果的。触ることによって、少し自分の体について感じて下さい。そうすると、体の知らなかった部分が発見したり、体が思いやってくれてる気持ちに、うれしくて反応し始めます。

私は若いときにオートバイで転倒し、右膝をアスファルトにぶつけ、膝が3倍くらいに腫れあがり、母にオートバイを乗ることに反対されていたのを強行して乗っていたので、意地をはって医者にも行かず、自然に治るのを待った過去があります。普段は別段違和感はないのですが、膝を使いすぎる事をすると、膝が笑ってしまいます。ある時、別に痛いわけでは無かったのですが、右膝をマッサージし始め、今では膝に意識が行くと、何もしなくても膝が痛いのです。悪い所が目覚めてきている感じがします。たぶんその痛みが取れると、良くなるんだと思います。まめに膝のマッサージをしています。膝をマッサージすると、あの若かったときの事が思い出され、昔の事と向き合うことにもなります。ちょっとつらいのですが、膝が良くなるのですから、仕方がないです。心も体も癒されていくんですね。

体と心が結びついているので、どこか体に問題があれば、おのずと心にも問題があります。ましてや情報源の宝庫で、体を支えている背骨に問題があれば、それはもう人生に影響を与えてるはずです。まず一歩は体との対話ですね(マッサージなどで触って)。背骨に歪みのある私は、前世からの問題を抱えている証拠だと自分で思っています。労わらなくては、かわいい体を。