Wednesday, December 22, 2010

希薄な意味

 人間味の喪失。





手術をして人口股関節を入れた事によって、身体障害4級になりました。身体障害手帳を貰って、福祉サービスが受けられます。私は4級なので、そんなにサービスは受けられませんが、それでも電車、バスの割引が受けられたりします。


経済的、節約的な私は、この手帳を手に入れる事によって、よりエコノミーサイズに生きられる道が、開かれました。

国の医療保険やこの障害福祉サービスによって、ますます国に足を向けて寝られない状態になっています。

人々から間接的に税金を通して援助得られてる私ですが、直接的に助けを得られない実態があります。

まだ歩くのに、杖が手放せない状態です。杖持って電車に乗りこみ、優先席の席が空いていないと、体を安定するために、その近くのポールに捕まります。つり革だと不安定で、立っているのが不安です。

日中の込んでない電車の時間帯では、席を譲ってくれる人がいますが、通勤時間の比較的込んでいる時間帯では、一回も席を譲って貰ったことがありません。殺人的な通勤ラッシュの時間帯はさすがに、乗るのが不安なので、乗りません。

どこかの席が相手も、声を掛けてくれる人は誰もいません。足が悪くない時のように、すばやく行動ができないので、どこか席が空いても、誰かが座ってしまいます。目の前の席が空くまで座れません。しかもポールに捕まっているので、角の席しか座るチャンスがないのです。

優先席は若い男女もその時間には、座っています。

夕方や夜の時間だと、改札へ行くエレベーターに乗るのも、早いもの順。お年寄りや体の不自由な人は、優先して下さいと提示されていても、それは無視される。誰もが早く家に帰りたがって、譲る余裕がない。

私は階段を上ると膝と足が痛いので、なるべくエレベーターを使います。電車から大勢の人が降りてからのエスカレーターだと、人が多すぎて、波に乗れない不安があります。

そういう事情があるのに、エレベーターを使わなくても、十分間に合っている元気そうな人も、その時間帯は、乗っていく。エレベーターを使った方がたぶん早く行けるからでしょう。

もしこの時間に、車椅子の人や、ベビーカーをひいている人は、人の波が消えるまで、きっと待たないと、改札に行けないでしょう。普通以上に時間がかかってしまう行動の上に、待たされる時間も出来て、エネルギーの消費は、凄いことになるのではないかと思います。

ニューヨークでも、日本のような通勤ラッシュの時間帯が長いことはなかったと思います。
東京都心から郊外へ行く、夕方から夜にかけての電車はいつも混んでいます。

日本では何が起こっているのでしょうか?全くもって優先席を設けてる意味が無く、人々の意識が低いのか?

そもそも、皆疲れているのです。疲れていて、立ちたくないのです。

豊かな日本ですけど、国民が皆疲れている。余裕がない。それって豊かなのでしょうか?

たぶん東京には、人が居すぎです。人や物との距離が短すぎる。それは、エネルギー的に余裕を無くしてしまいます。人々のエネルギーが人々や物によって、流出しているように見えます。

たぶん、仕事でエネルギーを使いこんでしまう。

人が多い分、住居は郊外へ。そして移動に時間が掛かってしまう。

そんなエネルギーの余裕のないことでは、他人の心配や関心は向けられないでしょう。

余裕の無い社会で、ハンディーを持った人々が暮らすには、安楽の地は遠くに感じると思います。

これで、大丈夫なんでしょうかね。ちょっと、これから先の日本が不安です。


P.S. 占い(リーデング)はじめました。マリフォーチュンさんの所でやってます。
東京飯田橋駅ラムラ1階。月曜日と金曜日11:00~21:00。
東京有楽町交通会館2階。木曜日11:00~21:00。
で、会えます。興味がある方は覗いてみてください。

Tuesday, December 14, 2010

新生活

デジタル化。






シャバ(退院して)の空気を吸い始めて、そろそろ1ヶ月になります。

入院中の食事時間に食堂でテレビがついているので、テレビを見る癖ができてしまいました。長年テレビの無い生活を心地良いと感じていたのに、家に新しいテレビがやって来て、テレビばかり見てる生活になってしまいました。

ニュースはなるべく見ない事にしています。良くない話ばかりですから、気が沈みます。馬鹿げた話も多いので、イライラさせられます。

同居人もいるので、私の好みだけで番組を選択できませんが、もっぱら世界の国々の紹介や何故か韓国時代ドラマ、NHK朝ドラなど見てます。日本のおいしいもの紹介も見てますね。後は笑えるバラエティー番組。ときどきアメリカの番組を英語で見て、英語を忘れないようにしてます。でも、日本語が聞くほうが楽なので、だんだん英語が遠ざかっています。少し悲しい。

テレビは癖になります。折角本を買っても、読む機会を失っています。しかも、来年から地上デジタル放送の切り替えがあり、政府がエコポイント制を設けたこともあって、テレビが売れているそうです。なにせ我が家でも、新しいテレビを買いました。新しいテレビは、映りが綺麗で、大画面なので、魅せられています。

何事にも罪悪感を持つ必要はないのですが、テレビ中毒に対して、後ろめたい感じが拭いされません。それは、止められない事全てに繋がるように感じます。食べすぎ、物をもちすぎ。

気のせいかテレビをよく見るようになってから、イライラする事が多い気がします。

現代は私に何を与えようとしているのでしょうか。

豊かさを別の物で得たいですね。何かに捕らわれていないで。

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東京飯田橋駅ラムラ1階。月曜日と金曜日11:00~21:00。
東京有楽町交通会館2階。木曜日11:00~21:00。
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Tuesday, December 7, 2010

美味しいのはうれしい

太陽に万歳。


12月に入って、東京はまだまだ暖かい日が続いて、助かります。

TV番組の情報から、野菜を干しています。野菜を干すととても美味しくなります。味しくなるだけでなく、栄養価もあがるのだそうです。

見かけはしなびるので、美味しそうには見えないのですが、食べるとびっくり。味が凝縮されて、し
かも甘くなる。調理時間も新鮮な野菜よりも短くなるし、水ぽくなくなるので、味が染み込みやすい。しかも、栄養価が高くなるなんて、太陽の恵みだーと叫びたくなるほどです。

干す時間もそんなに必要がないので、朝干したら、夕飯には使えくらいで、十分味わえます。

そういえば、前はお菓子代わりに、切り干し大根をそのままボリボリ食べていました。これがおいしい。乾燥が多ければ、干し椎茸のように、水に戻す必要も出てきますが、そこまでしなければ、そのまま料理に使えます。

干し椎茸も使う前にさやを上にして干せば、時間が経つにつれて失われた栄養も、戻るそうです。旨みも上がるのではないでしょうか。

実に簡単です。ざるに野菜や果物を置いて、太陽に当てるだけ。母は柿好きで、柿を切らずにヘタを上にして、一日日に当ててたら、柿の渋みが取れて美味しくなっていました。一日干しただけでは、硬くなるほどには成りません。私は何となく口に残る、柿の渋みが嫌いで、余り柿を食べませんが、その柿には驚きです。柿は果物の王様だそうで、柿を食べておくと、風邪をひかないとか。栄養価が高いらしいです。

もしかすると、魚の干物も、一度日に当てると美味しくなるかもしれませんね。自家製干物も作ってる普通の主婦が、番組に紹介されてましたから、魚の開きを作るのもいいかもしれませんね。

人間も太陽の日に当たって、ビタミンを作り出す機能があるのですし、当たらないと気がおかしくなってくるのですから、太陽の恵みには感謝です。

この野菜や果物を日に当てて、食べてみてください。実に美味しいですよ。今の時期乾燥しているから、やり易いかもしれませんね。ミネソタで天気のいい日に外に出したら、凍ってしまうのかしら。きっとしますよね。寒い場所では、部屋の中でもいいと思いますよ。お試しあれ。

P.S. 占い(リーデング)はじめました。マリフォーチュンさんの所でやってます。
東京飯田橋駅ラムラ1階。月曜日と金曜日11:00~21:00。
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Thursday, November 25, 2010

休養

養生してます。



先週一泊二日の千葉県の温泉旅行に行って来ました。父が亡くなってから初めての家族旅行です。今回は新しく家族の一員になった、義理の妹と初めての一夜を過ごしました。

家族揃って(実際には揃ってないですが)の旅行は、どれくらい久しぶりなんでしょう。ともすると、20年ぶりになりますか。実際に旅行に行ってしまうと、月日のギャップは感じられないのですが、ふとある時、弟の隣に居る人は誰?という不思議な感覚になります。

久しぶりの温泉旅行は面白かったので、また温泉に行きたいです。次は最低2泊3日して、一日温泉三昧をしてみたいです。体温を上げて、免疫力をアップさせる。退院して気が付くことは、足が冷えることです。以前はそんな事はなかったのですが、足先が冷たい。あ~血の巡りが悪いんだ~ 半身浴でもして冷えを取らないと、病気になってしまいますよね。

ニューヨークシティ時代にアパートに住まわせていただいていた、友人のYさんが、旦那さんと一緒に千葉県の大喜多町にお店を開いているので、旅行の途中で昼ごはんを食べに行ってきました。

お店は、動物性の食材を一切使わずに、食材にこだわり、麹などの発酵食品を使うなどの創作料理屋さんです。久ぶりのヴィーガン料理に、ほっとしました。

病院食はヴェジタリアン用に、私が栄養士さんに頼んだもので、そもそもヴェジタリアン用の食事がないので、決まったメニューを朝昼晩毎日食べていました。当然飽きるわけで、それでもなにせ選択が無いので、食べ続けました。だから、歩けるようになると、外に出て何か違う食べ物を探しに行くのです。

そんな生活をしていた後なので、お店での食事はオアシス。体に潤いです。

お店はYさんのセンスが生かされ、いい感じです。これから、ますます発展していって欲しいお店です。

Monday, November 22, 2010

暖かい

手編みの温もり。


退院してきました。いろんな方に心配をお掛けしました。ご声援ありがとうございました。

シャバは寒い。いつも快適な温度に設定されている建物の中にいたので、温室で育てられたものが、外に出てきた感じです。

まだまだ歩きは完全でないので、毎日散歩でリハビリしてます。

実家に戻ってきて、また新しい環境での生活。長年住んでいた所なので、慣れるのは難しくないです。

しかし、久しぶりに母親との生活は、時の流れを感じさせます。お互いに年を取って、会話がちぐはぐ。母は主語のない話をするので、私は彼女が何について話しているのは分らないまま、聞いてうなずく。私は私で、ときどき会話の中に、英単語を日本語発音で混ぜてしまうので、母は意味不明のまま聞いているのでしょう。

それに、思うようにならない足に、もどかしい。家にいると元気だった頃の感覚に戻って、その気でいると、体が追いつかない。何でヘコヘコした歩きをしてるんだろう、なんて思ったりして。

退院第一打にマフラーを編みました。寒さ対策です。冬物を一つもアメリカから持ってこなかったのと、母の友達に手編みの帽子を頼んだので、買った毛糸の余りで編みました。何かを作るのは面白いですね。

Friday, November 12, 2010

意識の外に回答がいっぱい

 自分の作ったテストは難しい。


とうとう明日退院です。4ヶ月の病院生活は長かったです。季節が2つ(夏、秋)飛んでしまいました。そして、今年ももう終わりに近づいていて、しゃばに出たら、生活も年も新しく始まる感じですね。

今では、歩行はだいぶよくなり、杖が無くても体の振れが少なくなってきました。右足の付け根辺りの外側(傷口の辺り)の筋肉が、かなり弱くなって体を支えられないので、歩くときに上半身が左右に振れていました。その事を、私の担当のリハビリの先生は、「ピョコタン」と呼び、私は「ヘコヘコ」と呼んでいました。

杖をつかないで歩き始めた頃は、ペンギンのような歩き方で、手をペンギンの羽のような感じでバランスを取り、ピョコピョコ小幅で歩いていました。それがそのうち、足幅が広がり、体を振って歩く。股関節から歩くのではなく、骨盤を体ごと前に出して歩く。

このピョコタン歩きがいつまで続くのか、いつになったら、余り疲れず歩けるのか分らないので、もどかしさがいっぱいでした。もどかしくなると、走りたくなります。もちろん、走ることなど出来ないのですが、走ってしまえば、右足が前に出やすく、体を支えられるような気になるのです。

入院最後の1週間で、だいぶ歩きが良くなり、足も軽くなってきました。階段も比較的スムースに上れるようになり、病院の階段を1階から8階まで上がり、リハビリの先生もハアハア。そうなると、リハビリというより、トレーニングです。

何事も序々に出来るのではなく、ある時、あれ?出来きてる、ようになります。陶芸もやっているうちに、あれ?作れた、とステップの長い階段状に進歩していきます。

目覚しい発展期は、昨日出来なかった小さい事が、今日出来てる状態になります。まるで細胞が修練していて、いろいろなデータをはじき出して、筋肉を作り、この動作にはこれが必要と、回復させてる感じがします。歴史は夜作られるといいますが、体も夜作られているようです。

入院してつくづく思うのは、意識という私が分っていることは、ほんの少しに過ぎないということです。細胞などの体、自分に起こる出来事、自然も含めた環境、自分の周りの人々等が、私を中心に成り立っているにもかかわらず、私自身はよくわからないのです。

いまの時期、病院から見える夕日がとてもきれいです。遥かに富士山も見えるので、山のシルエットもふくめて、空が織り成す、美しい色の色彩、コントラストが、ものの見事に映し出されます。病院の食堂から一望できる、夕日の景色は、実家に帰ってからは見られない風景です。退院前に私に見せてくれている美しい夕焼けは、まるで贈りもののようです。

まるで私の為にとでも言いたくなるほどですが、そう言って何が間違っているのだろうかと思います。意識の私が知らないだけなのかもしれません。本当に私への贈りものなのかもしれません。感じるのは私ですから、そう思うほうが幸せを感じる気がします。

もうそうなると、世の中は自分の為に成り立っているのだと言っても、過言ではないのと思います。

他人が見ている世の中と、私が見ている世の中は違うのです。誰でも同じ所に住んでいても、見ている世界は違うのです。しかも、意識は自分が思っている世界を全部把握していないのです。

また、人のことを言い表すのに、例えばある人は品のあるかないかで評価したりします。たぶんその人にとって、品があるか無いかがとても重要な位置を占めているのでしょう。私は基準を面白いか、面白くないかで評価し、品があるかないかはさして問題にしません。きっと私は面白い人間になりたいのでしょう。そうなると、同じ人なのに、それぞれの評価が変わってきます。本人は何も変わってないのです。

そうなると、人々も自分の為にいるのです。なにせ勝手にこちら側で判断しているのですから、同じ人でも、人によって見方が違って、都合よく判断されて、その人自身については、誰もわかりません。ただ、他人どうし比較しやすいので、人は本人の知らない面が見えるのは確かですが、それもその人の本質を見ていることにはなりません。

世界も人々も自分の尺度でみているのですから、自分の為にあるのです。しかも、意識は自分の為にある世界も人々もすべてを把握していないので、把握していない部分に出会うと、問題が生じたように錯覚します。でも、すべては自分の為にあり、自分自身が作りあげているのですから、問題は何もないのです。

困難にぶち当たったら、意識が把握していない部分にさしかかったと、思うのはどうでしょう。把握してしまえば、もともと自分で作りあげているものなのですから、どうにでもなるのです。乗り越えられない、回答がでないものは、作り上げたりしないものです。

知恵は把握していない部分の、謎解きに使うのにあるのかもしれません。全てを知っていたら詰まらないので、知らない部分を作る。知らないと知りたくなるので、勉強する。人生は自分で作った問題を、自分で解いているのかもしれません。

Sunday, November 7, 2010

歩ける喜び

欲は向上の始まり。

退院が間近なので、そろそろ入院記も終わりに近づいてきました。ブログの話の方が実際の状態より遅れているので、話が飛びそうですが、入院記の続きです。

水中歩行の訓練をして、足が歩く動作を思い出してから、序々に歩けるようになりました。筋肉が低下しているのと、すごい痛みを1ヶ月間体験していたので、筋肉が収縮していて、筋肉の柔軟性が無いために、歩行が困難。掴まるものがないと歩けません。

それでも、車椅子は卒業して、歩行器を使って歩く練習です。この歩行器、スイスイ進むので、
腕を歩行器に置き、体重を乗っけて、スタスタ歩けます。まるで、歩行器が歩いてくてれ、私の足は前後に動かしているだけの様になります。あ~楽チン。

歩行器に頼って歩いてしまうので、歩行器を手に軽く持つ感じで歩いて、と言われても、その様にして歩くのはキツイので、スイス~イと滑るように歩いて、病院内をあっちこっち行きます。

そんな事をしているうちに、杖を持たされ、杖を突いて歩く練習に移行してきました。杖を左手に持って、えっちらおっちら歩きます。杖を突くのに力が入るので、手も痛い。右足に体重を乗せきれないので、体がかなり揺れます。ヘコヘコ歩いてます。

歩ける距離が出るのは筋トレ次第と言われ、地道な筋トレが苦手な私は、漫画を読みながら、足上げ、テレビを見ながら、ストレッチと、ながら族方法で、やっていきます。

だんだん歩ける距離が長くなってくると、嬉しいものです。リハビリの先生と外に出て、歩く練習。外は道路に傾斜があったり、でこぼこしたりと、病院のようにピカピカの廊下のようにはいきません。

付き添い有りで、外に出て歩いていい許可が出ると、外にでた~い。車椅子で外に出ていい許可が出たときも、外に出た~い欲求が多かったですが、車椅子は何かと不便なので、ちょくちょくは外に出られない。

杖突き歩きになれば、身軽ですから、ここへ行きますと、母(付き添い)を誘います。前回話した、代々木公園でもべジフードフェスタは、歩いて行きました。その時は、無理して歩いて体ボロボロになり、回復するのに、5日もかかりリハビリの先生に怒られましたが、少し無理しないようにと静かに。ほとぼりが冷めた頃、外に出てデパートに行ったりして、足腰が痛い。無理を重ねています。

筋トレより、無理な歩行距離。筋トレは無理してもいいですけど、歩行は無理しないでくださいね、と担当でないリハビリの先生が患者さんに説明しているのが聞こえて、ヤバイ、と心の中で呟く。

実際、無理して痛い思いをするのは、私なのです。それでも、欲望には勝てない。欲が向上心を呼ぶのです。

相変わらず、言われた事が出来ずに、自分の判断でしてしまう私。病院は新宿駅のとても近く。周りには色々な物がいっぱい。今のうちにエンジョイ入院生活。

Wednesday, November 3, 2010

幸運

他人だけじゃない。



入院記。

少し痛い話は休憩して、私の周りの事を紹介。

人間いろんな人がいますが、ここリハビリ科に入院している人達は、ラッキーな人達の集まりです。

入院している人の大半は、脳卒中の方達です。脳卒中は、脳の急激な血液循環障害による症状で、脳梗塞や脳出血一連を脳卒中というらしいです。症状が起きると、体が麻痺します。大概の人は、右左一方が麻痺します。

大脳か小脳での症状でも、体の麻痺差加減が違い、小脳の場合は麻痺度が軽いです。

脳だけでなく、脊髄に問題が起きて、体が麻痺する人もいます。その場合は下半身の麻痺の症状が出ます。脊髄による身体麻痺の人は、脳卒中で身体麻痺の人より圧倒的に少ないですが、この病棟にもいらっしゃいます。

後は、お年寄りの骨折です。これはとてもやっかいで、下半身や背骨を骨折したら骨が付くまで動けない。動けない期間が最低3週間はかかるので、その間に筋肉が落ちる。筋肉が落ちると歩けない。間接も硬くなる。歩くのにリハビリが必要です。

大半の人は、退院する頃には歩けるようになっています。そこが、リハビリのすごいところです。

病棟は東西に分かれていて、介護がそれほど必要のない人達は東棟の病棟になります。私はリハビリ科の中では、軽症なので東棟です。

東棟の人達の話を聞く限り、奇跡的な人が沢山います。この前は15歳の少年が、自転車に乗っていてタンクローリーにぶつかり(大きな通りで渡ってはいけない所で、道を横切ろうとした為。無謀すぎる。)10メートルも飛ばされ、左側の頭を打ち、手術後2週間こん睡状態で、頭の手術を合計3回もして、たまたま左効きだったため、何の言語障害も出なく、すでに元気な状態で1週間この病院にリハビリの為に入院してました。頭の大きな傷は痛痛しいのですが、生きているだけでも、ありがたい。5分遅く手術していたら、死んでいた奇跡君でした。

サーフィンをしに友人達と海に出かけ、みんなが海に入る手前で、脳卒中を起こした20代半ばの青年は、たまたま居た浜辺が、大きな病院の近くだったので、早めに処置出来て、助かったそうです。彼も手術後2週間は昏睡状態でした。

一人の状態で脳卒中を起こし、自分で救急車を呼んだ人も多いです。海外で事故や脳卒中になった人も、結構います。

私も後2日遅く、ミネソタを発つことにしたら、飛行機に乗れませんでした。入院して2日後に、あまりにも痛すぎて、座れなくなってしまったからです。

どの人も、「たまたま」や「運良く」などの言葉を聞きます。でもそんなに都合よく、そんな事が起きるのでしょうか?

ラッキーさんや奇跡君は、実は少数ではなく、大多数がそうなのだと思います。これを読んでいる人も、実はラッキーさんや奇跡君なのです。たまたま今日が生きられたのでしょうか。運が良かったから死なずに済んだのでしょうか。死んでしまった人は、たまたまなのでしょうか。運悪くて死んでしまったのでしょうか。

たまたまなんてありません。運良くなんてないのです。(でも、運良くと思ったほうが、心がウキウキしますが。)そうなると、本当に生きてるその瞬間、瞬間に意味があるのだと思います。

運良くも運悪くもなく生きているのですから、心配御無用ですね。後は学ぶだけです。

Sunday, October 31, 2010

毎日の試練


靴下履き。



入院記。

水中歩行を何回かやることによって、地上でも歩けるようになってきました。もちろん、筋肉が落ちてますから、筋肉トレーニングをやり、硬くなった筋や筋肉をほぐすために、ストレッチは欠かせません。

何せ体が硬い。右足は硬くて、靴下が履けないくらい、曲がらない。足と体が90度以上曲がると、脱臼する可能性があるので、足を抱える姿勢はできません。そして、膝を内に入れて、足を外側に(女の子座りの要領)向けるのは、禁じて(脱臼します)なので、その方法は使えません。胡坐をかくように、股を開いて、膝を折り込んでいく姿勢でしか、靴下は履けません。それが、股関節が硬くて開いて、足を体の方にもっていけない。

そこで、発揮するのが、靴下履きサポート(写真参考)。股関節が硬い人には、これを使って靴下が履けます。すごい優れもの。手術後の始めの頃は、これにお世話になりました。

でも、実際はそれを使って靴下を履くのは、めんどくさい。直接履ける方が、いつでもどこでも履けるので、いいに決まってます。

右膝が大分曲がるようになってきてから、めんどうなことは、嫌いな性質なので、意地でもストレッチをして、直に靴下を履く努力。毎日、毎日股を開いて、右足を手前にもっていく。一日に何回かしないと、直ぐにまた硬くなる。膝も硬いので、厄介。折り曲げて、痛てててて。伸ばして、痛てててて。それでも、靴下を履くぞ!がんばれ!で、自分を励ましながら、やっていきます。

その甲斐あって、そのうち靴下がようやく履けるくらいは、足が手前に引き寄せるようになりました。もう靴下履きサポートは要らなくなりました。今でもそのストレッチをしないと、靴下が履けなくなります。しつこいぐらいに、硬く戻るのです。地道にやっていくしかありません。足の引き寄せが、かなり出来るようになれば、靴紐を結ぶことも出来るようになります。今はまだそこまでいってません。

地道にコツコツとするのは、苦手なタイプ。でもやらないと、靴下履きは毎日の事だから、やらない訳にはいきません。しかも、リハビリで先生に足を持たれて、上げていくストレッチをするので、靴下を履く必要があります。修行はこんな所まで、性格変更を余儀なくさせます。

修行は続いてます。痛いのはいつ終わるのでしょうか。まだまだ続きます。

Friday, October 29, 2010

あんよは上手

 水中歩行。

まだまだ、入院記。

人間の体はおもしろいもので、使っていないと使い方を忘れてしまうのです。私の体は、何ヶ月も歩いていないので、歩き方を忘れてしまってました。上向きの寝た状態で、右足を上げてみようとしても、一向に上がりません。筋肉が落ちてるだけでなく、上げ方を忘れていて、上げようとしても、命令が伝わらない感じになります。

この足上げが出来ないと、歩けないのです。一歩が踏み込めない。力が入らない。もちろん、全然歩けないわけではなく、平行棒に捕まっていれば、歩けるのですが、そのぎこちなさは、人間ぽくないのです。

そこで、リハビリの先生が考えたのが、水の中で歩く方法です。リハビリ室に水の中で歩く機械があって、それを使っての歩行訓練開始です。

水着に着替えて、機械の中に入って、ぬるま湯が入って行き、歩く場所が動いて、歩かされる。トレッドミル(ランニングマシーン)が、水が入るような大きな容器に入っているようなものです。

それを使って、歩いてみると、何せ地面が動くのですから、足を動かされ、勝手に歩いていくといった感じで、歩く、歩く。浮力がつくので、足に負担が掛からず、足が前に出せる。しかも、休憩するときに、ジャクージように、空気が噴射されるので、気泡が筋肉をリラックスさせてくれる。あ~気持ちがいい。しかもライトが内臓されていて、色々な色が点滅する。機械はアメリカ製なので、アメリカ人のジャクージの発想が、発揮されている。ちょっとしたリゾート気分になれます。

休憩も入れて、ウォータートレッドミルで40分くらい歩いて、その日は終了。終わった後は思ったほど疲れていない。まー年を取ったので、疲れは直ぐにはでず、後に出るものなのですが。

次の日、なんと横になっての足上げが、出来るようになりました。驚き。あれだけ出来なかった、足上げが、結構難なく足が上がる。歩く事によって、足の動かし方を思い出したんですね。すごい。

それからと言うもの、右足の足上げは日に日に良くなり、だいぶ軽々上がるようになった頃、水の中でなく、平行棒を使って、前より上手く地上で歩き始めました。やったー

無理やりでも動かしていけば、動かし方を思い出して、動くものなんですね。人間の体はすごい。意識の中の脳のコントロールだけでは、すべてが出来ないことがわかります。我々がコントロールしている脳は、ほんの一部だけ使っていて、むしろ時々脳(考えて)でやろうとすると、出来ない事が多いことに気が付かされます。立体のパズルをすると、考えてするより、何となく手を動かしている方が、出来たりします。意識(考え)はほんの一部のことしか、出来ないんです。そうなると、時々考えても無駄ということが、実証されますよね。意識は頼りないです。もっと違う自分の部分を信じた方が、自分を発揮できるのかもしれません。

Sunday, October 24, 2010

リハビリ強化

 歩行に向けて。

入院記続き。

病棟6階へ移動。リハビリ科は回復期にある患者さん達を、期限付きですが家に帰れるくらいに、リハビリをしていきます。

10階の整形外科の病棟は、股関節の置換手術を受けた人が多く、入院しています。それらの人達は4週間プログラムで退院していきます。

プログラムは車椅子から松葉杖->方松葉杖->杖と移行してき、杖無しでも歩き始めた頃退院です。なので、人々は自分の進歩状態を比較できます。あの人は同じ日に手術して、片松葉杖になったとか、もう杖を使っているわとかで、遅れを取っている、人より進んでいることが、一目両全です。大概自分の状態がどうであれ、4週間したら退院です。リハビリ時間も多くて80分なので、みな流暢に歩いて家に帰りたい思いで、競争心が出てきて、自主トレをがんばる人が多いです。

それに、大抵の整形外科の患者さんは、骨や関節を痛めていて、それ以外の部分は大丈夫ですから元気です。活気が違います。

その点6階のリハビリ科の患者さんは、老人の骨折、脳梗塞、脊髄損傷のために麻痺がある人達が多く、圧倒的にお年寄りがいっぱいいます。年齢の若い人は、自主トレに励む人が多いですが、病棟の雰囲気は、おっとりとした空気が漂います。

今までの、整形病棟の弱肉強食的な雰囲気から、温室に入ったようなマッタリした空気のなかに入った感じを受けます。それでも、月曜~土曜日まで、一日最高3時間リハビリをするので、結構疲れます。それも病棟からリハビリ室は渡り廊下で繋がっているので、直ぐにでも、はい’リハビリ時間です、と行ったり来たり出来ます。

大部屋の病室も車椅子が出入りしやすいように、広く区画が取られ、今までの5人部屋を4人で使う間取りを取っていて、快適です。

10階6階とも、食事は食堂で取ります。食事がカートで運ばれて、座る場所が決められいるので、給食の係りの人が、各々のところに、トレーに乗った食事を運んでくれます。

ここで、この両階の大きな違いは、整形外科病棟は、平均年齢が低い分、食欲が旺盛で、食事制限されている人が少なく、一人で動ける人も多いので、外で買ったもの、差し入れに貰ったものを、みんなで分けたりします。叉は自分で外部からおかずを手に入れて、味気の無い病院食を少しでも、華にしおうとします。逞しさが見えます。

方や、リハビリ科は平均年齢が高く、食事制限されている人も多いので、外部から手に入れた食材を食べる人は、余りいません。精精ふりかけをかけて、ご飯を食べるくらいです。静かなものです。

いよいよ、リハビリ強化。担当の理学技師、生活技師(リハビリの先生は技師さんと呼ばれます)も変わって、手術後4週間経っても車椅子の私を、歩けるようにします。

まずは、担当のリハビリの先生が変わったので、手始めにどれくらい動かせるのか、リハビリ室のベットに横たわって、チェックしていきます。理学の先生は私を痛さで叫ばせないのが、目標と言っていましたが、初日に叫びました。あらら。。。

Thursday, October 21, 2010

曲げて、伸ばして

筋肉さん起きて下さい。




再び入院記。


個室(2週間だけ10階の整形の病棟で、個室料無しで入ってました。)のベットの上で膝と股関節を中心に、リハビリを開始。車椅子に慣れたころ、大部屋に移され、リハビリは、病院内にあるリハビリ室へエレベーターに乗って移動。この病院には広いリハビリ室があって、いよいよ本格的に歩けるように、訓練開始です。

体全体の筋肉が落ちてしまったので、何をやっても痛い。足腰が痛いのは言うまでも無く、乗り移りで手すりを使って立ったり、座ったりして、腕や肩の力を使うので、腕や肩も痛い。

リハビリは2種類に分かれていて、理学療法(Physical therapyPT)と作業療法(Occupational therapyOT)があります。理学は運動障害の回復、改善をはかり、作業は特定の作業を通じて治療を行います。人工股関節を入れると、脱臼しない姿勢を覚えないといけないので、畳からの立ち上がりや、お風呂の入り方など、生活していく上で注意しないといけない、動作の訓練、ストレッチや筋トレも作業療法でします。

リハビリで動かすたびに、どこかが痛くなり、我慢できない痛みだと、何故かつい笑ってしまう。鋭い痛みが走ると、痛い!、と叫んでしまい、静かなリハビリ室に私の声が響き渡る。日本人は痛くても、黙って耐えているんですね。でもこんなに痛い人も珍しいと思うけど。

で、私はリハビリ室では、騒ぐ人として有名になり、大勢いるリハビリの先生達の中で知らない人はいない、有名人になってしまいました。騒ぐのは、痛いのだから仕方が無い。

私の痛みは、1ヶ月の動かないベット生活で、落ちた筋肉と、固まってしまった関節を動かすために生じるのと、凄い痛みを体が受けて、痛みを感じるたびに、体を硬直さていたので、筋肉の収縮の柔軟性が無くなってしまって、筋肉を動かすと伸び縮みのコントロールが上手くいかないので、痛くなるそうです。

普通この動きだと、ここは痛くならないのに、という所が痛くなったりと、予測のつかない場所の筋肉の痛みなどで、リハビリの先生を翻弄させていました。

まずは、ゴリゴリの筋肉を揉みほぐして、ストレッチをして、動かしてみる。寝て、足を曲げて、痛たたたた。硬いね。。。。座って、膝曲げて、痛たたたた。立って、座って、痛たたたた。

平行棒に両手で掴まって、歩いてみましょう。歩いて、あっ、ケツが痛い。だめです。

それでも、こつこつやっていけば、曲がらなかった膝も曲がるようになり、股開きも少しずつ開き、ぶよぶよだった腕も張りが出てきて、進歩するのが見えます。人間の体は凄いものです。何もやらないと、退化するのが早いけど、また動かしていけば向上するのです。

手術して1ヶ月が経とうとする時、6階にリハビリ科の病棟があるので、そちらへ移ってリハビリを強化をしたらどうかという話が、持ち上がりました。そっちへ移ればリハビリの時間が長くできるので、早く歩けるようになるかもしれない。それなら、移りましょうと、6階へ移動です。

Tuesday, October 19, 2010

愛のメッセージ

 再びやって来た必読書。

前回のべジフードフェスタのときに会ったKさんから頂いた、本の紹介です。

「アミ 小さな宇宙人」 エンリケ・バリオス著です。さくらももこさんが挿絵を描いていて、可愛い本になってます。

今年の3月父の入院で、日本に帰った時に、友人がこの本を読んでいて、いい本だから読んでみな、と言われていたのですが、それっきり。読む時間はいくらでもあるいい機会だったのに、手に取らずじまい。そしたら、手元にやってきました。読む時間があるので、またもやいい機会にやって来ました。これをまた無視しても、またいつか私の目の前に現れるのは、見え見えなので、今回はちゃんと読みます。

必要なものは、意志にかかわらずやってきます。大概私はめんどくさがり屋なので、その物が3回目くらいに偶然に現れてから、これは必要なんだと容認します。無視しつづけると、神様は懲りもせずに、メッセージを送り続けますから、回数が多くなると強制的な手段にでます。その頃には、私ってバカだな~と思い知らされる経験があるので、今回は素直に本を頂きました。ありがとうございます。

てなわけで、この本は読まなくてはならない本の一つなのだと、感じています。まだ読み始めたばかりなので、感想を書けないのは残念ですが、宇宙人アミを通して、愛あるメッセージを受け取ります。このシリーズは3冊あります。(「もどってきたアミ」「アミ 3度めの約束」)

読んでみませんか?読み終わらないうちから、お勧めします。

Monday, October 18, 2010

べジフード

 外出しました。
今回入院記はお休みして、昨日行ったべジフードフェスタについてです。

杖をついて歩けるようになったので、少し人混みに挑戦。代々木公園のNHKホール前で、先週末はべジフードフェスタをやっているということで、母と一緒に行って来ました。

ニューヨークシティに住んでいた頃に知り合ったKさんが、ちょうど日本に帰国していて、ブログの再開を見て連絡をくれ、彼女とフェスタで会う事にしました。(ありがとう、Kさん。)

フェスタの感想は、来てる人の大半が若い人達でしたね。20代30代。若い人が引っ張っていけば、日本のベジタリアンの未来は明るい。あと、ブースの売り込みが凄い。OOOいかがですか~と大きな声で叫んでる。アメリカのフェスタにいって呼び込みをしている所を、余り聞いたことがなかったので、なんだか商売中心な印象を受けてしまいました。

ベジタリアンフードを広めるというより、売り上げを考えているように感じてしまうのは、まだまだ趣旨が甘いな~と思ってしまいます。お店の人とお客さんが話している姿を、そんなに見なかったし、日本のお祭りのように、屋台から何かを買う状態で終わりですかね。

まー私も足が完全でない分、じっくり周りを観察したわけではないので、軽く受けた印象です。私自身もう少し周りとコミュニケーションを取れば、何か違ったものを取れたかもしれませんね。しかし、べジフードは値段が高いよ。貧乏人にはキツイ値段だね。

もっとおいしい野菜が、手軽に買える時代になったら、もっとベジタリアンも増えるかも、それともベジタリアンが増えれば、おいしい野菜が手軽に買えるようになるかもしれませんね。病院という狭い社会しか触れ合えない状況ですが、結構野菜食べない人が多いのに驚きます。にんじん、きゅうり嫌い。。。そんな声を聞くと、もったいないなーと思ってしまいます。自然な美味しさを知ると、幸せ感が身近に感じるのにと思ってしまいます。美味しい野菜食べたことが、無いんじゃないの?とも思ってしまいます。野菜ってそんなに美味しいのと思うかもしれませんが、美味しいですよ。

無理をしてだいぶ歩いてしまったので、今日は体中が痛い。右足の付け根がとても痛い。まだリハビリで1時間しか外で歩いていないのに、昨日は5時間半も外にいて、3~4時間歩いてしまって(そんなに歩いた事は申告できなかったです。)、体ボロボロ。自主トレを積極的にしない私なので、何もしないか、無茶をするかですね、とこっぴどくリハビリの先生に怒られてしまいました。相変わらずの私です。

Saturday, October 16, 2010

急げ!

間に合いましたか?


入院記は続いてます。

ベットから車椅子に乗り移れるようになったら、トイレの練習です。トイレは自力でやりたいものです。車椅子から便器に座わり、また車椅子に戻る動作が出来れば、人の手を借りる必要がなくなるのです。

練習開始。車椅子から立つ。あ~膝が痛い。方向を変えて便座に座る。あ~あ~、ぎゃー痛い!、右膝が膝が。。。。

今まで1ヶ月伸ばしぱなしのため、膝が硬くなって曲げるたびに痛い。ものすごく痛い。でも、動かさないと痛みが取れませんよ、と言われベットの上で毎日膝の曲げ伸ばしの訓練。股関節どころではないのです。

そのうちカンのいい私は、自力で右膝をなるべく曲げずに立ったり座ったりを取得。これで、トイレも完璧かと思いきや、思わぬ事が。

1ヶ月も尿管に管を入れられ、何もしなくても勝手に尿が管を通って尿袋へ入っていっていたので、膀胱の筋肉も衰退。尿意をもようしてから、尿を排出しないように、我慢するのが出来ないのです。尿意を感じたら昼間は急いでベットから車椅子に乗り移って、いざトイレへ。運よくトイレは部屋の前だったので、最短距離。息つく暇も無く便器へ、すばやくズボンとパンツを脱ぐ、ぐずぐずしていると本人の承諾なしに尿が出てしまう。あれあれ立ってる間におしょう水が。。。ズボンを濡らさないよう便器の中に入れて、便座に座って、ほ~と。

夜中はこんなに早く行動ができないので、看護師さんを呼んで、オマルをお尻に置いてもらい、ベットの上で用足し。これも一分一秒を争う動作。

体を動かしていくうちに、尿を我慢できるようになりますよと言われ、歩くという動作は筋肉の連動で、いろいろな所に作用しているんだな~と実感。歩けるようになる前に、この問題は解消。リハビリで体を動かしていたからですね。

下の問題は大変。食べたり、飲んだりしたものが出ないと、病気になるので、出さざるを得ません。日に何度もあるわけで。最初にクリアしたいリハビリですね。使っていないと、人間の体は退化する。それも適応の一種なんでしょうね。しかし、失くしたものを戻すのは大変です。筋肉だって例外ではないです。でも取り返すとこが出来るのも、すばらしいことの一つですね。

Wednesday, October 6, 2010

ルームメイトがいっぱい

一人では生きていけない。

リハビリが始まるまでは、入院中は暇です。暇なのだから本でも読もうと思っても読めない。直ぐに疲れてしまうし、内容が頭に入らない。読む気がしない。本を読むのは思っている以上に、体力がいる作業なのがわかりました。

まず始めは、ミネソタに居たころ、意を決して買ったI-pod touchで音楽を聴きまくってました。このI-podは急に欲しくなり、勢いで買ったものですが、まるでこの入院の為に買ったのではないかと思うくらい、買っておいて良かった一品です。ビデオも見られるので、アメリカに居たと時にI-podに入れてあったビデオを見て、楽しむ。インターネットが使えなかったので、新しいものは入れられなかったので、同じものを繰り前して見ていました。

任天堂DSゲームも、ベットのお供に。

そのうち弟がDVD本体+DVDを持ってきてくれたので、映画を見て過ごし、同じ映画を何度も見て、疲れたら寝るといった具合でした。

車椅子で移動できるようになってから、病院に置いてある漫画を、片っ端から読んで、読むのがなくなった頃に、本を読むのを始めました。本を読めるようになったら、だいぶ快復した証拠です。

時間つぶしのアイテムの使用頻度で、どれくらい快復したか図れるくらい、それぞれの使用期間がありました。今やあれほど聞いていた音楽は余り聞いてません。

読んだ本の中に、「江戸塾」杉浦日向子著があります。この本に、江戸時代の庶民は、病は未知の世界から来たメッセージなので、何か用があるから訪れているのであって、その用件を聞いてからお帰り願う。だから西洋のように病は駆逐する「闘病」でなく、「平癒(へいゆ)」であると。病気と付き合っていくという考えでした。なんて、素晴らしい考えなんでしょう。

それに、江戸では町自体が一つの大きな家みたいなものでした。町全体を自分の家として使いこなせるように、住民がお互いに工夫し合った。なにせ人口が多い。当時山手線内側で120万人住んでいて、1800年代のNYCで人口6万人。

庶民の家は狭く、リビングは風呂屋の2階、食事は屋台。風呂屋に行って、家は寝床。火事が多かったので、物をさして持たずに生活。これぞのときはレンタル。困った時は回りが助けてくれる。子供は町の共有財産なので、町の人々が面倒をみる。町中の人々が共存し合っている。

入院もまるで学生寮。個室もありますが、家族でもない人達と、部屋、風呂、シャワー、トイレ、食堂を共同で使用。ここの病院は、患者さんや職員が使用する公共浴場があります。裸の付き合いも出来るわけです。皆励ましあいながら、生活しています。

それこそ私が常々考えている、共存です。病でさえも共存していく。すべてのもの、すべての人との共存は、基本であり、共有は中枢をなして地球上に生きていくものだと、思っているのです。

世界中が共有しながら、すべてのものと共存していく日は、いつ来るのでしょうか。共存するには、相手、物事を知らないとできない。でも知れば信頼が生まれる。きっと知らない事が多いんでしょうね。

Tuesday, October 5, 2010

予定通りですか

 すでに決まっている人生物語。

まだまだ続いてます入院記。

悲劇のヒロインの気分とはまた別に、この股関節が痛くなり、日本帰国、入院のハプニングを、結構無理して努力しなくても、受け入れる事ができました。それは、事前に人生のシナリオに書かれていたと思ったからです。なにせ、物事が良い、悪いは別として、スムースに進むので、これは必然なんだと感じることが多かったです。

飛行機に乗れた事。あと2、3日遅れていたら、座っていられなかったので、飛行機に乗れず日本に帰れなかったです。チケットを取った日は、丁度ルームメイトに時間が有った日でした。彼が居なかったら、本当に帰れなかったです。背負って2階から降りて、タクシーが乗れる所まで連れていってもらいました。飛行機の座席も変えてもらい、出入り口とトイレの近くで、両隣の席を空席にしてくれました。それも彼がスタッフに説明してくれなかったら、なかなか出来なかったです。車椅子はゲートの待合所の椅子に座ったら、持っていってしまったので、そこから動けない状態でした。もちろん、それだけでなく色々してくれました。

日本に着いてからも、急に母が2人の叔父と連絡がついて、叔父達が迎えに行ってくれることになり、次の日の病院行きも母の友達の娘さんが車を出してくれて、一旦今居る病院を紹介してくれるとの事で、小さな整形外科の病院に行って紹介状を貰い、3連休前の金曜日だったので、連休後に今いる病院に行って下さいと言われたのを、もう痛くて家に帰れませんと言えば、相手の病院のお医者さんに交渉してもらい、その日に受け入れて貰えることになり、救急車で移動して、緊急入院出来きました。

それに入院も、内科の11階病棟の方が整形の10階病棟の方より、患者さんの動きが無くて、静かにしていられました。整形外科病棟の患者さんは、みんな一部骨か関節が故障しているだけで、とても元気な人がほとんどなので、自主練習で廊下を歩く人、話したり、笑ったりする人達が多く、動きがある。内科は具合の悪い人が多いので、動きがないです。周りが元気だと、動けない身としては落ち着かないのではないかと、思うのです。

緊急入院、手術にしても、入院の3ヶ月前に父が亡くなりましたので、父が入院中に使っていたものが、そのまま私の入院にも使え、亡くなる前に買って一つしか使っていない紙おむつも、何故かそのまま私が使い、手術室に行く前に着る浴衣も、父のお古で間に合いました。何で父のお古を私が使うのか、全く持って変な気持ちです。3ヶ月前に病院で寝ている人を、見舞っていたのに、今度は自分がベットに寝る方になって、見舞われる方にまわるなんて、何の因果なんでしょう。

思わぬほど入院が長引ていても、ミネソタでの仕事は辞めてきたので、仕事の心配をすることはなく、いつまたアメリカに行けるか分らない常態だったので、8月末に引っ越してしまうルームメイトに、8月始めに、私の部屋の荷物を、借りているセルフストレージに入れてもらい、アパートから撤退したので、荷物の心配もない。制約はあるけれど、ゆったりした生活を病院でして、今年の東京の猛暑の夏は、エアコンの効いた病室で過ごす。

お盆に帰ってきたので、多くの人が父が呼んだんじゃないと言われ、私自身もそんな気がすると言っていました。もうこの入院生活は人生の一ページを色濃く塗られているので、シナリオが出来ていたと言うしかないです。

シナリオに書かれていたのであれば、それを受け入れざるを得ません。あれだけ手術はいやだと思っていたのですが、1ヶ月も物凄い痛みと一緒にいれば、早く手術してくれという気分になるし、11階病棟から10階病棟に移される時、始めの2週間は、入るはずの大部屋に緊急の人が入ったので、私は無料で2週間個室に入り、手術の前後を快適に過ごせる事ができました。その後は大部屋に移され、その時には車椅子で移動できたので、おばさん相手(股関節置換を受ける人は、ある程度年をいった人が多いです。原因が加齢によるものが、多いからです。)に話しをし、冗談言ったり、情報を得たりと、楽しく過ごしました。

大抵の人工股関節置換をする人は4週間で退院ですが、私の場合、まだ歩けないので、4週間後にリハビリ強化のため、6階のリハビリ病棟に移動しました。病院内で引越しが多く、私の人生そのままです。

さすがに具合の悪い時期は、悲劇のヒロインでしたが、良くなるにしたがって、悲劇が喜劇に変わっていき、明るく生活して、今や私は入院が長いのと、原因不明の病気で、一部病院内では有名なので、、色々な人に会い、沢山の人に世話になっています。まー普通じゃぁないですね。この普通でない事も、私らしいので、いつもの事のように感じます。

Monday, October 4, 2010

眠れない夜

 悲劇のヒロイン。

私が入院した当初は、10階の整形外科の病棟がいっぱいなので、11階の内科消化器科の病棟にいて、5人部屋の窓側でないベットにいました。悲しいことに、動けずベットの上にいるので、見えるものの範囲が物凄く狭く、しかも外が見えない。その状態で1ヶ月はまるで牢獄にいる感じでした。外が見えないのは精神衛生上良くありません。病院の建物が古いので、さしてきれいでない天井ばかり見ている。移動しても、ストレッチャーなので、天井ばかりしか見えない。自分がどこにいるのかも、よく分らない。痛くて我慢するしかない状態。はっきりいって悲劇のヒロインになってました。

ミネアポリスの空港で、私が動けないのでどのくらい時間が掛かかって、空港に着けるのか検討がつかなかったので、早めに出かけ、思ったよりもスムースに移動したので、搭乗時間より3時間早く着きました。、ルームメイトと一緒にゲート前に座って時間をつぶしていました。まだ数人しかいなく、静かな中座って落ち着いたころに、急に涙が出て来ました。

これから何かやろうとしていた所で、アメリカに来てこころざし半ばで、日本に帰らなければならない悔しさ、もう少しルームメイトと一緒にミネソタに暮らしたかった残念さ、もう少し陶芸で何かをやりたかった気落ちで、泣けてきました。こころざし半ばの帰国がとても辛かった。目的を持ったらそれに猛進するタイプで、目的が達成せずに終わることは、失敗に終わったという感じを持っていました。

その気持ちのまま帰国、入院。入院して2週間くらいは毎日、夜に泣いていました。悔しさと残念さと、恋に対する心の痛みとで、枕を濡らす毎日でした。

泣いていてもしかたがないので、まずは自分を許すことに気を向けました。悔しいのはそんな自分を受け入れられないことですから、目的達成しなくてもいいのだと、固執しなくていいのだと、別に失敗も成功もないのだとなどを、受け入れようとしました。それに、思いがけず急に股関節が悪くなって、これからどうなるのかと言う状態になったことも、受け入れる努力をしました。歩けなくなるとは決して思わなかったのですが、今後は前の様にはいかないだろうと言う事は分るので、不安はありました。

恋にしても、辛くても楽しかったのですから、それはそれで好かったのですが、そのまま行ってたら、自分がもっと傷付くことは分るので、気持ちを離れるようにしました。もっと現実を見る努力をしたのです。現実はもっとシビアです。でも心は痛いのです。で、泣けるのです。時間が解決するだろうといったところです。

Friday, October 1, 2010

血が足りない

 吸血鬼になりたい私。
闘病記のつづき。

人工股関節の手術をするのに、3ヶ月待ちの人達は、事前に自血を採っておきます。手術中に出血が多い時のためです。たいていの人は輸血するほど出血が無いので、自血を手術後に戻します。(点滴で入れるんです。) 私は自血を採っている時間が無かったので、輸血することになったら、自血ではないです。私の場合炎症によってのダメージが大きく、手術中の出血が多かったので、手術後に輸血をするかきいてきました。ヘモグロビンの数値は輸血が必要なくらいか、ぎりぎり様子見の値でした。正常値の半分です。私は断固として、いやだー 只今生産中でーす、とことわりました。もちろん、貧血です。でも3日間は動かないので、貧血でも少しの間は問題なしです。ひたすら寝るだけ。切った所も痛いし、熱も出ているし。ありとあらゆる鎮痛剤下さーい。

そうそう、入院したてのころ貧血について聞かれ、今まで貧血の貧の字も心配になった事がなかったのに、ヘモグロビン数値が低く、便に血が混じっていると言われ、そう言えばアメリカのクリニックで貰った処方腺の薬を飲んでからは、血の気が下がることが多くなり、トイレに行くときなどに貧血になったりしてました。たぶん、胃か腸から出血していて、貧血になっているのだと言われました。薬が強すぎて胃をやられていたのだと思います。アメリカの薬は量が多いですよね。それからは、鉄剤と胃薬を処方されました。

手術後先生方が見えられ、骨までぼろぼろだったよと言われました。炎症によって関節の骨が気泡のようにスカスカになった感じになっていたそうです。切った骨(人工股関節を入れるために、骨を切ります。結構切ります。)を病理の方に検査に出しました。これで病気の原因がわかるはずです。が今現在結果が出てきません。手術は8月12日にしたので、あれこれ1ヶ月半経っています。うわさによると、出てきたものが、なんだこれ?になっているそうです。。。

手術後4日目から、リハビリ開始です。まずは、ベットから車椅子に乗り移るのから始めます。

リハビリの先生が来て、まずはベットを起こしていきます。今まで10度~15度くらいしか起こしたことがないのに(以前は股関節が痛くなるため)、45度くらい起こします。序々にベットを起こしていくと、なんとすごいめまいが起き、血の気が引きました。そうです、今まで寝たきりだったので、血流が重力に勝てないのです。はーい、貧血起きましたー。

一旦貧血で休憩。その後時間をかけて、半身を重力にならして、まずはベットの脇に座ります。足を伸ばしたまま動かして、痛くないぞ。はい、足を外に出してベットに座って。。。。あーーー膝が痛い。

そうです、伸ばしぱなしの膝が悲鳴をあげました。股関節どころではありません。まずは膝が痛い。膝が曲がらない。リハビリの先生は、あーー動かしてなかったから膝固まってしまったんですね。動かさないと動かないですよと言われ、でも動かすとすごい痛い。なるべく膝を曲げずに、立たないで(貧血が怖いから)中腰のまま車椅子へ移動。成功。やったー。始めの一歩は上手くいきました。

この後はリハビリの開始です。

Thursday, September 30, 2010

本番入ります。

 整形外科は大工さん。
闘病記のつづきです。

エピカテーテルを入れて、激痛から開放されて、夜痛くて唸ることも少なくなり、原因追求のための手術、そろそろ原因が分って治療に進むだろうと。

手術をした1週間後に、組織検査の結果が出て、細菌感染でも、リューマチでもない事がわかりました。でいったい何だったのか。それは分らないままです。原因は2つの可能性以外にないと言われていたのに、その可能性に当てはまらず、病院始まって以来の初めてのケースになりました。他の病院にも聞いてみたそうですが、私の症例は無く、かなり稀なケースです。

細菌感染でないことが100%でないにしろ、わかったので、人工股関節の手術をしたほうがいいと、医者から薦められました。

私の股関節は炎症によって軟骨が溶けてしまい、骨までもダメージを受けている状態でした。軟骨は一旦無くなると再生できません。その無くなるスピードが速かった。痛みを感じてから入院まで5週間。アメリカでレントゲンを取った時はまだ軟骨がありましたが、その10日後の日本で取ったレントゲンでは、関節の間が縮まり、たぶん入院3,4日後には無くなっていたのではないかと思います。(動けなくなり、まるで油が切れた関節みたいな感じがしたので。)置換手術以外に痛みを取って歩ける方法がなく、この痛みから解放されるなら、選択の余地がありません。

仮に細菌に感染していると、人工股関節は細菌の巣になってしまい、細菌が繁殖してそれが全身に回って大変な事になるので、抗生物質で細菌を殺してでないと、置換の手術はできません。少なくても3週間抗生剤を投与することになります。ありがたいことに、3週間の伸ばし期間がなくてよかったです。

すでに1ヶ月も寝たきりになってしまったので、筋肉は落ちてしまい、置換手術ができる状態ならば、それ以上寝ていても意味がないので、早く手術をしたほうがいいと言われ、いつ出来るか尋ねたら、明後日というので、えーーーあさって、あさって、あさってですかーー、と驚き、でも寝ていても仕方が無いので、お願いします、と答えました。

ここは股関節では人気の病院なので、人工股関節の置換手術は3ヶ月待ちだそうです。もちろん、私は3ヶ月も待てません。緊急手術扱いです。

股関節が痛くなった時は、手術をすることなんて想像しなかったし、周りが言っても手術を受けたくないと思っていたのに、チタンとセラミックで出来た人工股関節を入れる手術しか、歩ける方法がない状態に陥っていました。しかし、1ヶ月もベット寝ていて、物凄い痛みを何度も受けているうちに、素人の私でも、人工股関節を入れるしか方法はないだろうと感じていました。

実際に人工股関節に関して説明を受けると、普通に歩けるようになるとはいうものの、足の曲がる角度によって脱臼してしまうので、その注意がいつも必要な事がわかりました。膝が内側にはいると、脱臼するので、正座は出来るけど足をくずせない、しゃがむ時は足を開いて、寝るときは枕をはさんで左横向きになった時に、右足が左側にクロスしないようにする、右足が90度以上曲がらないようにする、車に乗るとき降りる時は、お尻から乗って両足から降りる、等々です。

脱臼したら大変なので、本当に気をつけないといけません。脱臼したら物凄く痛いですし。痛いのはもう結構です。

人工股関節の手術は通常5時間くらいかかるのですが、ここの病院は早い。40分から1時間だそうです。麻酔の関係があるので、トータルで2時間くらいです。バンバン手術できます。凄い。

いよいよ、手術です。今度は寝てるベットで移動で、手術室でベットの上で麻酔をかけてくれる手筈を取りました。痛いのはイヤですから。(それなのに、点滴の針を入れるのに7回も失敗され痛いおもいをし、8回目で成功。これは不覚。腕は穴だらけ。)

手術は無事終わり、麻酔から目覚めても痛くない。でも前回麻酔が弱かったので、強くしたため目覚めた後、息をするのが少し苦しい。あー全身麻酔はもうこりごり。

Tuesday, September 28, 2010

叫び

痛すぎ。



闘病記のつづきです。痛いもの特集です。人の痛い話はとても痛く感じてしまうのですが、ここは笑ってください。

股関節が痛いのは、厄介です。まずパンツが履けません。寝ていても足を上げられません。腰を浮かせるのも大変です。何よりも関節が動いてしまって、激痛が起こります。パンツもズボンも履かず、オシメをした格好で寝ていました。初めて、尿管にチューブを入れられ、オシメをして寝ながら便をし、それを他人に処理してもらいます。これはとても恥ずかしいです。でも痛みには変えられないのです。

基本的には出来る事は自分でやるのをモットーにしているのですが、実際には多くの人に助けられながら、生活しています。でも下の世話をされるのはまだ早いでしょうと思うのですが、動けないものは仕方が無い。恥も外聞もありません。清潔にするために股を洗われるのも、ありがたいことです。それをしてくれている人の方が、よっぽど大変なので、されている側はただただ感謝です。

寝て便をだすのが、こんなに大変だとは思いもよりませんでした。力まないと出ない。力みすぎると股関節に響き痛みが発生する。便が出ないと苦しい。あー神様、お通じをトイレで出来る幸せをありがとう。今や毎日来る大いなる幸せです。

さて、私の股関節炎ですが、始め原因は2つの可能性があると医者の方は予測してました。一つは細菌感染によって炎症が起きた。そもそも股関節は細菌が感染しにくい場所らしいです。でもそれがなんらかしら細菌が進入して炎症を起こすケースがあるらしいです。もし、細菌感染ならば、まずその細菌を殺さなければなりません。二つ目は、急性に起こったので、リューマチによる炎症です。リューマチは自己免疫が自分を攻撃してしまう、自己免疫疾患です。リューマチは厄介で、これならば一生涯薬を飲まなければなりませんし、完治しません。この二つの可能性意外には考えにくく、それをターゲットに検査をしていきました。

検査の中で一番痛かったのは、炎症が起きると水がたまるので、それを取って検査に出すものです。レントゲンで股関節にある水の場所を探りながら、部分麻酔を注射して、太い注射針で採取するのですが、これが痛い。なかなか取れないので、麻酔の効いてない所に針が行ってしまう。そうなるとものすごく痛い。一回刺してそれで終わりかと思えば、そうでなく、麻酔を追加しますね、と言われ麻酔の注射を。この注射もすごく痛い。しかも、その日の朝にいつものとは違う座薬を使ったので、その座薬が体に合わず、気分が悪くなってゲロゲロ吐く始末。その検査を受けながらゲロ袋を持って、あまりの痛さでその手が震えるのです。方や吐き気止めをする為に点滴の針を刺され、もう何が何だかわからない。二回目で水が取れて、ほっとしました。

しかし、色々な検査をしても決定的なものが出ず、とうとう入院1ヶ月後に、メスを入れて股関節の組織を取る手術をすることを、手術する三日前(土日をはさんで)に告げられました。手術を受けるのは初めてなので、えーーーって感じで、しかも突然に。医者側は、取った組織を検査に出せば、原因が分るし、その方が早いと判断したのです。私にNoという理由がないので、どきどきで手術を受ける事にしました。

手術を受ける=ベットから移動する=激痛が走る=恐怖。
手術を受けることはドキドキなのですが、激痛を受けることが恐怖です。ストレッチャーに移るのに余りにも痛い思いをするので、手術室ではストレッチャーの上で麻酔をかけてもらいました。手術台に移る為に激痛を味わうのはもう勘弁です。

手術が終わって声をかけられて起こされた途端に、すごい痛みを感じ、泣きながら足が痛いと訴え、その時はストレッチャーで移動中なので、どうすることもできず、病室に戻ったら、ベットに移動なので例の激痛が走り、悲鳴と泣き叫ぶ中、ようやく鎮痛剤を投与されて落ち着きました。麻酔が早く覚めすぎです。勘弁してくれーです。

余りにも股関節の痛みが激しく、しかも鎮痛剤が効かないので、担当医は麻酔科の先生方を呼び痛み対策を思案。エピカテーテル(エピ)と呼ばれる、脊髄に針を入れて鎮痛剤として麻酔薬を入れ続けるのをすることになりました。通常このエピは手術直前に入れて、手術後の痛みをコントロールするために入れるものです。

またこのエピを入れるのが大変。手術室でやらないといけないので、また移動。激痛。背中に針を入れるので体を動かすため、強い鎮痛剤(モルヒネ)を投与。それにも関わらず効いていなく、手術室で悲鳴。普段手術室で悲鳴が起こることは無いので、声は響き渡り、その声を聞いた、たまたま別の手術室にいた前の手術での麻酔の担当医が、その声から私だと思い見に来てくてました。

そして体を横にした時に、余りの痛さで横にいた看護師長さんの胸ぐらを掴んでしまい(痛いと何かを掴みたくなる)、師長さんはやさしく、いいのよ掴んでて、と言ってくれました。(ごめんなさいね師長さん)少し落ち着いた頃には掴んでいた手を握ってくれて、安心感を与えてくれました。手を握ってくれるのはいいですね。エピ挿入後はモルヒネ投与で、気分が悪くなりまたゲロり。

さすがにエピを入れた後は、痛みは和らぎそれ以後悲鳴を上げることは無くなりました。痛みはさして無いですが(完全には無くならないです)、麻酔薬を投与されているので、足が痺れます。それでも、ものすごい激痛から解放され、早く入れてくれればよかったのにと思ったくらいです。が、この痛み止めは文字道理麻酔薬なので、下半身が麻痺します。そうなるとどうなるか。便秘になります。腸の動きが悪くなり、肛門の感覚が無くなるので、便が出にくい。溜まったまま肛門から出てくれない。となると苦しい。便秘は苦しいのです。一難去ってまた一難。つづく。。。。

Monday, September 27, 2010

修行中

 痛い夏。


ブログ再開です。最後の日にちからだいぶ経ってしまいました。季節が飛んでいます。
皆さんの心配を他所に、右股関節は大変なことになってしまいました。今だに入院中です。ていうことは、そうです日本に緊急に帰国して成田に着いた次の日に、東京の病院へ、即入院です。

日本に帰国したのは7月15日。入院16日。入院11週間目に入っております。このブログ更新が出来るようになったのは、病院内ではインターネットが出来ず、且つ日本のインターネットにアクセスするものが無かったので、インターネット無しの生活でしたが、たまたま隣のベットの方がUSBのインターネットアクセスを持っていたので、それを借りてしております。ありがたいです。

多分私のブログを読んでいただいている方々の中には、行き成り消息が消えたように、ブログ更新されず、連絡も取れない状態にびっくりなされた方々もいたのではないかと思います。それなので、いままでの経緯を書きたいと思います。

前回のブログにもあるように、サイクリングに行った次の日6月10日に、右の肩甲骨辺りがものすごく痛くなり、それから腰、右お尻、右足が痛くなり、15日にカイロプラックティクに行ったら、椎間板ヘルニアだったとありますが、その後腰辺りのレントゲンを取ったら、右股関節炎であったことが発覚しました。

カイロプラックティクで状態が向上しないので、レントゲンを7月5日に取ったら股関節炎だと分って、、それでもそのドクターはその日私の股関節をぐるぐる回したりしたので、次の日悪化して痛みで自力で歩けなくなってしまいました。その3日後にクリニックに行って、炎症止めの薬を処方してもらい、薬を飲み、安静してましたが、日に日に悪くなるのが感じられたので、やばい日本に帰らねば、とクリニックに行った1週間後に帰国する航空券を購入しました。

自力で歩けないほど痛い状態で飛行機に乗って日本に帰る。まさしく、死ぬ気で帰国です。ルームメイトにアパートからタクシーまで、背負ってもらい乗車。飛行場では車椅子を手配してあったので、そのルームメイトに車椅子を持ってきて貰い、飛行機の座席まで車椅子で移動。成田でも車椅子の手配をしていたので、座席から車椅子に移動。迎えに来てくれた叔父の車までそれで移動して乗り込み、実家に着いてからは、車から家の中に入るまで、叔父2人に抱えられながら、家の中に入った次第です。

運良く飛行機の中では、薬が効いていたのか、座っていても痛みがなく、思ったよりも快適に過ごせました。日本に着いた次の日、病院へ。緊急入院です。入院してから2日間は座ることが出来たのですが、それ以後痛みがひどくて座ることが出来なくなり、病院のベットに寝たきりになってしまいました。

それから、なぜ急に股関節に炎症が起きたのかを探るために、検査が始まりました。検査のための移動のたびに、ストレッチャーに移され、移るたびにものすごい痛みのためにものすごい悲鳴を上げていました。もちろん、鎮痛剤は投与されているのですが、そんなもん効かないよ言わんばかりの痛みが走ります。痛みが物凄いので、そのつど脂汗が出るという体験もし、移動が恐怖でした。

別の恐怖が、1日1回ある暖かいタオルで拭く、体拭きです。看護師さん達は私がどれぐらいの痛みあって、どうすればその痛みが発生するのか分らないし、普段行われている体拭きの習慣的ともいえる行動に出てしまいます。右足は1ミリでも動くと物凄い痛みを発生するので、触らないようにと言っても、無意識に触ってしまう。ゆっくり、そーっとやって下さいといっても、他の患者さんにやるようにやってしまう。ベットから一歩も出られないので、オシメをしていたので、それを取り替えるときに、関節を動かしてしまう等々、その度に物凄い悲鳴をあげてしまい、みんなを驚かす始末でした。鎮痛剤は飲み薬と座薬の両方使っても、関節が少しでも動いた時に発生する激痛には効かず、みんなの頭を悩ませていました。

また、不幸なことに検査をしても、原因が分らないために、治療が出来ず、なんと1ヶ月もベットに治療なしで寝たきりでした。

入院した病院の整形外科は、股関節では有名な所で、有名な股関節の先生がいて、その先生を中心とした股関節チームがあり、物凄い数の患者さんの股関節を見てきているところなのですが、私は初めてのケースらしく、原因追求に手こずっていました。

初めての入院で、初めての病気のケースで対処が出来きないために長くかかり、色々な体験をしました。私は何で人生でこんなに初体験を色々しているのかと思うほど、色んなことが起こります。
この急性の股関節炎になったことも、人生のシナリオに書かれていた事と思いました。本人はこんなに痛い目に会い、とても苦労することを望んでしたいとは到底思えないほどの出来事ですが、やはり、何かが動いていたように思います。物事がいい意味でも、悪い意味でもなく、トントン拍子に進んだからです。どう考えても今回は人生のターニングポイントに来ています。

以前に試練について書いた章を偶然に(必然に)読み直してみました。試練は本番の準備段階と書いてあります。その先に輝かしい未来、本番があると。この病気と入院は試練ですね。これが終わると本番が待っています。本番は一体何をするのかまったくわかりませんが、以前と変わることは間違いないように思います。これを乗り越えたら、強くなる気がします。もっと楽しくなる気がします。試練は未だに続行中です。

Saturday, June 26, 2010

奮闘中

 耐え忍ぶ毎日。


いまだに激痛と奮闘中です。肩から背中にかけての痛みは10日前からなくなったのですが、腰、右の股関節、お尻、足がとても痛く、背中の痛みが取れた後、歩けなくなってしまいました。

余りにもひどいので、カイロプラクティクに行って診てもらったら、椎間板ヘルニアといわれ、背骨の椎間板が出ていて、それが足の神経を刺激しているという、今でも信じたくない事を言われました。

その後、自宅療養中です。鎮痛剤は飲まないので、激痛との闘いで、夜も眠れない状態です。寝るのは昼間ちょこちょこ時間を置いてですね。たぶん昼間は筋肉が硬直しないので、痛みが少ないからだと思います。

しかも、ルームメイトから、ポイズン アービーを移され、腕と手、ヒザ裏を、漆にかぶれた感じになり、痛痒い状態で、泣きっ面に蜂です。痒いのも我慢できません。

しかも昨日、カイロプラクティクに行って別の問題を発見。前々から指摘していたのに、ドクターが耳をかさなかったために、発見が遅れ、痛みから解放されるのにまだ時間が必要な状態です。

あれや、これや宇宙的視野から見ると、すべて意味があるのですから、嘆いているわけにはいきません。

以前紹介した、The Artist's Wayで毎朝モーニングページと呼ばれる、日記(ジャーナル)を出来る限りやっています。本にも書いてあったのですが、人によってはこのモーニングページをやっていると、ある時もう一人の自分のような存在が出てきて、対話するようになると。もう一人は必ずしも同じジェンダーとは限らず、名前があったり、名前をつけたりして、対話し易くなり、アドバイスをもらうなどするそうです。

私は個人的に、「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ )はモーニングページだったのではないかと、思っています。モーニングページをしていたら、神という存在が現れた。で、いろいろ質問してみた、見たいな感じで。誰もが神を自分の中に内在させているので、もう一人のJunkoも名前が違うだけで、役割は同じなのだと思います。

で、結構怠惰な私のモーニングページにも、別の存在が現れ始め、質問をしてみました。

なぜ、こんなに痛みに耐えなくてはならないのか?

答えは、痛みは愛を知ることだから、です。

私はこの答えを聞いて、涙しました。胸から熱いものがこみ上げ、瞼を熱くするのです。

頭で考えてもこの答えの意味は分りません。しかし、私の心底の部分は理解しているのです。

私自身は、痛みが愛を知ることなんてとても考えられません。とりあえず、この痛みを何とかしてくれが、先なのですから、思ってもいない回答でした。

この涙する答えを得られて、幸せです。感動です。一見かけ離れた痛みと愛。もう少し何を意味しているのか、平凡なJunkoは考えてみたいです。そうすると、痛みから解放されるかも、しれませんよね。

Tuesday, June 15, 2010

手の力

エナジーは誰にでも。


ここ3,4日体をひねったみたいで、右の肩から右の股関節がものすごく痛く、痛みと戦っています。私は鎮痛剤は飲みません。市販の鎮痛剤は体にものすごく悪いです。なので、今の所別の痛みを回避する方法を知らないので、戦うだけです。ものすごく痛いと頭痛がしてくることを体験し、結構あぶないんだな~と感じました。

このまま放置しても、そうそう痛みに勝てるわけではないので、身近な人間にマッサージをしてもらうことにしました。相手は別段マッサージテクニックがあるわけでないので、ただ冷え冷えするジェルを塗りながら、撫ぜてたり、下から上へとストロークをしたりするだけです。揉んだりしません。今回は揉むと痛いからです。

10分~20分くらいしてくれたでしょうか。次の日背中がとても楽になり(その時は足はしなかったので、股関節は相変わらず痛いですが)、激痛がうそのように軽くなっていました。

そうです、すべてはエナジーで出来ているので、体が痛いということは、エナジーが停滞してるか、詰まってうごめいているか、バランスが欠如してるかです。そのエナジーを流してあげればいいのです。その簡単でいい方法が、恋人、夫婦、兄弟、親子などの身近な人に、マッサージをしてもらうことです。

誰もが手のひらから、エナジーが行ったり来たりしています。手はとても驚くべき道具です。身近な人は、自分が持っているエナジーの波長と、とても似ているものを持っています。ですから、一緒に暮らすことができたり、一緒にいると心地好さを感じます。

あなたが、一種の音叉になってあげて、相手の狂っている波長を治し、同調すればいいのです。それには、マッサージのテクニックなどいりません。撫ぜてあげるだけでいいのです。なにも、腕のいいマッサージ師を探す必要などないのです。

何も、筋肉痛だけに関わったことではないです。風邪を引いたときなど、全身摩ってあげれば好くなると思います。お母さんが子供によくやってあげてると思います。

実はすべての物は、身近に存在してることに、気が付かされます。さましく、灯台下暗しです。

愛は宇宙最大のエナジーなので、愛をもってマッサージをしてみてはいかがですか。効果絶大です。

Wednesday, June 9, 2010

ある体験

驚きの一日。

Raw Food Diet の中間報告です。やり始めてから、13日が経ちました。体の解毒している感じですね。すべての現象がこのRaw Foodのために起こったとは言えないかも知れませんが、とりあえず、変わった体験を述べてみたいと思います。

先月は日本での滞在、バタバタと忙しく、精神的にも肉体的にも疲れていました。主に、精神的疲れの方が、比重を増していたと思います。この精神的云々があると、生理が来ません。3年前から、大学院を卒業して、一人であれやこれや生活を起てて、これといって付き合っている人もいず、移動生活をしていく中で、今まで無かった生理不順が起こり始めました。歳も相俟ってか、新しい環境に移動、プレッシャーがあるような事、悩みが持続(基本的に悩みが持続しない)等があると、生理がスキップします。又は来てもとても量が少なかったりします。40歳半ばで、この状態はドキドキしてしまいますよね。もう終わってしまうのかと思う不安です。

昨日は、今までにない体験をしました。昨朝に生理が始まり、仕事場にいたので、生理ナプキンがなく、トイレットペーパーを束ねて、即席ナプキンを作り使っていましたが、いつもなら、1日目はそんなに量が多くなく、その即席ナプキンでも対応できるのですが、その日はとても量が多く、トイレに行くたびに、ボンっと塊が出たように、出てきます。それも、頻繁にトイレに行かないと間に合わない状態でした。家に帰ってから、紙ナプキンと布ナプキンを重ねて、当てていましたが、それでも足りないぐらいに、次から次へと出てきます。

それも、塊が出てくる事が多く、挙句には、拳くらいある赤い塊が出てきて、両手でナプキン共々それを受け取り、びっくりしました。そんなに大量の出血があるにもかかわらず、痛みは全然なく、ただ少し貧血ぎみの様に、少しフラフラした感じでした。横たわるしか出来ず、ベットとトイレを行ったり来たりです。もうどうなるのかと思いました。夜中の2,3時頃に止まりました。そのまま眠ってしまったのを覚えています。それまでは出るのが分るので、寝られなかったです。

で、次の日は止まりました。一回の生理が一日で終わったのです。大量の出血と血の塊が出て、これは、子宮の掃除だったのかなと思っています。まーそう思う事にしています。

今日はとってもすっきりさわやかです。心も体も軽い。

体重の減量も順調で、ちょつと綺麗になっちうかもしれませんね。これも、偶然のダイエットでないのですから、次何が起こるか楽しみですね。何事もタイミングと必然があるのですから。

Sunday, June 6, 2010

男と女 一体何を考えてる?

異性を知る。



最近読んで関心した本で、「嘘つき男と泣き虫女  アラン・ピーズ&バーバラピーズ 著」
("Why Men Lie and Women Cry" by Allan and Barbara Pease )があります。これは、「 話を聞かない男、地図が読めない女 」 (Why Men Don't Listen and Women Can't Read Maps )の第2弾です。男と女の関係について生物学的な特徴 も含めて、説明しています。

「 話を聞かない男、地図が読めない女 」が面白かったので、この第2弾「嘘つき男と泣き虫女 」がたまたま目に入り、買って読みました。

これが、おもしろい。なるほどと思わせることが多く、まーよくもこんなに違う男と女を、神は作ったものよと関心していまいます。実際、違っていないと人生面白くなく、なにも発展、進歩しないんでしょうけど、神はチャレンジャーですね。こんなに違っている同士が、一緒に生活していたら、問題が起きないはずがないからです。しかも、男女共々その違いを理解しにくいときている。

夫婦で生活している人は、この男女の考え方、物事の捉え方、見方、行動、感じ方などの違いを感じたり、それによって生じる問題が、日常茶飯事なのではないかと思います。近年の離婚率をみるかぎり、男女の事が理解しているとは思えない状態です。

この本では、男は狩りをして、獲物を家族に持ち帰る生活を何万年も過ごしてきて、一つのことに集中して、仲間と競争して、獲物と格闘して生きてきたので、コミュニケーションよりも肉体を鍛え働くことに、生き甲斐を見出すことに比べ、女は家で子供や他の家族との多くの人間関係の中で、様々な家事を同時にこなし、家族、親族の状況に気を配りながら生きていく、という違いから脳の配線が違ってきているという考えが基本にあります。

たしかに、女はコミュニケーションで生きています。電話の発明は女の為にあるのではないかと思うほど、いろんな人と多種の話題の話をして、情報交換しています。男は男同士で長話をしても所詮一つの主題について、話しています。

以前、蒔き窯の窯焚きに参加しした時のこと、4つグループに分かれて、6時間交代で1週間くらい窯をたいていきます。朝、昼、夕方、夜通し組と分かれています。夜通し班はちょうど男だけのグループで、当時は7人くらいの20代~30代のメンバーでした。そこにたまたまお邪魔して、何時間か参加していた時のこと、彼らは話はそれるものの、結果的には一つの主題について話していました。

女だけのメンバーで、何時間も同じ主題の話を、永遠にしたりしません。主題はころころ変わるものです。だから、永遠に話せるのです。

そんなに、ころころ主題が変わる女の話に、一つの主題を話ている男がついていけるはずがありません。

それに、同じ物事に対しても、感じ方、考え方、見方が違うので、異性の相手がこう感じているだろうと予測しても、当たっていないのです。

昨日、些細なことでルームメイト(男)と言い合いになりました。お互いの気持ちが静まってから、こういう気持ちから言ったことだったことを話していたら、お互いに全然違うことを感じていました。これは、言語の違い、文化の違いで生じているのではありません。男と女の違いで生じたことだと、つくづく思ったのです。思いもしない本音を言われ、それをなるほどと納得する。そういう視点から見ていたのかと、理解する。そんなことの積み重ねで、関係が保たれるのかもしれない。

この本は笑わせてくれる。人間というさして変わりのない者同士と思っている男女は、どのように違うのかを、提示してくれる。神のいたずらは、永遠の課題を残してくれている。異性とは何か?異性を理解し合えるのだろうか?それとも、理解する必要はないのか?

Friday, June 4, 2010

ボリボリ食べる

Raw Food Diet


またもや1ヶ月近くこのブログもお休みいただいて、今月からがんばっていきたいと思っています。

5月はなんだかここミネソタは、不安定な天気で、寒い日が続き冬にもどったかのようでした。5月の終わり頃から、暖かくなり、暖かくなると、気分も浮き浮きですよね。自転車乗るのが楽しいです。

ただいま、Raw Food Dietをしています。火を通していない(加熱摂氏48度までOK)食べ物を食べるのです。Raw Food Dietは菜食が基本です。体には酵素が欠かせないので、酵素を持っている、生きているだべものを食べる考えです。なので、刺身は生でも死んだものなので、食べないということになります。

このRaw foodをやりだして、7日になります。体重は落ちてきました。2~3キロは落ちたでしょうか。それに、肌がつるつるです。もともと肌の状態はとてもいいほうなのですが、それに輪をかけて、つるつるになってきました。それに、シミも薄くなったり、消えたりしています。解毒作用があるらしく、きれいになるんですね。味覚も繊細になってきて、食物のいろいろな味を楽しんでいます。歯もきれいになってきて、髪もさして汚れた感じがしない。もしかしたら、本来歯ブラシも石鹸で体を洗う事もいならいのかもしれないと思う、この頃です。

これだけ良いことを羅列してますが、難点もあります。すぐお腹が減ります。そして体に力を感じなく、疲れた感覚に襲われます。しかし、そのときに事前に水につけたナッツ類を食べると、空腹感はなくなり、力が甦ります。まだこのダイエットを始めてまもないので、ある程度過ぎると、空腹感や疲労感が軽減されるような気がします。現に食べる量が減っている気がするからです。

マクロバイオティク(マクロビオティク)派の私としては、このRaw Foodの考えは異論だらけです。季節の地のものを食べ、体を冷やす食べ物(生野菜など)は余り摂取しないのが、マクロの考えですから、生野菜に地物でない南のフルーツなど、食べているのは論外です。それなので、このダイエットは私にとって挑戦です。今までもっていた考えを、変えてみるのです。

単純にルームメイトがRaw Foodを始めて、痩せ始めたので、痩せたい一心で始め、効果が現れると嬉しく、またプラスアルファーの効果も出てきて、たのしくやっています。

まだこれをやり始めたばかりなので、皆さんに勧めるまでいきません。お試し中です。今のところはいい感じですね、といったところです。いつまで続くかわかりませんが、今後をお楽しみに。

Thursday, May 6, 2010

天に召され

家族の一体。




お久しぶりです。長い間このブログは休みでしたが、再開いたします。

3月から4月まで日本に行き、父の看病と最期を看取って来ました。最期を看取るのは私の念願でもあり、子供としての責任だと思っていました。それを叶うように、私が最期を看取ったのです。もしかしたら、その願いが天に届いていたのかもしれませんし、何故か使命のようにも感じていたのです。

母は父の最期を家で迎えることを、選択しました。今や家で死ぬこと自体とても当たり前のような事が、難しくなった時代になりました。今回これが実現できたのも、父自体胃がんでありながら、痛みがこれといってなかったからだと思います。唯唯衰弱するのを待つだけでした。

父との関係はとても上手く言っているといえる、仲ではありませんでした。弟もできるだけ、父と距離を持って接していたと思います。なにせ、自分勝手な人なので、厄介です。だからといって母と凄く距離を短くすると、嫉妬されるので、それぞれがバラバラしていたように思います。

家族の者が死ぬのは、家族の中で一大イベントです。家族が集まって、それぞれの分担を決めて遂行していく。しかも今回弟が結婚するので、イベントは2倍です。父は弟の結婚式の2日前に、亡くなりました。なので、スケジュールがとても慌しくなりました。

弟とこんなにも話したり、何かを一緒にするのは、たぶん25年ぶりかもしれません。別に仲が悪いのではなく、私が実家から遠くに離れている為に、接触がなかっただけです。母とも長い間、一緒に何かすることもなく、このイベントで3人が一丸となりました。距離がすごく短くなった気がします。変な話とても面白かったです。

弟も結婚し、問題を引き起こす人も天に召され、母一人家に残してきましたが(彼女は大丈夫です。人との接触がありますから)、何だかほっとして落ち着いています。そろそろ私も落ち着きたいと思う、この頃です。

アーティスト活動もしないと、そろそろ限界です。

アーティスト ウェイ(The Artist's way by Julia Cameron ) をやろうと思ってます。これはアーティストの為だけでなく、すべての人が人生のクリエイターなので、創造力を引き出すワークショップです。1週間毎に、課題があってそれをしていくのです。

何人かの友人、知り合いがこれをやりだし、私の耳にアーティスト ウェイの響きがはいるので、以前学生時代これをやったことがあるのですが、またやることにしました。

皆さんにお勧めです。特にモーニングページと言われる、朝に3ページの日記、ジャーナルを書くのです。学生時代はやる事が沢山あったので、モーニングページは拷問でした。しかし、今は宿題もなければ、テストもないので、もう少し気軽にモーニングページは出来るでしょう。このモーニングページは人によってはすごい威力を発揮するみたいです。なにが起こるかは、お楽しみですね。

P.S. 沢山の方からの、無料Email リーディングの応募ありがとうございました。途中で、日本行きで、ばたばたしたために、返信が送れてご迷惑をお掛けしたことを、お詫び申しあげます。
落ち着いてきたので、リーディングを開始いたします。電話、メール双方いたします。興味のある方は、sakuyahime88@aol.com まで、お問い合わせしてください。お待ちしてます。

Friday, February 19, 2010

人生のハンドル

ハンドルの遊びは事故防止。



人生は学びの場とよく言いますが、本当にそう思います。色んな事を学んでいます。私だけが特別だとは思いません。何かと色んなことが起きるので、それに対処して。でも必ず朝日は昇るように、永遠の夜は無いのです。すてきな朝を迎える事が出来るのです。自然は何か動かない、地に着いた生活をしています。外の世界は、何一つ変わらない世界があり、自分の世界は何かと慌しい。ふと窓の外を見ると、人生の不思議さを感じます。

ところで、色々な方のリーディングをさせていただいてますが、その中で気が付くことが幾つか有ります。

もちろん全ての方が、そうであるわけではないのですが、多くの人が、とても自分に厳しかったり、人に厳しかったりします。

日本の社会は、何かときちんとしていることを、要求されることも多く、それに伴って厳しく育てられることが、多いのではないかと思います。増してや長女、長男だったりすると、古今東西、自分に厳しいですね。真っ直ぐな人が多い。

あまり厳しいと、何かと色んなことに打つかってしまい、余裕が無くなり、何か上手くいかず、回らない。

そうなると、車で例えて、ハンドルの遊び(ステアリングの遊び)の部分を、自分に持つといいと思います。ハンドルは遊びがないと、事故を起こしてしまいます。人間は知らぬ間に、手を動かしていますから、ハンドルとタイヤがとても直に動いてしまったら、とてつもなく手の動きに集中しなくてはなりません。それに意識して少しハンドルを動かしている自分もいるのですから、その事に注意してたら、緊張を強いられた、余裕の無い運転になってしまいます。

それと同じ用に、自分の中に遊びの部分があると、色んな事にぶつからなくなると思います。何かとやってしまうのが、人間なのですから、その部分を認めて、気にしない。ハンドルを少し動かしたところで、遊びがあれば、気にしなくて済みます。

自分に厳しくする必用なんて、これっぽっちもいらないのです。(だからと言って、節度を無くすのとはちがいますけどね。)100%コントロールすることは、無理です。コントロール出来ないことに、罪悪感をもつ必要もありません。

基本的に、何かをしなくてはいけない、しなければならない事なんて何も無いのです。

遊びの部分は、少し余裕とは少し違います。でも余裕に似た、気にしない部分です。勝手にやっても、動じない部分です。そんな自分を認めてる部分です。事故回避のツールです。

P.S.: 今非常に公私とも、忙しいので、無料リーディングのリーディングメールが遅れています。申し訳ありませんが、もうすこしお待ちください。

Friday, February 5, 2010

科学からの目

クヮンタム・フィジックスからのスピリチャル。



久しぶりに、知り合いのブログを読んでいたら、こわ~いと思う内容が載ってました。

”What's the bleep do we know?” というタイトルの映画の話です。簡単に言うと、ザ シークレットのサイエンス版といった感じです。クヮンタム・フィジックス をベースに人生とは、現実とは、宇宙の法則とは何かといった感じでしょうか。スピリチャルをサイエンス側で見るんですね。早速、見ました。

何が怖いかというと、思っている以上に、思考や感情が肉体、いや細胞に影響を与えるという事です。もし、いやだ~と思うと、そのいやだ~感情が、科学物質となって、血液を通して細胞に送られます。細胞はなんたって、何兆個もあるのですから、それら全てに行き渡ったると思うと、怖くないですか。しかも、私が思うに、細胞は記憶すると思うので、そのいやだ~も記憶されます。体の隅々まで、いやだ~は記憶されるのです。

ということは、体の隅々まで、今まで有った事、ともすれば、先祖の事まで、知っているのです。知らないのは、そこの(意識の)貴方です、みたいな感じです。これはやばいですよね。

内容の参考はカラビさんのブログをお読み下さい。http://karavinka.at.webry.info/201001/article_3.html

科学者の方が神の存在を知っていると、言っていた本がありました。私もそう思います。全ては調和で成り立っているので、あまりにも美しい調和が科学の数式に現れたりするのでしょう。そこに神の存在が見えるのではないでしょうか。そして、全ては繋がっている、一つであると、映画のなかで、科学者達はいっています。まったく同感です。調和が成り立つには、すべてが繋がってなければ、存在しません。

この映画は説明しきれないほど、色々なメッセージが入っていて、見る側の興味で、引っ掛かるところと、そうでない所があるかもしれません。でも、それでいて、言っていることは一つです。

お勧めの映画です。日本版があるかわかりませんが、英語はそんなに難しくはないです。(でも、サイエンス系の英単語は多少必要ですね。)

まだメールによる無料リーディングしてますよ。興味のある方は、誕生日記念リーディングのタイトルで、sakuyahime88@aol.comまでお送り下さい。

Thursday, February 4, 2010

節分

いらないもの落として、福呼び込む。


節分ですね。春の始まり。一年の始まり。新しく始まる日なので、掃除ですね。いらないもの捨てて、住んでる所をきれいにしちゃいましょう。そうすると、鬼が出て行くかもしれません。特に隅はきれいにした方がいいです。何か影を見る時は、隅の所が多いので、エネルギーが溜まりやすいんだと思います。

昔から、厄年の人が豆まきをしますね。豆をまくことで、厄を取り払うためです。厄年とは、厄災が多く降りかかるとされる年齢で、男性の数えの25歳、42歳、61歳、女性の19歳、33歳、37歳。特に男の42歳と女性の33歳は大厄といわれています。しかも、厄年の前後三年は注意してすごすようにいわれています。

年齢を見ると、男性は後半、女性は前半に注意という感じです。女の人は38歳(後厄)を過ぎれば、後は安泰という感じですね。女は強し。

この厄年、科学的な根拠はないと言われています。ただ、医学的には、ホルモンや免疫低下のしやすい歳だとも、いわれています。

私はこの厄年、結構信じてますね。本当にこの歳は気をつけたほうがいいです。色んな事が、やって来るからです。もちろん、何もなかった人もいるでしょうが、私個人では、色々あったので、気をつけてもらいたいです。

昔からの言い伝えは、科学的根拠がなくても、何かしら、理由があると思います。だからこそ、月日を経ても残るのですから。

そうそう、岡山に住んでいた時、節分に恵方巻きをかぶりつくのです。節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら、太巻きをまるかじり(近畿方言では「まるかぶり」)するのが習わしとされているんです。

商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つともされていて、七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしいです。岡山はアナゴの名産なので、うなぎの変わりにアナゴでしたね。

私は関東出身なので、この恵方巻きの事は全然知らなかったんです。しかも、太巻きが好きでなく、家でも江戸っ子は細巻きよ~と思っていた所があって(実家で太巻きが食卓に上ることは無かったです)、でも関西に移住すると、関西では太巻きが支流なことに、驚き。東京では超メジャーな、かんぴょう巻きの細巻きは、売ってなく、のり巻きを作ってくれるところで注文したら、かんぴょうだけでいいの?と質問され、カルチャーショックでしたね。もちろん、かんぴょうの味付けが違うので(味付けが甘いです)、東京のかんぴょう巻きの味を期待できないので、もう2度と注文することはなかったです。

でもこの関西の太巻きが、美味しいんです。たぶん、関東の味付けの太巻きが、おいしくないんでしょう。色々な具の絶妙なバランスが、いい感じに口に広がります。岡山に住むようになってから、この太巻きの美味しさを発見しましたね。

私も当時まるかぶりしてました。今年の恵方は庚(かのえ)の方位だそうです。簡単に言って、西南西ですね。(微妙に違うらしいですが)

太巻きもいいですね。今日作ってみましょうか。ビーガン太巻き。今晩無言で、まるかぶり。

メールによる無料リーディングまだまだ出来ます。遠慮せず、メールを送って下さい。sakuyahime88@aol.comまで。

Friday, January 29, 2010

好きこそ物の上手なれ

本来の自分と繋がる。

モード学園より


今週は天気がいいので、ムチャクチャ寒いです、ここミネアポリス。只今朝の11時で、-17度Cです。ここのアパートの室内も、結構寒い。暖房費節減。

昨日友人Mと電話をして、彼女が「何か人生が始まっない気がする」「生かされてない気がする」とぼやいてました。彼女とは同い年なので、40歳代になって、人生が始まってないわけないのですが、気分は何か物足りないみたいです。

感情はとても本来の自分と、直結しています。意識の自分は驚くほど、本来の自分を理解していないので、双方でチグハグな面がでてきます。本来の自分は、よく言われるハイヤーセルフですね。

このハイヤーセルフさんは、色々な事が分かっていて、人生における目的、課題、シナリオ、過去から未来まで、何でも知ってます。だからこそ、スピリチャルな世界では、ハイヤーセルフと繋がりなさいと、いろんなワークショップがあったり、本があったりするのです。

簡単にその本来の自分と繋がる方法は、自分の感情に注意深く、目を向けることです。意識の自分は、頭を使いすぎてしまいがちなので、本来の自分から遠くなりがちです。そこで、本来の自分と近くなるには、本来の自分と直結している「感情」を、意識することです。

何か、すっきりしない、心地よくない感情があるなら、意識の自分の行動に、本来の意識が「ちょっと違うんじゃないの~」と言っています。

友人Mのように、急に強く「何か人生が始まっていない」と感じるならば、それは新たな人生を始める準備が、出来てきてきている事だと思います。そうなれば、新人生を始めるしかないです。

では、新人生を始めるとは何か? ん~~ 難しいな~。 簡単にいうと、得意分野をもっと行動実行することですね。それが、新人生を始めるきっかけになります。得意分野はその人の能力が発揮できるから、得意なのです。能力は本来の自分の人生の目的遂行に欠かせないものですから、持ち合わせているのです。もし、目的遂行に関係がなけれな、能力はいりません。不必要なものを持てるほど、私たちの人生の目的(学び)は、余裕綽々なものではないのです。不必要なものに割く、エネルギーなど持ち合わせていないのです。だからこそ、全ての出来事は必然と言うことが、言えてくるのです。

別に、新人生を始めたいと感じていない人でも、何か物足りないとか、これでいいのだろうかという、感情が浮かぶなら、得意分野をガンガンやることです。得意なので、本人には簡単すぎて面白みがないと思う人は、折角の天からの贈り物を、タンスの肥やしにしているようなものですから、もったいないです。

え?得意分野が分からない? それは困ったですね。友達に聞いてみましょう。それか、やっていて心地がいいものです。好きだと思えるものです。とても上手に出来ることです。それでも、分からない人は、色々とやって、心地いいのを見つけましょう。人生楽しくなりますよ。

P.S. 誕生日記念+ブログ読者に感謝として、2月26日までに、先着30名様にE-Mailによる、無料リーディングをいたします。興味のある方は、奮って応募して下さい。多くの質問には答えられませんので、質問は1つに絞ってください。最近の本人の写真を添付して(相手がいる場合は、その相手の人の写真も、相手の写真が無い場合はどんな人か説明してください) sakuyahime88@aol.com まで。タイトルは誕生日記念リーディング、と書いてください。(判別の為) リーディングする方には、一旦返信メールを差し上げます。もしかしたら、実際のリーディングメールは遅くなるかもしれません。あしからず。では、お待ちしております。

Wednesday, January 27, 2010

ミッション: ポッシブル ( Mission: possible)

任務遂行せよ。




残念ながら、ミネソタ ヴァイキングスは土壇場で、負けてしまいました。延長戦(オーバー タイム)までいったのですが、おしい事です。試合の次の日、月曜日は天候が雪なのと、気温が下がったのとで、街はとても静か。先週の嘘のような暖かさは、終わって今週からまた寒くなります。

今日は私の誕生日です。1年無事に生きてこられた、記念する日ですね。また、次の1年も無事に生きていきたいですね。

相談の中で一番多いのが、恋愛関係です。もう恋愛すると、分けが分からなくなり、冷静のつもりでも、冷静さに欠け、相手がどう思っているのか、この恋愛がどうなるのかが、心配でたまりません。

それが、恋愛なのですから、仕方がないのですが、でも恋愛で一番大切なのは、その恋愛の中で遂行されるべきミッション(課題)が、出来るかどうかに掛かっていることです。恋愛が成就するかどうかでわなく、本来の自分が学びに必要だと思っている課題に対して、行動出来きることが、その恋愛の意味を持ちます。

ですから、恋愛の成就よりもそちらに重点を置かないと、また同じ恋愛パターンに陥ってしまい、いつも恋愛が上手くいかない、恋愛恐怖症やら、恋愛べたになってしまいます。恋愛に失敗したのは、選んだ相手が悪いと思っていますが、似たような相手を選んでいるのは、同じような課題をこなしてないからですね。

恋愛を通して学ぶ課題が何か、本人にはとても分かりにくいです。でも、自分の恋愛パターンを見てください。それを分析していくと、わかってきます。友達に訊くのもいいでしょう。他人は自分自身よりも、良く知っていたりしますから。

この課題を遂行しないと、次のステップへは行かれません。その恋愛が上手くいかなくても、課題を遂行すると、次の恋愛はステップを登った所から、出発するので、楽ですね。遂行しないと、一からやり直しです。

この課題遂行に失敗(やらずに諦めてしまったなど)すると、後に引きます。相手に未練を感じたり、次の恋愛にとても臆病になったりします。恋愛相手を引きずっているのではなく、遂行できなかった自分を引きずっているからです。

まるで登山にたとえて、目に見えない頂上手前で、諦めて下山してしまって、後悔するようなものです。それなら、下山しないで、違うチャンスにかけた方がいいです。その恋愛が上手くいかなくても、課題を遂行したのなら、まるでベースキャンプに滞在して、次のアタックを待って、頂上を制覇するようなものですから、エネルギーを蓄えられます。下山してしまうと、次の恋愛に入るのに、時間が掛かってしまいます。なんたって、一から登るのと、登山をする準備もしないといけないからです。

恋の行方が気になるのは、十分理解できます。しかし、別の角度から見た目には、行方以上に、課題遂行の方が、とても大切です。それは人生の全てが、そのパターンで出来ているからです。これは、恋愛だけではないのです。日々の生活でも同じです。ましてや、人生の課題(学び)に挫折(逃げる)すると、生まれ変わっても同じ課題を遂行するのに、一から違う人間で、違う場所、環境でやらなくてはならなくなります。考えただけでも、気が遠くなります。

基本的に、恋愛は自分の感情を素直に、相手に伝えることがとても大切です。感情は表現したいのですから、表現をするには、恋愛という舞台がとても最適なのです。

P.S. 誕生日記念+ブログ読者に感謝として、2月26日までに、先着30名様にE-Mailによる、無料リーディングをいたします。興味のある方は、奮って応募して下さい。多くの質問には答えられませんので、質問は1つに絞ってください。最近の本人の写真を添付して(相手がいる場合は、その相手の人の写真も、相手の写真が無い場合はどんな人か説明してください) sakuyahime88@aol.com まで。タイトルは誕生日記念リーディング、と書いてください。(判別の為) リーディングする方には、一旦返信メールを差し上げます。もしかしたら、実際のリーディングメールは遅くなるかもしれません。あしからず。では、お待ちしております。

Monday, January 25, 2010

Go Vikings

ミネソタの冬。



なんと、アメリカンフットボールティーム(NFL)、ミネソタ ヴァイキングスがニューオリンズ セインツに今日の試合に勝つと、スーパーボールに出場できます。ヴァイキングスそんなに強いテームでないので、このチャンスにミネソタは盛り上がっております。市バスのフロントにある、どこ行きかの表示が、Go Vikings に変わったりします。

ヴァイキングスの試合がある時は、市の中心街は、ティームカラーのパープルに染まります。人々がヴァイキングスのパープルのジャケットを着たり、帽子をかぶったり、何かしらのパープルのテームカラーを身に着けるので、パープルだらけになります。中心街にあるメトロドームで、試合をするので、その周りはいっそうヴァイキング(角の付いた昔のヴァイキング姿の帽子やコスティーム)姿の人々と、パープルをまとった人々と、パープルのテントで、お祭り騒ぎです。

昔ミュージシャンのプリンスがパープルレインを歌っていましたが、まるで彼は、彼の出身地ミネアポリスを歌ったものではないかと思ってしまうほど、街がパープルです。

ミネアポリスの飛行場に降り立たつとすぐに、ヴァイキングズのパープルのジャケットを着た人や、ミネソタ大学(この大学はデカイくて、数あります)のマーク、黄色の縁取りがあるエンジ色のMがついた、帽子やジャケットを着た人を必ず見かけます。そうすると、帰ってきたな~、と思うのです。

ミネソタでは、故郷を愛しく思っている人々が多いと思います。実際ミネソタ意外で住んだ事の無い人が多いです。私には、まるでここは日本の北陸ですね。寒い場所は人々がとても優しいです。何せ、雪が降ったり、恐ろしいほど寒くなるので、人々の助け合い無しでは、生活は大変です。それに、アメリカの所謂地方都市ですから、結構豊かな街なので、何となく心にゆとりがあります。日本の北陸もそうですね。私は1年福井県に住んだことがありますが、福井はいいところです。

ヴァイキングズに勝ってもらいたいですね。スーパーボールに出場になれば、人々はハッピーです。その熱気で、寒い冬を乗り切りたいですね。私はアメフトはゲームのルールが分からないので、見ませんけどね。