Friday, February 19, 2010

人生のハンドル

ハンドルの遊びは事故防止。



人生は学びの場とよく言いますが、本当にそう思います。色んな事を学んでいます。私だけが特別だとは思いません。何かと色んなことが起きるので、それに対処して。でも必ず朝日は昇るように、永遠の夜は無いのです。すてきな朝を迎える事が出来るのです。自然は何か動かない、地に着いた生活をしています。外の世界は、何一つ変わらない世界があり、自分の世界は何かと慌しい。ふと窓の外を見ると、人生の不思議さを感じます。

ところで、色々な方のリーディングをさせていただいてますが、その中で気が付くことが幾つか有ります。

もちろん全ての方が、そうであるわけではないのですが、多くの人が、とても自分に厳しかったり、人に厳しかったりします。

日本の社会は、何かときちんとしていることを、要求されることも多く、それに伴って厳しく育てられることが、多いのではないかと思います。増してや長女、長男だったりすると、古今東西、自分に厳しいですね。真っ直ぐな人が多い。

あまり厳しいと、何かと色んなことに打つかってしまい、余裕が無くなり、何か上手くいかず、回らない。

そうなると、車で例えて、ハンドルの遊び(ステアリングの遊び)の部分を、自分に持つといいと思います。ハンドルは遊びがないと、事故を起こしてしまいます。人間は知らぬ間に、手を動かしていますから、ハンドルとタイヤがとても直に動いてしまったら、とてつもなく手の動きに集中しなくてはなりません。それに意識して少しハンドルを動かしている自分もいるのですから、その事に注意してたら、緊張を強いられた、余裕の無い運転になってしまいます。

それと同じ用に、自分の中に遊びの部分があると、色んな事にぶつからなくなると思います。何かとやってしまうのが、人間なのですから、その部分を認めて、気にしない。ハンドルを少し動かしたところで、遊びがあれば、気にしなくて済みます。

自分に厳しくする必用なんて、これっぽっちもいらないのです。(だからと言って、節度を無くすのとはちがいますけどね。)100%コントロールすることは、無理です。コントロール出来ないことに、罪悪感をもつ必要もありません。

基本的に、何かをしなくてはいけない、しなければならない事なんて何も無いのです。

遊びの部分は、少し余裕とは少し違います。でも余裕に似た、気にしない部分です。勝手にやっても、動じない部分です。そんな自分を認めてる部分です。事故回避のツールです。

P.S.: 今非常に公私とも、忙しいので、無料リーディングのリーディングメールが遅れています。申し訳ありませんが、もうすこしお待ちください。

Friday, February 5, 2010

科学からの目

クヮンタム・フィジックスからのスピリチャル。



久しぶりに、知り合いのブログを読んでいたら、こわ~いと思う内容が載ってました。

”What's the bleep do we know?” というタイトルの映画の話です。簡単に言うと、ザ シークレットのサイエンス版といった感じです。クヮンタム・フィジックス をベースに人生とは、現実とは、宇宙の法則とは何かといった感じでしょうか。スピリチャルをサイエンス側で見るんですね。早速、見ました。

何が怖いかというと、思っている以上に、思考や感情が肉体、いや細胞に影響を与えるという事です。もし、いやだ~と思うと、そのいやだ~感情が、科学物質となって、血液を通して細胞に送られます。細胞はなんたって、何兆個もあるのですから、それら全てに行き渡ったると思うと、怖くないですか。しかも、私が思うに、細胞は記憶すると思うので、そのいやだ~も記憶されます。体の隅々まで、いやだ~は記憶されるのです。

ということは、体の隅々まで、今まで有った事、ともすれば、先祖の事まで、知っているのです。知らないのは、そこの(意識の)貴方です、みたいな感じです。これはやばいですよね。

内容の参考はカラビさんのブログをお読み下さい。http://karavinka.at.webry.info/201001/article_3.html

科学者の方が神の存在を知っていると、言っていた本がありました。私もそう思います。全ては調和で成り立っているので、あまりにも美しい調和が科学の数式に現れたりするのでしょう。そこに神の存在が見えるのではないでしょうか。そして、全ては繋がっている、一つであると、映画のなかで、科学者達はいっています。まったく同感です。調和が成り立つには、すべてが繋がってなければ、存在しません。

この映画は説明しきれないほど、色々なメッセージが入っていて、見る側の興味で、引っ掛かるところと、そうでない所があるかもしれません。でも、それでいて、言っていることは一つです。

お勧めの映画です。日本版があるかわかりませんが、英語はそんなに難しくはないです。(でも、サイエンス系の英単語は多少必要ですね。)

まだメールによる無料リーディングしてますよ。興味のある方は、誕生日記念リーディングのタイトルで、sakuyahime88@aol.comまでお送り下さい。

Thursday, February 4, 2010

節分

いらないもの落として、福呼び込む。


節分ですね。春の始まり。一年の始まり。新しく始まる日なので、掃除ですね。いらないもの捨てて、住んでる所をきれいにしちゃいましょう。そうすると、鬼が出て行くかもしれません。特に隅はきれいにした方がいいです。何か影を見る時は、隅の所が多いので、エネルギーが溜まりやすいんだと思います。

昔から、厄年の人が豆まきをしますね。豆をまくことで、厄を取り払うためです。厄年とは、厄災が多く降りかかるとされる年齢で、男性の数えの25歳、42歳、61歳、女性の19歳、33歳、37歳。特に男の42歳と女性の33歳は大厄といわれています。しかも、厄年の前後三年は注意してすごすようにいわれています。

年齢を見ると、男性は後半、女性は前半に注意という感じです。女の人は38歳(後厄)を過ぎれば、後は安泰という感じですね。女は強し。

この厄年、科学的な根拠はないと言われています。ただ、医学的には、ホルモンや免疫低下のしやすい歳だとも、いわれています。

私はこの厄年、結構信じてますね。本当にこの歳は気をつけたほうがいいです。色んな事が、やって来るからです。もちろん、何もなかった人もいるでしょうが、私個人では、色々あったので、気をつけてもらいたいです。

昔からの言い伝えは、科学的根拠がなくても、何かしら、理由があると思います。だからこそ、月日を経ても残るのですから。

そうそう、岡山に住んでいた時、節分に恵方巻きをかぶりつくのです。節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら、太巻きをまるかじり(近畿方言では「まるかぶり」)するのが習わしとされているんです。

商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つともされていて、七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしいです。岡山はアナゴの名産なので、うなぎの変わりにアナゴでしたね。

私は関東出身なので、この恵方巻きの事は全然知らなかったんです。しかも、太巻きが好きでなく、家でも江戸っ子は細巻きよ~と思っていた所があって(実家で太巻きが食卓に上ることは無かったです)、でも関西に移住すると、関西では太巻きが支流なことに、驚き。東京では超メジャーな、かんぴょう巻きの細巻きは、売ってなく、のり巻きを作ってくれるところで注文したら、かんぴょうだけでいいの?と質問され、カルチャーショックでしたね。もちろん、かんぴょうの味付けが違うので(味付けが甘いです)、東京のかんぴょう巻きの味を期待できないので、もう2度と注文することはなかったです。

でもこの関西の太巻きが、美味しいんです。たぶん、関東の味付けの太巻きが、おいしくないんでしょう。色々な具の絶妙なバランスが、いい感じに口に広がります。岡山に住むようになってから、この太巻きの美味しさを発見しましたね。

私も当時まるかぶりしてました。今年の恵方は庚(かのえ)の方位だそうです。簡単に言って、西南西ですね。(微妙に違うらしいですが)

太巻きもいいですね。今日作ってみましょうか。ビーガン太巻き。今晩無言で、まるかぶり。

メールによる無料リーディングまだまだ出来ます。遠慮せず、メールを送って下さい。sakuyahime88@aol.comまで。