Thursday, September 30, 2010

本番入ります。

 整形外科は大工さん。
闘病記のつづきです。

エピカテーテルを入れて、激痛から開放されて、夜痛くて唸ることも少なくなり、原因追求のための手術、そろそろ原因が分って治療に進むだろうと。

手術をした1週間後に、組織検査の結果が出て、細菌感染でも、リューマチでもない事がわかりました。でいったい何だったのか。それは分らないままです。原因は2つの可能性以外にないと言われていたのに、その可能性に当てはまらず、病院始まって以来の初めてのケースになりました。他の病院にも聞いてみたそうですが、私の症例は無く、かなり稀なケースです。

細菌感染でないことが100%でないにしろ、わかったので、人工股関節の手術をしたほうがいいと、医者から薦められました。

私の股関節は炎症によって軟骨が溶けてしまい、骨までもダメージを受けている状態でした。軟骨は一旦無くなると再生できません。その無くなるスピードが速かった。痛みを感じてから入院まで5週間。アメリカでレントゲンを取った時はまだ軟骨がありましたが、その10日後の日本で取ったレントゲンでは、関節の間が縮まり、たぶん入院3,4日後には無くなっていたのではないかと思います。(動けなくなり、まるで油が切れた関節みたいな感じがしたので。)置換手術以外に痛みを取って歩ける方法がなく、この痛みから解放されるなら、選択の余地がありません。

仮に細菌に感染していると、人工股関節は細菌の巣になってしまい、細菌が繁殖してそれが全身に回って大変な事になるので、抗生物質で細菌を殺してでないと、置換の手術はできません。少なくても3週間抗生剤を投与することになります。ありがたいことに、3週間の伸ばし期間がなくてよかったです。

すでに1ヶ月も寝たきりになってしまったので、筋肉は落ちてしまい、置換手術ができる状態ならば、それ以上寝ていても意味がないので、早く手術をしたほうがいいと言われ、いつ出来るか尋ねたら、明後日というので、えーーーあさって、あさって、あさってですかーー、と驚き、でも寝ていても仕方が無いので、お願いします、と答えました。

ここは股関節では人気の病院なので、人工股関節の置換手術は3ヶ月待ちだそうです。もちろん、私は3ヶ月も待てません。緊急手術扱いです。

股関節が痛くなった時は、手術をすることなんて想像しなかったし、周りが言っても手術を受けたくないと思っていたのに、チタンとセラミックで出来た人工股関節を入れる手術しか、歩ける方法がない状態に陥っていました。しかし、1ヶ月もベット寝ていて、物凄い痛みを何度も受けているうちに、素人の私でも、人工股関節を入れるしか方法はないだろうと感じていました。

実際に人工股関節に関して説明を受けると、普通に歩けるようになるとはいうものの、足の曲がる角度によって脱臼してしまうので、その注意がいつも必要な事がわかりました。膝が内側にはいると、脱臼するので、正座は出来るけど足をくずせない、しゃがむ時は足を開いて、寝るときは枕をはさんで左横向きになった時に、右足が左側にクロスしないようにする、右足が90度以上曲がらないようにする、車に乗るとき降りる時は、お尻から乗って両足から降りる、等々です。

脱臼したら大変なので、本当に気をつけないといけません。脱臼したら物凄く痛いですし。痛いのはもう結構です。

人工股関節の手術は通常5時間くらいかかるのですが、ここの病院は早い。40分から1時間だそうです。麻酔の関係があるので、トータルで2時間くらいです。バンバン手術できます。凄い。

いよいよ、手術です。今度は寝てるベットで移動で、手術室でベットの上で麻酔をかけてくれる手筈を取りました。痛いのはイヤですから。(それなのに、点滴の針を入れるのに7回も失敗され痛いおもいをし、8回目で成功。これは不覚。腕は穴だらけ。)

手術は無事終わり、麻酔から目覚めても痛くない。でも前回麻酔が弱かったので、強くしたため目覚めた後、息をするのが少し苦しい。あー全身麻酔はもうこりごり。

Tuesday, September 28, 2010

叫び

痛すぎ。



闘病記のつづきです。痛いもの特集です。人の痛い話はとても痛く感じてしまうのですが、ここは笑ってください。

股関節が痛いのは、厄介です。まずパンツが履けません。寝ていても足を上げられません。腰を浮かせるのも大変です。何よりも関節が動いてしまって、激痛が起こります。パンツもズボンも履かず、オシメをした格好で寝ていました。初めて、尿管にチューブを入れられ、オシメをして寝ながら便をし、それを他人に処理してもらいます。これはとても恥ずかしいです。でも痛みには変えられないのです。

基本的には出来る事は自分でやるのをモットーにしているのですが、実際には多くの人に助けられながら、生活しています。でも下の世話をされるのはまだ早いでしょうと思うのですが、動けないものは仕方が無い。恥も外聞もありません。清潔にするために股を洗われるのも、ありがたいことです。それをしてくれている人の方が、よっぽど大変なので、されている側はただただ感謝です。

寝て便をだすのが、こんなに大変だとは思いもよりませんでした。力まないと出ない。力みすぎると股関節に響き痛みが発生する。便が出ないと苦しい。あー神様、お通じをトイレで出来る幸せをありがとう。今や毎日来る大いなる幸せです。

さて、私の股関節炎ですが、始め原因は2つの可能性があると医者の方は予測してました。一つは細菌感染によって炎症が起きた。そもそも股関節は細菌が感染しにくい場所らしいです。でもそれがなんらかしら細菌が進入して炎症を起こすケースがあるらしいです。もし、細菌感染ならば、まずその細菌を殺さなければなりません。二つ目は、急性に起こったので、リューマチによる炎症です。リューマチは自己免疫が自分を攻撃してしまう、自己免疫疾患です。リューマチは厄介で、これならば一生涯薬を飲まなければなりませんし、完治しません。この二つの可能性意外には考えにくく、それをターゲットに検査をしていきました。

検査の中で一番痛かったのは、炎症が起きると水がたまるので、それを取って検査に出すものです。レントゲンで股関節にある水の場所を探りながら、部分麻酔を注射して、太い注射針で採取するのですが、これが痛い。なかなか取れないので、麻酔の効いてない所に針が行ってしまう。そうなるとものすごく痛い。一回刺してそれで終わりかと思えば、そうでなく、麻酔を追加しますね、と言われ麻酔の注射を。この注射もすごく痛い。しかも、その日の朝にいつものとは違う座薬を使ったので、その座薬が体に合わず、気分が悪くなってゲロゲロ吐く始末。その検査を受けながらゲロ袋を持って、あまりの痛さでその手が震えるのです。方や吐き気止めをする為に点滴の針を刺され、もう何が何だかわからない。二回目で水が取れて、ほっとしました。

しかし、色々な検査をしても決定的なものが出ず、とうとう入院1ヶ月後に、メスを入れて股関節の組織を取る手術をすることを、手術する三日前(土日をはさんで)に告げられました。手術を受けるのは初めてなので、えーーーって感じで、しかも突然に。医者側は、取った組織を検査に出せば、原因が分るし、その方が早いと判断したのです。私にNoという理由がないので、どきどきで手術を受ける事にしました。

手術を受ける=ベットから移動する=激痛が走る=恐怖。
手術を受けることはドキドキなのですが、激痛を受けることが恐怖です。ストレッチャーに移るのに余りにも痛い思いをするので、手術室ではストレッチャーの上で麻酔をかけてもらいました。手術台に移る為に激痛を味わうのはもう勘弁です。

手術が終わって声をかけられて起こされた途端に、すごい痛みを感じ、泣きながら足が痛いと訴え、その時はストレッチャーで移動中なので、どうすることもできず、病室に戻ったら、ベットに移動なので例の激痛が走り、悲鳴と泣き叫ぶ中、ようやく鎮痛剤を投与されて落ち着きました。麻酔が早く覚めすぎです。勘弁してくれーです。

余りにも股関節の痛みが激しく、しかも鎮痛剤が効かないので、担当医は麻酔科の先生方を呼び痛み対策を思案。エピカテーテル(エピ)と呼ばれる、脊髄に針を入れて鎮痛剤として麻酔薬を入れ続けるのをすることになりました。通常このエピは手術直前に入れて、手術後の痛みをコントロールするために入れるものです。

またこのエピを入れるのが大変。手術室でやらないといけないので、また移動。激痛。背中に針を入れるので体を動かすため、強い鎮痛剤(モルヒネ)を投与。それにも関わらず効いていなく、手術室で悲鳴。普段手術室で悲鳴が起こることは無いので、声は響き渡り、その声を聞いた、たまたま別の手術室にいた前の手術での麻酔の担当医が、その声から私だと思い見に来てくてました。

そして体を横にした時に、余りの痛さで横にいた看護師長さんの胸ぐらを掴んでしまい(痛いと何かを掴みたくなる)、師長さんはやさしく、いいのよ掴んでて、と言ってくれました。(ごめんなさいね師長さん)少し落ち着いた頃には掴んでいた手を握ってくれて、安心感を与えてくれました。手を握ってくれるのはいいですね。エピ挿入後はモルヒネ投与で、気分が悪くなりまたゲロり。

さすがにエピを入れた後は、痛みは和らぎそれ以後悲鳴を上げることは無くなりました。痛みはさして無いですが(完全には無くならないです)、麻酔薬を投与されているので、足が痺れます。それでも、ものすごい激痛から解放され、早く入れてくれればよかったのにと思ったくらいです。が、この痛み止めは文字道理麻酔薬なので、下半身が麻痺します。そうなるとどうなるか。便秘になります。腸の動きが悪くなり、肛門の感覚が無くなるので、便が出にくい。溜まったまま肛門から出てくれない。となると苦しい。便秘は苦しいのです。一難去ってまた一難。つづく。。。。

Monday, September 27, 2010

修行中

 痛い夏。


ブログ再開です。最後の日にちからだいぶ経ってしまいました。季節が飛んでいます。
皆さんの心配を他所に、右股関節は大変なことになってしまいました。今だに入院中です。ていうことは、そうです日本に緊急に帰国して成田に着いた次の日に、東京の病院へ、即入院です。

日本に帰国したのは7月15日。入院16日。入院11週間目に入っております。このブログ更新が出来るようになったのは、病院内ではインターネットが出来ず、且つ日本のインターネットにアクセスするものが無かったので、インターネット無しの生活でしたが、たまたま隣のベットの方がUSBのインターネットアクセスを持っていたので、それを借りてしております。ありがたいです。

多分私のブログを読んでいただいている方々の中には、行き成り消息が消えたように、ブログ更新されず、連絡も取れない状態にびっくりなされた方々もいたのではないかと思います。それなので、いままでの経緯を書きたいと思います。

前回のブログにもあるように、サイクリングに行った次の日6月10日に、右の肩甲骨辺りがものすごく痛くなり、それから腰、右お尻、右足が痛くなり、15日にカイロプラックティクに行ったら、椎間板ヘルニアだったとありますが、その後腰辺りのレントゲンを取ったら、右股関節炎であったことが発覚しました。

カイロプラックティクで状態が向上しないので、レントゲンを7月5日に取ったら股関節炎だと分って、、それでもそのドクターはその日私の股関節をぐるぐる回したりしたので、次の日悪化して痛みで自力で歩けなくなってしまいました。その3日後にクリニックに行って、炎症止めの薬を処方してもらい、薬を飲み、安静してましたが、日に日に悪くなるのが感じられたので、やばい日本に帰らねば、とクリニックに行った1週間後に帰国する航空券を購入しました。

自力で歩けないほど痛い状態で飛行機に乗って日本に帰る。まさしく、死ぬ気で帰国です。ルームメイトにアパートからタクシーまで、背負ってもらい乗車。飛行場では車椅子を手配してあったので、そのルームメイトに車椅子を持ってきて貰い、飛行機の座席まで車椅子で移動。成田でも車椅子の手配をしていたので、座席から車椅子に移動。迎えに来てくれた叔父の車までそれで移動して乗り込み、実家に着いてからは、車から家の中に入るまで、叔父2人に抱えられながら、家の中に入った次第です。

運良く飛行機の中では、薬が効いていたのか、座っていても痛みがなく、思ったよりも快適に過ごせました。日本に着いた次の日、病院へ。緊急入院です。入院してから2日間は座ることが出来たのですが、それ以後痛みがひどくて座ることが出来なくなり、病院のベットに寝たきりになってしまいました。

それから、なぜ急に股関節に炎症が起きたのかを探るために、検査が始まりました。検査のための移動のたびに、ストレッチャーに移され、移るたびにものすごい痛みのためにものすごい悲鳴を上げていました。もちろん、鎮痛剤は投与されているのですが、そんなもん効かないよ言わんばかりの痛みが走ります。痛みが物凄いので、そのつど脂汗が出るという体験もし、移動が恐怖でした。

別の恐怖が、1日1回ある暖かいタオルで拭く、体拭きです。看護師さん達は私がどれぐらいの痛みあって、どうすればその痛みが発生するのか分らないし、普段行われている体拭きの習慣的ともいえる行動に出てしまいます。右足は1ミリでも動くと物凄い痛みを発生するので、触らないようにと言っても、無意識に触ってしまう。ゆっくり、そーっとやって下さいといっても、他の患者さんにやるようにやってしまう。ベットから一歩も出られないので、オシメをしていたので、それを取り替えるときに、関節を動かしてしまう等々、その度に物凄い悲鳴をあげてしまい、みんなを驚かす始末でした。鎮痛剤は飲み薬と座薬の両方使っても、関節が少しでも動いた時に発生する激痛には効かず、みんなの頭を悩ませていました。

また、不幸なことに検査をしても、原因が分らないために、治療が出来ず、なんと1ヶ月もベットに治療なしで寝たきりでした。

入院した病院の整形外科は、股関節では有名な所で、有名な股関節の先生がいて、その先生を中心とした股関節チームがあり、物凄い数の患者さんの股関節を見てきているところなのですが、私は初めてのケースらしく、原因追求に手こずっていました。

初めての入院で、初めての病気のケースで対処が出来きないために長くかかり、色々な体験をしました。私は何で人生でこんなに初体験を色々しているのかと思うほど、色んなことが起こります。
この急性の股関節炎になったことも、人生のシナリオに書かれていた事と思いました。本人はこんなに痛い目に会い、とても苦労することを望んでしたいとは到底思えないほどの出来事ですが、やはり、何かが動いていたように思います。物事がいい意味でも、悪い意味でもなく、トントン拍子に進んだからです。どう考えても今回は人生のターニングポイントに来ています。

以前に試練について書いた章を偶然に(必然に)読み直してみました。試練は本番の準備段階と書いてあります。その先に輝かしい未来、本番があると。この病気と入院は試練ですね。これが終わると本番が待っています。本番は一体何をするのかまったくわかりませんが、以前と変わることは間違いないように思います。これを乗り越えたら、強くなる気がします。もっと楽しくなる気がします。試練は未だに続行中です。