Sunday, October 31, 2010

毎日の試練


靴下履き。



入院記。

水中歩行を何回かやることによって、地上でも歩けるようになってきました。もちろん、筋肉が落ちてますから、筋肉トレーニングをやり、硬くなった筋や筋肉をほぐすために、ストレッチは欠かせません。

何せ体が硬い。右足は硬くて、靴下が履けないくらい、曲がらない。足と体が90度以上曲がると、脱臼する可能性があるので、足を抱える姿勢はできません。そして、膝を内に入れて、足を外側に(女の子座りの要領)向けるのは、禁じて(脱臼します)なので、その方法は使えません。胡坐をかくように、股を開いて、膝を折り込んでいく姿勢でしか、靴下は履けません。それが、股関節が硬くて開いて、足を体の方にもっていけない。

そこで、発揮するのが、靴下履きサポート(写真参考)。股関節が硬い人には、これを使って靴下が履けます。すごい優れもの。手術後の始めの頃は、これにお世話になりました。

でも、実際はそれを使って靴下を履くのは、めんどくさい。直接履ける方が、いつでもどこでも履けるので、いいに決まってます。

右膝が大分曲がるようになってきてから、めんどうなことは、嫌いな性質なので、意地でもストレッチをして、直に靴下を履く努力。毎日、毎日股を開いて、右足を手前にもっていく。一日に何回かしないと、直ぐにまた硬くなる。膝も硬いので、厄介。折り曲げて、痛てててて。伸ばして、痛てててて。それでも、靴下を履くぞ!がんばれ!で、自分を励ましながら、やっていきます。

その甲斐あって、そのうち靴下がようやく履けるくらいは、足が手前に引き寄せるようになりました。もう靴下履きサポートは要らなくなりました。今でもそのストレッチをしないと、靴下が履けなくなります。しつこいぐらいに、硬く戻るのです。地道にやっていくしかありません。足の引き寄せが、かなり出来るようになれば、靴紐を結ぶことも出来るようになります。今はまだそこまでいってません。

地道にコツコツとするのは、苦手なタイプ。でもやらないと、靴下履きは毎日の事だから、やらない訳にはいきません。しかも、リハビリで先生に足を持たれて、上げていくストレッチをするので、靴下を履く必要があります。修行はこんな所まで、性格変更を余儀なくさせます。

修行は続いてます。痛いのはいつ終わるのでしょうか。まだまだ続きます。

Friday, October 29, 2010

あんよは上手

 水中歩行。

まだまだ、入院記。

人間の体はおもしろいもので、使っていないと使い方を忘れてしまうのです。私の体は、何ヶ月も歩いていないので、歩き方を忘れてしまってました。上向きの寝た状態で、右足を上げてみようとしても、一向に上がりません。筋肉が落ちてるだけでなく、上げ方を忘れていて、上げようとしても、命令が伝わらない感じになります。

この足上げが出来ないと、歩けないのです。一歩が踏み込めない。力が入らない。もちろん、全然歩けないわけではなく、平行棒に捕まっていれば、歩けるのですが、そのぎこちなさは、人間ぽくないのです。

そこで、リハビリの先生が考えたのが、水の中で歩く方法です。リハビリ室に水の中で歩く機械があって、それを使っての歩行訓練開始です。

水着に着替えて、機械の中に入って、ぬるま湯が入って行き、歩く場所が動いて、歩かされる。トレッドミル(ランニングマシーン)が、水が入るような大きな容器に入っているようなものです。

それを使って、歩いてみると、何せ地面が動くのですから、足を動かされ、勝手に歩いていくといった感じで、歩く、歩く。浮力がつくので、足に負担が掛からず、足が前に出せる。しかも、休憩するときに、ジャクージように、空気が噴射されるので、気泡が筋肉をリラックスさせてくれる。あ~気持ちがいい。しかもライトが内臓されていて、色々な色が点滅する。機械はアメリカ製なので、アメリカ人のジャクージの発想が、発揮されている。ちょっとしたリゾート気分になれます。

休憩も入れて、ウォータートレッドミルで40分くらい歩いて、その日は終了。終わった後は思ったほど疲れていない。まー年を取ったので、疲れは直ぐにはでず、後に出るものなのですが。

次の日、なんと横になっての足上げが、出来るようになりました。驚き。あれだけ出来なかった、足上げが、結構難なく足が上がる。歩く事によって、足の動かし方を思い出したんですね。すごい。

それからと言うもの、右足の足上げは日に日に良くなり、だいぶ軽々上がるようになった頃、水の中でなく、平行棒を使って、前より上手く地上で歩き始めました。やったー

無理やりでも動かしていけば、動かし方を思い出して、動くものなんですね。人間の体はすごい。意識の中の脳のコントロールだけでは、すべてが出来ないことがわかります。我々がコントロールしている脳は、ほんの一部だけ使っていて、むしろ時々脳(考えて)でやろうとすると、出来ない事が多いことに気が付かされます。立体のパズルをすると、考えてするより、何となく手を動かしている方が、出来たりします。意識(考え)はほんの一部のことしか、出来ないんです。そうなると、時々考えても無駄ということが、実証されますよね。意識は頼りないです。もっと違う自分の部分を信じた方が、自分を発揮できるのかもしれません。

Sunday, October 24, 2010

リハビリ強化

 歩行に向けて。

入院記続き。

病棟6階へ移動。リハビリ科は回復期にある患者さん達を、期限付きですが家に帰れるくらいに、リハビリをしていきます。

10階の整形外科の病棟は、股関節の置換手術を受けた人が多く、入院しています。それらの人達は4週間プログラムで退院していきます。

プログラムは車椅子から松葉杖->方松葉杖->杖と移行してき、杖無しでも歩き始めた頃退院です。なので、人々は自分の進歩状態を比較できます。あの人は同じ日に手術して、片松葉杖になったとか、もう杖を使っているわとかで、遅れを取っている、人より進んでいることが、一目両全です。大概自分の状態がどうであれ、4週間したら退院です。リハビリ時間も多くて80分なので、みな流暢に歩いて家に帰りたい思いで、競争心が出てきて、自主トレをがんばる人が多いです。

それに、大抵の整形外科の患者さんは、骨や関節を痛めていて、それ以外の部分は大丈夫ですから元気です。活気が違います。

その点6階のリハビリ科の患者さんは、老人の骨折、脳梗塞、脊髄損傷のために麻痺がある人達が多く、圧倒的にお年寄りがいっぱいいます。年齢の若い人は、自主トレに励む人が多いですが、病棟の雰囲気は、おっとりとした空気が漂います。

今までの、整形病棟の弱肉強食的な雰囲気から、温室に入ったようなマッタリした空気のなかに入った感じを受けます。それでも、月曜~土曜日まで、一日最高3時間リハビリをするので、結構疲れます。それも病棟からリハビリ室は渡り廊下で繋がっているので、直ぐにでも、はい’リハビリ時間です、と行ったり来たり出来ます。

大部屋の病室も車椅子が出入りしやすいように、広く区画が取られ、今までの5人部屋を4人で使う間取りを取っていて、快適です。

10階6階とも、食事は食堂で取ります。食事がカートで運ばれて、座る場所が決められいるので、給食の係りの人が、各々のところに、トレーに乗った食事を運んでくれます。

ここで、この両階の大きな違いは、整形外科病棟は、平均年齢が低い分、食欲が旺盛で、食事制限されている人が少なく、一人で動ける人も多いので、外で買ったもの、差し入れに貰ったものを、みんなで分けたりします。叉は自分で外部からおかずを手に入れて、味気の無い病院食を少しでも、華にしおうとします。逞しさが見えます。

方や、リハビリ科は平均年齢が高く、食事制限されている人も多いので、外部から手に入れた食材を食べる人は、余りいません。精精ふりかけをかけて、ご飯を食べるくらいです。静かなものです。

いよいよ、リハビリ強化。担当の理学技師、生活技師(リハビリの先生は技師さんと呼ばれます)も変わって、手術後4週間経っても車椅子の私を、歩けるようにします。

まずは、担当のリハビリの先生が変わったので、手始めにどれくらい動かせるのか、リハビリ室のベットに横たわって、チェックしていきます。理学の先生は私を痛さで叫ばせないのが、目標と言っていましたが、初日に叫びました。あらら。。。

Thursday, October 21, 2010

曲げて、伸ばして

筋肉さん起きて下さい。




再び入院記。


個室(2週間だけ10階の整形の病棟で、個室料無しで入ってました。)のベットの上で膝と股関節を中心に、リハビリを開始。車椅子に慣れたころ、大部屋に移され、リハビリは、病院内にあるリハビリ室へエレベーターに乗って移動。この病院には広いリハビリ室があって、いよいよ本格的に歩けるように、訓練開始です。

体全体の筋肉が落ちてしまったので、何をやっても痛い。足腰が痛いのは言うまでも無く、乗り移りで手すりを使って立ったり、座ったりして、腕や肩の力を使うので、腕や肩も痛い。

リハビリは2種類に分かれていて、理学療法(Physical therapyPT)と作業療法(Occupational therapyOT)があります。理学は運動障害の回復、改善をはかり、作業は特定の作業を通じて治療を行います。人工股関節を入れると、脱臼しない姿勢を覚えないといけないので、畳からの立ち上がりや、お風呂の入り方など、生活していく上で注意しないといけない、動作の訓練、ストレッチや筋トレも作業療法でします。

リハビリで動かすたびに、どこかが痛くなり、我慢できない痛みだと、何故かつい笑ってしまう。鋭い痛みが走ると、痛い!、と叫んでしまい、静かなリハビリ室に私の声が響き渡る。日本人は痛くても、黙って耐えているんですね。でもこんなに痛い人も珍しいと思うけど。

で、私はリハビリ室では、騒ぐ人として有名になり、大勢いるリハビリの先生達の中で知らない人はいない、有名人になってしまいました。騒ぐのは、痛いのだから仕方が無い。

私の痛みは、1ヶ月の動かないベット生活で、落ちた筋肉と、固まってしまった関節を動かすために生じるのと、凄い痛みを体が受けて、痛みを感じるたびに、体を硬直さていたので、筋肉の収縮の柔軟性が無くなってしまって、筋肉を動かすと伸び縮みのコントロールが上手くいかないので、痛くなるそうです。

普通この動きだと、ここは痛くならないのに、という所が痛くなったりと、予測のつかない場所の筋肉の痛みなどで、リハビリの先生を翻弄させていました。

まずは、ゴリゴリの筋肉を揉みほぐして、ストレッチをして、動かしてみる。寝て、足を曲げて、痛たたたた。硬いね。。。。座って、膝曲げて、痛たたたた。立って、座って、痛たたたた。

平行棒に両手で掴まって、歩いてみましょう。歩いて、あっ、ケツが痛い。だめです。

それでも、こつこつやっていけば、曲がらなかった膝も曲がるようになり、股開きも少しずつ開き、ぶよぶよだった腕も張りが出てきて、進歩するのが見えます。人間の体は凄いものです。何もやらないと、退化するのが早いけど、また動かしていけば向上するのです。

手術して1ヶ月が経とうとする時、6階にリハビリ科の病棟があるので、そちらへ移ってリハビリを強化をしたらどうかという話が、持ち上がりました。そっちへ移ればリハビリの時間が長くできるので、早く歩けるようになるかもしれない。それなら、移りましょうと、6階へ移動です。

Tuesday, October 19, 2010

愛のメッセージ

 再びやって来た必読書。

前回のべジフードフェスタのときに会ったKさんから頂いた、本の紹介です。

「アミ 小さな宇宙人」 エンリケ・バリオス著です。さくらももこさんが挿絵を描いていて、可愛い本になってます。

今年の3月父の入院で、日本に帰った時に、友人がこの本を読んでいて、いい本だから読んでみな、と言われていたのですが、それっきり。読む時間はいくらでもあるいい機会だったのに、手に取らずじまい。そしたら、手元にやってきました。読む時間があるので、またもやいい機会にやって来ました。これをまた無視しても、またいつか私の目の前に現れるのは、見え見えなので、今回はちゃんと読みます。

必要なものは、意志にかかわらずやってきます。大概私はめんどくさがり屋なので、その物が3回目くらいに偶然に現れてから、これは必要なんだと容認します。無視しつづけると、神様は懲りもせずに、メッセージを送り続けますから、回数が多くなると強制的な手段にでます。その頃には、私ってバカだな~と思い知らされる経験があるので、今回は素直に本を頂きました。ありがとうございます。

てなわけで、この本は読まなくてはならない本の一つなのだと、感じています。まだ読み始めたばかりなので、感想を書けないのは残念ですが、宇宙人アミを通して、愛あるメッセージを受け取ります。このシリーズは3冊あります。(「もどってきたアミ」「アミ 3度めの約束」)

読んでみませんか?読み終わらないうちから、お勧めします。

Monday, October 18, 2010

べジフード

 外出しました。
今回入院記はお休みして、昨日行ったべジフードフェスタについてです。

杖をついて歩けるようになったので、少し人混みに挑戦。代々木公園のNHKホール前で、先週末はべジフードフェスタをやっているということで、母と一緒に行って来ました。

ニューヨークシティに住んでいた頃に知り合ったKさんが、ちょうど日本に帰国していて、ブログの再開を見て連絡をくれ、彼女とフェスタで会う事にしました。(ありがとう、Kさん。)

フェスタの感想は、来てる人の大半が若い人達でしたね。20代30代。若い人が引っ張っていけば、日本のベジタリアンの未来は明るい。あと、ブースの売り込みが凄い。OOOいかがですか~と大きな声で叫んでる。アメリカのフェスタにいって呼び込みをしている所を、余り聞いたことがなかったので、なんだか商売中心な印象を受けてしまいました。

ベジタリアンフードを広めるというより、売り上げを考えているように感じてしまうのは、まだまだ趣旨が甘いな~と思ってしまいます。お店の人とお客さんが話している姿を、そんなに見なかったし、日本のお祭りのように、屋台から何かを買う状態で終わりですかね。

まー私も足が完全でない分、じっくり周りを観察したわけではないので、軽く受けた印象です。私自身もう少し周りとコミュニケーションを取れば、何か違ったものを取れたかもしれませんね。しかし、べジフードは値段が高いよ。貧乏人にはキツイ値段だね。

もっとおいしい野菜が、手軽に買える時代になったら、もっとベジタリアンも増えるかも、それともベジタリアンが増えれば、おいしい野菜が手軽に買えるようになるかもしれませんね。病院という狭い社会しか触れ合えない状況ですが、結構野菜食べない人が多いのに驚きます。にんじん、きゅうり嫌い。。。そんな声を聞くと、もったいないなーと思ってしまいます。自然な美味しさを知ると、幸せ感が身近に感じるのにと思ってしまいます。美味しい野菜食べたことが、無いんじゃないの?とも思ってしまいます。野菜ってそんなに美味しいのと思うかもしれませんが、美味しいですよ。

無理をしてだいぶ歩いてしまったので、今日は体中が痛い。右足の付け根がとても痛い。まだリハビリで1時間しか外で歩いていないのに、昨日は5時間半も外にいて、3~4時間歩いてしまって(そんなに歩いた事は申告できなかったです。)、体ボロボロ。自主トレを積極的にしない私なので、何もしないか、無茶をするかですね、とこっぴどくリハビリの先生に怒られてしまいました。相変わらずの私です。

Saturday, October 16, 2010

急げ!

間に合いましたか?


入院記は続いてます。

ベットから車椅子に乗り移れるようになったら、トイレの練習です。トイレは自力でやりたいものです。車椅子から便器に座わり、また車椅子に戻る動作が出来れば、人の手を借りる必要がなくなるのです。

練習開始。車椅子から立つ。あ~膝が痛い。方向を変えて便座に座る。あ~あ~、ぎゃー痛い!、右膝が膝が。。。。

今まで1ヶ月伸ばしぱなしのため、膝が硬くなって曲げるたびに痛い。ものすごく痛い。でも、動かさないと痛みが取れませんよ、と言われベットの上で毎日膝の曲げ伸ばしの訓練。股関節どころではないのです。

そのうちカンのいい私は、自力で右膝をなるべく曲げずに立ったり座ったりを取得。これで、トイレも完璧かと思いきや、思わぬ事が。

1ヶ月も尿管に管を入れられ、何もしなくても勝手に尿が管を通って尿袋へ入っていっていたので、膀胱の筋肉も衰退。尿意をもようしてから、尿を排出しないように、我慢するのが出来ないのです。尿意を感じたら昼間は急いでベットから車椅子に乗り移って、いざトイレへ。運よくトイレは部屋の前だったので、最短距離。息つく暇も無く便器へ、すばやくズボンとパンツを脱ぐ、ぐずぐずしていると本人の承諾なしに尿が出てしまう。あれあれ立ってる間におしょう水が。。。ズボンを濡らさないよう便器の中に入れて、便座に座って、ほ~と。

夜中はこんなに早く行動ができないので、看護師さんを呼んで、オマルをお尻に置いてもらい、ベットの上で用足し。これも一分一秒を争う動作。

体を動かしていくうちに、尿を我慢できるようになりますよと言われ、歩くという動作は筋肉の連動で、いろいろな所に作用しているんだな~と実感。歩けるようになる前に、この問題は解消。リハビリで体を動かしていたからですね。

下の問題は大変。食べたり、飲んだりしたものが出ないと、病気になるので、出さざるを得ません。日に何度もあるわけで。最初にクリアしたいリハビリですね。使っていないと、人間の体は退化する。それも適応の一種なんでしょうね。しかし、失くしたものを戻すのは大変です。筋肉だって例外ではないです。でも取り返すとこが出来るのも、すばらしいことの一つですね。

Wednesday, October 6, 2010

ルームメイトがいっぱい

一人では生きていけない。

リハビリが始まるまでは、入院中は暇です。暇なのだから本でも読もうと思っても読めない。直ぐに疲れてしまうし、内容が頭に入らない。読む気がしない。本を読むのは思っている以上に、体力がいる作業なのがわかりました。

まず始めは、ミネソタに居たころ、意を決して買ったI-pod touchで音楽を聴きまくってました。このI-podは急に欲しくなり、勢いで買ったものですが、まるでこの入院の為に買ったのではないかと思うくらい、買っておいて良かった一品です。ビデオも見られるので、アメリカに居たと時にI-podに入れてあったビデオを見て、楽しむ。インターネットが使えなかったので、新しいものは入れられなかったので、同じものを繰り前して見ていました。

任天堂DSゲームも、ベットのお供に。

そのうち弟がDVD本体+DVDを持ってきてくれたので、映画を見て過ごし、同じ映画を何度も見て、疲れたら寝るといった具合でした。

車椅子で移動できるようになってから、病院に置いてある漫画を、片っ端から読んで、読むのがなくなった頃に、本を読むのを始めました。本を読めるようになったら、だいぶ快復した証拠です。

時間つぶしのアイテムの使用頻度で、どれくらい快復したか図れるくらい、それぞれの使用期間がありました。今やあれほど聞いていた音楽は余り聞いてません。

読んだ本の中に、「江戸塾」杉浦日向子著があります。この本に、江戸時代の庶民は、病は未知の世界から来たメッセージなので、何か用があるから訪れているのであって、その用件を聞いてからお帰り願う。だから西洋のように病は駆逐する「闘病」でなく、「平癒(へいゆ)」であると。病気と付き合っていくという考えでした。なんて、素晴らしい考えなんでしょう。

それに、江戸では町自体が一つの大きな家みたいなものでした。町全体を自分の家として使いこなせるように、住民がお互いに工夫し合った。なにせ人口が多い。当時山手線内側で120万人住んでいて、1800年代のNYCで人口6万人。

庶民の家は狭く、リビングは風呂屋の2階、食事は屋台。風呂屋に行って、家は寝床。火事が多かったので、物をさして持たずに生活。これぞのときはレンタル。困った時は回りが助けてくれる。子供は町の共有財産なので、町の人々が面倒をみる。町中の人々が共存し合っている。

入院もまるで学生寮。個室もありますが、家族でもない人達と、部屋、風呂、シャワー、トイレ、食堂を共同で使用。ここの病院は、患者さんや職員が使用する公共浴場があります。裸の付き合いも出来るわけです。皆励ましあいながら、生活しています。

それこそ私が常々考えている、共存です。病でさえも共存していく。すべてのもの、すべての人との共存は、基本であり、共有は中枢をなして地球上に生きていくものだと、思っているのです。

世界中が共有しながら、すべてのものと共存していく日は、いつ来るのでしょうか。共存するには、相手、物事を知らないとできない。でも知れば信頼が生まれる。きっと知らない事が多いんでしょうね。

Tuesday, October 5, 2010

予定通りですか

 すでに決まっている人生物語。

まだまだ続いてます入院記。

悲劇のヒロインの気分とはまた別に、この股関節が痛くなり、日本帰国、入院のハプニングを、結構無理して努力しなくても、受け入れる事ができました。それは、事前に人生のシナリオに書かれていたと思ったからです。なにせ、物事が良い、悪いは別として、スムースに進むので、これは必然なんだと感じることが多かったです。

飛行機に乗れた事。あと2、3日遅れていたら、座っていられなかったので、飛行機に乗れず日本に帰れなかったです。チケットを取った日は、丁度ルームメイトに時間が有った日でした。彼が居なかったら、本当に帰れなかったです。背負って2階から降りて、タクシーが乗れる所まで連れていってもらいました。飛行機の座席も変えてもらい、出入り口とトイレの近くで、両隣の席を空席にしてくれました。それも彼がスタッフに説明してくれなかったら、なかなか出来なかったです。車椅子はゲートの待合所の椅子に座ったら、持っていってしまったので、そこから動けない状態でした。もちろん、それだけでなく色々してくれました。

日本に着いてからも、急に母が2人の叔父と連絡がついて、叔父達が迎えに行ってくれることになり、次の日の病院行きも母の友達の娘さんが車を出してくれて、一旦今居る病院を紹介してくれるとの事で、小さな整形外科の病院に行って紹介状を貰い、3連休前の金曜日だったので、連休後に今いる病院に行って下さいと言われたのを、もう痛くて家に帰れませんと言えば、相手の病院のお医者さんに交渉してもらい、その日に受け入れて貰えることになり、救急車で移動して、緊急入院出来きました。

それに入院も、内科の11階病棟の方が整形の10階病棟の方より、患者さんの動きが無くて、静かにしていられました。整形外科病棟の患者さんは、みんな一部骨か関節が故障しているだけで、とても元気な人がほとんどなので、自主練習で廊下を歩く人、話したり、笑ったりする人達が多く、動きがある。内科は具合の悪い人が多いので、動きがないです。周りが元気だと、動けない身としては落ち着かないのではないかと、思うのです。

緊急入院、手術にしても、入院の3ヶ月前に父が亡くなりましたので、父が入院中に使っていたものが、そのまま私の入院にも使え、亡くなる前に買って一つしか使っていない紙おむつも、何故かそのまま私が使い、手術室に行く前に着る浴衣も、父のお古で間に合いました。何で父のお古を私が使うのか、全く持って変な気持ちです。3ヶ月前に病院で寝ている人を、見舞っていたのに、今度は自分がベットに寝る方になって、見舞われる方にまわるなんて、何の因果なんでしょう。

思わぬほど入院が長引ていても、ミネソタでの仕事は辞めてきたので、仕事の心配をすることはなく、いつまたアメリカに行けるか分らない常態だったので、8月末に引っ越してしまうルームメイトに、8月始めに、私の部屋の荷物を、借りているセルフストレージに入れてもらい、アパートから撤退したので、荷物の心配もない。制約はあるけれど、ゆったりした生活を病院でして、今年の東京の猛暑の夏は、エアコンの効いた病室で過ごす。

お盆に帰ってきたので、多くの人が父が呼んだんじゃないと言われ、私自身もそんな気がすると言っていました。もうこの入院生活は人生の一ページを色濃く塗られているので、シナリオが出来ていたと言うしかないです。

シナリオに書かれていたのであれば、それを受け入れざるを得ません。あれだけ手術はいやだと思っていたのですが、1ヶ月も物凄い痛みと一緒にいれば、早く手術してくれという気分になるし、11階病棟から10階病棟に移される時、始めの2週間は、入るはずの大部屋に緊急の人が入ったので、私は無料で2週間個室に入り、手術の前後を快適に過ごせる事ができました。その後は大部屋に移され、その時には車椅子で移動できたので、おばさん相手(股関節置換を受ける人は、ある程度年をいった人が多いです。原因が加齢によるものが、多いからです。)に話しをし、冗談言ったり、情報を得たりと、楽しく過ごしました。

大抵の人工股関節置換をする人は4週間で退院ですが、私の場合、まだ歩けないので、4週間後にリハビリ強化のため、6階のリハビリ病棟に移動しました。病院内で引越しが多く、私の人生そのままです。

さすがに具合の悪い時期は、悲劇のヒロインでしたが、良くなるにしたがって、悲劇が喜劇に変わっていき、明るく生活して、今や私は入院が長いのと、原因不明の病気で、一部病院内では有名なので、、色々な人に会い、沢山の人に世話になっています。まー普通じゃぁないですね。この普通でない事も、私らしいので、いつもの事のように感じます。

Monday, October 4, 2010

眠れない夜

 悲劇のヒロイン。

私が入院した当初は、10階の整形外科の病棟がいっぱいなので、11階の内科消化器科の病棟にいて、5人部屋の窓側でないベットにいました。悲しいことに、動けずベットの上にいるので、見えるものの範囲が物凄く狭く、しかも外が見えない。その状態で1ヶ月はまるで牢獄にいる感じでした。外が見えないのは精神衛生上良くありません。病院の建物が古いので、さしてきれいでない天井ばかり見ている。移動しても、ストレッチャーなので、天井ばかりしか見えない。自分がどこにいるのかも、よく分らない。痛くて我慢するしかない状態。はっきりいって悲劇のヒロインになってました。

ミネアポリスの空港で、私が動けないのでどのくらい時間が掛かかって、空港に着けるのか検討がつかなかったので、早めに出かけ、思ったよりもスムースに移動したので、搭乗時間より3時間早く着きました。、ルームメイトと一緒にゲート前に座って時間をつぶしていました。まだ数人しかいなく、静かな中座って落ち着いたころに、急に涙が出て来ました。

これから何かやろうとしていた所で、アメリカに来てこころざし半ばで、日本に帰らなければならない悔しさ、もう少しルームメイトと一緒にミネソタに暮らしたかった残念さ、もう少し陶芸で何かをやりたかった気落ちで、泣けてきました。こころざし半ばの帰国がとても辛かった。目的を持ったらそれに猛進するタイプで、目的が達成せずに終わることは、失敗に終わったという感じを持っていました。

その気持ちのまま帰国、入院。入院して2週間くらいは毎日、夜に泣いていました。悔しさと残念さと、恋に対する心の痛みとで、枕を濡らす毎日でした。

泣いていてもしかたがないので、まずは自分を許すことに気を向けました。悔しいのはそんな自分を受け入れられないことですから、目的達成しなくてもいいのだと、固執しなくていいのだと、別に失敗も成功もないのだとなどを、受け入れようとしました。それに、思いがけず急に股関節が悪くなって、これからどうなるのかと言う状態になったことも、受け入れる努力をしました。歩けなくなるとは決して思わなかったのですが、今後は前の様にはいかないだろうと言う事は分るので、不安はありました。

恋にしても、辛くても楽しかったのですから、それはそれで好かったのですが、そのまま行ってたら、自分がもっと傷付くことは分るので、気持ちを離れるようにしました。もっと現実を見る努力をしたのです。現実はもっとシビアです。でも心は痛いのです。で、泣けるのです。時間が解決するだろうといったところです。

Friday, October 1, 2010

血が足りない

 吸血鬼になりたい私。
闘病記のつづき。

人工股関節の手術をするのに、3ヶ月待ちの人達は、事前に自血を採っておきます。手術中に出血が多い時のためです。たいていの人は輸血するほど出血が無いので、自血を手術後に戻します。(点滴で入れるんです。) 私は自血を採っている時間が無かったので、輸血することになったら、自血ではないです。私の場合炎症によってのダメージが大きく、手術中の出血が多かったので、手術後に輸血をするかきいてきました。ヘモグロビンの数値は輸血が必要なくらいか、ぎりぎり様子見の値でした。正常値の半分です。私は断固として、いやだー 只今生産中でーす、とことわりました。もちろん、貧血です。でも3日間は動かないので、貧血でも少しの間は問題なしです。ひたすら寝るだけ。切った所も痛いし、熱も出ているし。ありとあらゆる鎮痛剤下さーい。

そうそう、入院したてのころ貧血について聞かれ、今まで貧血の貧の字も心配になった事がなかったのに、ヘモグロビン数値が低く、便に血が混じっていると言われ、そう言えばアメリカのクリニックで貰った処方腺の薬を飲んでからは、血の気が下がることが多くなり、トイレに行くときなどに貧血になったりしてました。たぶん、胃か腸から出血していて、貧血になっているのだと言われました。薬が強すぎて胃をやられていたのだと思います。アメリカの薬は量が多いですよね。それからは、鉄剤と胃薬を処方されました。

手術後先生方が見えられ、骨までぼろぼろだったよと言われました。炎症によって関節の骨が気泡のようにスカスカになった感じになっていたそうです。切った骨(人工股関節を入れるために、骨を切ります。結構切ります。)を病理の方に検査に出しました。これで病気の原因がわかるはずです。が今現在結果が出てきません。手術は8月12日にしたので、あれこれ1ヶ月半経っています。うわさによると、出てきたものが、なんだこれ?になっているそうです。。。

手術後4日目から、リハビリ開始です。まずは、ベットから車椅子に乗り移るのから始めます。

リハビリの先生が来て、まずはベットを起こしていきます。今まで10度~15度くらいしか起こしたことがないのに(以前は股関節が痛くなるため)、45度くらい起こします。序々にベットを起こしていくと、なんとすごいめまいが起き、血の気が引きました。そうです、今まで寝たきりだったので、血流が重力に勝てないのです。はーい、貧血起きましたー。

一旦貧血で休憩。その後時間をかけて、半身を重力にならして、まずはベットの脇に座ります。足を伸ばしたまま動かして、痛くないぞ。はい、足を外に出してベットに座って。。。。あーーー膝が痛い。

そうです、伸ばしぱなしの膝が悲鳴をあげました。股関節どころではありません。まずは膝が痛い。膝が曲がらない。リハビリの先生は、あーー動かしてなかったから膝固まってしまったんですね。動かさないと動かないですよと言われ、でも動かすとすごい痛い。なるべく膝を曲げずに、立たないで(貧血が怖いから)中腰のまま車椅子へ移動。成功。やったー。始めの一歩は上手くいきました。

この後はリハビリの開始です。